第十三話 邪教ですらないと思います
「ねぇ、どういうこと?」
その問いかけは八回目だよ、マイシスター。
「なんで隠してたの? なんで二人っきりなの?」
俺とて、そこらの人間相手にそうたやすく怯みはしない。
だがしかし、このふしだらな趣味を持つ妹は例外だ。俺よりも二十センチは背が低く、格闘能力もないし武器も手にしていない。何の訓練も受けていない一般人なのになんだこの殺気は。
菊川といるときよりも二オクターブくらい低い声を出しつつ俺を睨みつける芹花。説明しようとするが、いつになく唇に重力を感じてしまう。
「二年からはもっと専門的な勉強になるから、今のうちに研究材料を集めておかないと」
約束の旅は、本当はもう少し先……三月あたりにする予定だった。しかし、菊川の希望で二月中に赴くことになった。幸い、件の女性も都合をつけてくれた。
芹花にはうっかり言い忘れていたため、こうして当日の朝になって問い詰められている。
「連れてけ連れてけ連れてけっ!」
高速で繰り返される両拳の打撃。渾身の力が加わると、たとえ女子高生のものといえど痛みはある。
「無理だって。新幹線も宿も二人でとってるし。都内だったらともかく旅行にまでなんてずうずうしすぎるぞ」
「お兄ちゃん、私のこと応援したいの、邪魔したいの?」
邪魔したいのなら文化祭の時点で協力していないだろうが。
せっかく早起きも台無しになるほど、時間が弾薬のように消費されていく。朝っぱらからなんでここまで元気なんだ、こいつ。
溜め息をつくと、突然胸ぐらを掴まれて引き寄せられる。
「ね、本当に二人できてないよね? 歩実さんに片思いしてるってのはカモフラージュだったわけじゃないよね?」
「はああ?」
「だって、じゃなきゃ二年も引きずってあっちに彼氏できて終わるとかありえないし!」
お前と前原が元凶だよ、俺にとっては。
「だからありえないって言ってるだろ! いいかげん捻じ曲がった妄想はやめろ! 邦彰ごと!」
「お兄ちゃん、私の生き甲斐奪うつもり? どんだけ鬼畜なの? 今だって、万葉子さんと仲良くなっちゃったから、修行増のごとく堪え忍んでるんだよ?」
煩悩だらけじゃないか。
「これを機にいっさいやめなさい。今なら若気の至りで許される」
「信仰を捨てろっていつの時代の話? ありえないってば」
信仰……あれは神仏と一緒にしてよいものではない。まずい、こいつ頭おかしすぎる。本気でどうにかしなければ。
「芹花、いったいお前の身に何があったんだ? もしかして悩みがあったからそんなおかしな」
突然の痛みで視界が一瞬白くなる。芹花は手のひらをさすりながら睨んできた。
「うるさい、革オタ! バカ、バカ、バカ!」
「おい、やめろ!」
「そんな調子だと歩実さんだけじゃなくて映果さんにもふられるよ!」
「彼女は関係ないって!」
まだ誤解はとけてない。ああ、こういうところに限って行動が遅いんだから、あの人も。
「映果さんの涙ぐましい努力を全部無駄にして!」
何がだ。確かに兄上のことでは世話になったが、こいつに見える範囲で涙ぐましい何かをしているはずがない。やけに親しげに見えるのは前世のせいだし、やけに面白がって話を聞きたがるのは俺をからかうネタがほしいだけだ。
「俺は、彼女には三崎を推す!」
「三崎さんのほうが私だってオススメだよ! 超スペック高いし! でも、理屈じゃないの!」
先入観とはげに恐ろしきものであるか。
「万葉子さんだって心配してるんだよ? 最近、映果さんの様子がおかしいって」
「え? なんで?」
「知らないよ。お兄ちゃんのせいじゃないの?」
もうひとつおまけと言わんばかりに叩いてくる。
「智くーん、もうそろそろ時間じゃない?」
空気を読んだのか読まなかったのかは謎だが、母さんがちょこちょことやってきた。
「ああ、行く。今からだったらまだ余裕が……ぐっ!」
さりげなく足を踏まれた。
「旅行中、私のことアピールしといてよ?」
妹よ、それが人に物を頼む態度か。正寧時代であれば許されないぞ。
「ああ、そうだ。菊川にカットモデル探してる人いたらお前にふるように頼んでおいたから」
直線的だった芹花の目が丸くなる。
正確には「それはまた今度」で終わってるのだが、旅の最中に話をつけておこう。
「俺は邪魔しないから、菊川に付き添ってもらって、ついでに茶をしばいてくればいい」
「なんだ、そうなら早く言ってよぉ」
急に女子校モードの声になる。
「おみやげよろしくね、菊川さんに何か小物選んでもらえたら嬉しいなぁ」
「……ああ、うまく誘導しておく」
恋する乙女もいろいろだが、これはかなりおかしな部類なんだろうな。
まだ旅行は始まってもないのにもう疲弊してしまった。
菊川とは新幹線に乗る駅で落ち合った。
「おはよう」
緊張の面持ちで、これが浮かれた目的の旅ではないことを実感する。
失われた家族につながる人物に会いに行くのだ。平常心でいられるわけがない。いつかの自分が抱いた思いが、胸をちりちりと炙る。
車内に乗り込む。窓側の席は菊川に譲った。
新幹線でも何時間もかかる、長い道のりだ。文庫本なら二冊くらいは読めるだろうか。
沈黙のうちに出発の時刻となる。流れる景色を見ながら菊川は吐息まじりに呟いた。
「その日のうちに着くなんてな」
あの時代なら、乗り継ぎを重ねて重ねて、早くても数日はかかる。
「こんなに早く帰れるなら……」
途切れた言葉。何を思い出しているのかは容易に察することができた。
彰寿だった頃は、徐々に発達していく鉄道に心を弾ませたものだった。けれども、あの時代、こんなものが登場するなんて考えもしなかった。
「時代は、変わったよな」
「ああ、本当に」
あれから半世紀以上の年月が流れた。時代は変わり、社会は想像以上の発展を見せた。そのなかで、革命そのものはどれほどの貢献をしたというのだろう。
専門家の間でも見解が割れている問題に、俺はどんな答えを今後出せるだろうか。
読んでいた本から視線を外し、窓の方を見やる。いつも以上に静かで、愛想もない菊川の横顔に、前世の彼の姿が重なった。




