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第十二話 俺には権利ないし


 前回、菊川が藤堂のその後を尋ねたように、俺もかつて仲の良かった同期数人について訊きたかったが、すっかり結城と佐藤のペースにのまれてしまった。昔はむしろ俺が彼らを振り回していたようなものだったというのに。

 まだ日付は変わってないものの、年金をもらう年頃になったかつての同期二人は、早々に眠りこけてしまった。前原ではさすがに無理なので、俺と菊川で二人をそれぞれの寝床に押し込める。

「年寄りってもんは昔話が好きでね」

 まだ目が冴えているらしい前原は、水を一口飲みながら、苦笑する。

 昔の話をするのが好きだった――万葉子ちゃんも寿基も、寿貞兄上のことをそう言っていたな。

「特に若者に話すのがな。二人とも、いつもはもうすこし夜更かしするもんだが、楽しかったんだろ」

「知らないって恐ろしいね」

 間抜けな顔で眠りこけている老人二人の顔を見つめながら、俺は唇の片端を上げる。

「こっちが鈴森と高山田の生まれ変わりとも知らないで、好き勝手に。まさかあそこまで言われるとはな」

「まあ、確かに死んだ同期をあそこまでネタにするのはどうかと思ったけどさ」

 菊川は遠い目をする。

「革命は、俺たちが死んでからが本番だからな。お前なんか革命の初期で死んだろ」

「うるさい、誰のせいだと思ってる」

 前世でクーデター隊に加わった男は居心地悪そうに顔をそむけた。

「この国が分割されても不思議ではなかった。残ったやつらは、俺たちが紙や映像でしか触れられない惨状を目の当たりにしたんだろう。これくらいは目を瞑ってもいいだろう」

 なあ、と同意を求める先は、ほくろの男。

「なんや、高山田。鈴森よりも物わかりがよくなって。気持ち悪いわ」

 まったく嫌悪の感情がこもっていない。

 彼は腰を痛めそうなくらい背中を反らせ、足をぶらつかせる。

「まあ、何十年もかけて、これくらいになったってこと。お前さんたちが知らない半世紀が俺らにはある」

 お前らにはわからないだろうがと言わんばかりに、前原は俺や菊川の頭をポンポンと叩く。ちくしょう、俺が彰寿だった頃は、こんな扱いできなかったくせに。

「お前らは、今の時代こんな爺さんになっていたところをもう一度若者やれているんだ。ありがたく思っとけばよろしい。スマホとかバリバリだろ?」

「俺、ガラケーのほうが好きだな」

 顔をしかめられる。

「生まれ変わっても可愛くないやつだな。まあ、人生得したと思っとけ」

「そうかな」

 歳をとった彰寿なんて想像できない。こうやって老いたかつての同期を前にしてもなお。永遠に……彰寿は永遠に二十歳で止まったままだ。

「どうせ人間、自分がなぜその時代その場所に生まれて死ぬのか、その意味を知ることはついにないわけだ。好きに考えればええ。そういう権利は誰にだってあるはずやろ」

「……そうだな」

 前原はそう弱く返す俺から菊川に視線を移す。

「悪い、高山田。水もう一本買うてきてくれんか」

「いいよ、俺が行く。どうせジュースしか飲んでないし」

 立ち上がろうとしたが、菊川は軽く返事して行ってしまう。

 扉が閉まるのを確認してから、前原は口を開く。

「死んだの、悔しいか」

 夜景を背後にして朗らかさを消した顔で問う前原に、俺は瞠目する。

「……そう見えるか?」

「この間も、家族のこと話してるときにそんな印象受けた」

「ああ……」

 羨ましい――それがあのときの正直な感情だった。

「一時期よりだいぶマシになったが、それでもまだ俺は前世に未練がある。今は別の人生を歩んでいる、前に進まねばと思いつつも、彰寿の記憶を失うことを恐れているほどに」

 彰寿にとって前原は、自分の位を脅かすような成績でもなく、特別な親しさもなかった相手だ。正寧時代、この男に皮肉をぶつけたことはあっても、弱音を吐くなどしなかった。

 それなのに、どうして今はこんなにすんなりと言ってしまえるのだろう。

 俺の戸惑いを察したのか、前原は薄く笑った。

「高山田のほうが吹っ切れてるのは理解できる」

「そうか?」

「あいつは自分の意志で平民派に行って銀座事件に加わって……裁判のあとも自分の意志で死んだ。でも、鈴森は違うだろ」

 クーデターの情報が入ったのも事が起きてから。そして、あのとき、俺は己が命を落とすなどとまったく思わずにあの地に赴いた。

 軍人としての覚悟、自分の立場への理解が、あのときの俺にはなかったのだ。あったのは、クーデター隊に対する侮蔑と、すぐにねじ伏せられるという慢心だけだ。

「できれば生きていたかったよ。生まれ変わって歴史を知って、国の難事を知ることなく死んだ自分に腹が立った。父母が誇るどころか心底情けない思いをさせたかと思うと」

 俺は頭を振る。

「今の家族、欠点もあるけれどそれなりに好きだよ。けれども、ずっと鈴森の家のことが気になっていた」

 そうか、と頷く彼は、まるで孫でも見るような優しい目になる。

「鈴森、俺はお前のこと羨ましかったよ」

「え?」

「威厳のある親父さんに、美人のお袋さん。しかも、優しい兄さんたちまでいて。ああ、あいつこんな人らに囲まれて育ったのかと思うと、妬ましくさえ思えた。俺は、箱根の関所も二度越えたくらい、親戚中たらい回しだったから」

 前原は前原で苦労はあったと聞いていた。そういえば、あのふざけた本でも幼少時の思い出にはあまり触れていない。

「お前らの兄さんらに可愛がってもらって、つい甘えたくなった。お前の代わりになれたわけではない。でも、俺はああいう家族というものを知らんからな。華族様に対して烏滸がましいが、縁ある人たちができたようで嬉しかった」

 鈴森の家族とて完璧だったわけではない。現代の価値観で見ればなおさら。けれども、俺にとっては大切な人たちだった。

 酒が入っているわけでもないのに、涙腺がゆるみかける。

「寿史さんには、もう少し生きていてほしかったな」

「……人伝で、飛行機事故で死んだと聞いたよ」

「ああ、親父さんがとても気落ちしていた」

 次兄が家を出たのは、俺がまだ幼いとき。仲たがいをしつづけた記憶しかない。

「お前は、俺の知らない鈴森家を、ずっと見てきたんだな」

「外側からだけどな。あの人たちだって、そこんとこはきちんとわかっているから」

 知りたいか、と落とされた声は床を転がりそうな重さ。

「俺の知っている範囲でよければ、今までのこと話すぞ」

 次兄と父の和解も、みんながどのように亡くなったのかも、彼の口から聞いてみたい。けれど――。

「今はやめておくよ。俺が酒を飲めるようになったときに頼む」

 まだその段階ではない。そう思ってしまった。

「……そうか」

 ノック音が響く。鍵を持たすのを忘れていた、と前原は慌てて扉を開け、菊川を入れる。

「何か話してた?」

「実家のことを少しだけ」

 詳しくは言わないでおこう。前原に張る虚勢とこいつに張る虚勢はいささか異なる。

 菊川は自分のいない間にあった会話をあえて推測しないかのように、寿貞兄上の話を振った。

 前原も退役後は会社勤め。評論家としての活動を始めるまで、そう頻繁に行き来があったわけではないが、折々でやりとりを続けたという。そして、ある仕事が回ってきたとき鈴森家との橋渡し役になり、縁が本格的に復活した。

「……カクハナか」

 よほど俺の表情が苦かったのだろう。前原は吹き出した。

「いやあ、調整大変だったわ。親父さんは、博物館にはむしろ協力的だったんだが、創作物については難しい顔して。もともと、せめてお前の生きた証をと博物館に熱心に遺品など寄付してたわけだろ。あれも鈴森彰寿という男の存在を残すものだって説得してな。まあ、諸々の事情で名前は変えることになったが」

 カクハナの作者は大変真面目な人間らしい。直接鈴森邸を訪れて、父に作品への思いを語り、認められたのだとか。

 それで生まれた産物が、なぜ芹花の餌食になってしまったのだろう。話のとおりまじめに創作していたなら、今までの非礼はひそかに謝罪したいが。

「一応、大成功って言ってもいいだろう。万葉子ちゃんはそのぶん、ちょっと気の毒だったけどなあ」

 初めて会ったときを思い出す。

 前原も、彼女が苦労していたことは知っていたらしい。ただ、万葉子ちゃんは彼の前ではあまり不満をもらすことなく、むしろ慕ってくれたそうだ。

「あの子はええな。ひねくれておらんで、鈴森の百億倍可愛い」

「別の人も似たようなこと言ってたよ」

 そうだろ、と前原は軽く笑う。

「鈴森は遺族と付き合いあるからまだ楽だった。許可を得る以前に関係者の所在を調べるところから始める人間も数人いたから、そっちのほうがずっと大変だった」

「ということは……」

 遠慮がちな菊川の声に、前原は神妙な顔になる。

「お前の遺族も探したんだ」

 菊川は硬直した。

「いた、のか? だって、俺があっちにいったときは」

 何もわからなかった。そう消え入る声を落とす。

「どういう状況かは、知ってるか」

 前原の問いに、菊川は曖昧に首を動かした。

「お前の弟さんたちも妹さんももう亡くなってる。今、連絡が取れるのは、妹さんの娘だな」

 娘、と呟く声が掠れていたのは、酒のせいではないだろう。

 前原は手帳を開くと、挟んでおいた紙を菊川に渡す。あらかじめ用意していたのだろうか。

「これ住所な。もしも会いたいと思ったときは俺を通してくれ。向こうにも連絡しておく」

「……お前は、その後の高山田家を知っているのか」

 そう尋ねたのは菊川でもなく俺。

 前原は菊川から渡されたペットボトルの蓋を開ける。

「漫画の件でいくらか話を聞いただけだ。俺が連絡した時点ではまだ妹さんは存命で、高山田家そのものについては漫画でも俺の著書でも最低限の触れ方に留めてほしいというのが条件だった。その後人気が出てしまったからな、その判断は正しかっただろう」

 鈴森家とはまた違う苦労が、高山田家にはあったのだろう。俺には想像できないような。

「姪っ子さんも自分から高山田の家について話すことはしない。ま、あの子にとっちゃ高山田は単に母親の実家で、革後の生まれだし当時のことを直接知ってるわけじゃない。伝聞だ。だからこそ、表に出なければ自分の知っている範囲の話くらいはしてくれるさ」

 俺には話そうかだのなんだの言ったくせに、高山田である菊川には自ら語ろうとしないんだな。

 そんな俺の視線に気づいたらしい禿げ頭はそ知らぬ顔で微笑む。

「俺はあちらとそこまで親しくないし、又聞きになるよりはええやろ」

 鈴森のことなら直接知っている、ということだ。重ねて言われなくてもわかっている事実だが、まだ俺は彼と同じ表情を作れない。

「ちょうど、行こうと思ってたんだ。春休みだし、ちょっと彼を連れて」

 いきなり菊川までこちらを向くのでびくりとしてしまった。

 前原は興味深そうな表情になる。

「ほう、高山田と鈴森が仲良く旅行か? 君ら、ちゃんと設定は考えなあかんで。そんなことする二人やなかったぞ」

「うるさいな、こっちだっていろいろあったんだよ」

「ははは、今や漫画や映画のほうが俺にとっては現実に近いな」

 勘弁してくれ。お前もあの頃の夢を見るがいい。どれだけ自分の記憶がねじ曲がったものか理解しろ。

「お前、俺たちが生まれかわりだと今でも信じてるか?」

「違ってても構わんさ。こっちだって、何十年も溜めこんでいたものの捌け口ができて好都合。そこはお互いさまにしておこうや」

 菊川はわずかに唇の端を上げる。

「でも、高山田の姪を紹介してくれるんだろう?」

「一応な。もしもお前が本当に高山田だったとしたら、伏せるのも意地悪だろ」

 言いながら欠伸をするものだから、雰囲気が壊れる。

「もう日付も変わりそうだな。もうそろそろ帰りなさい。二人もよけいに宿泊させたら怒られる」

 確かに終電ぎりぎりだ。俺たちは荷物を持って立ち上がる。

「えーっと、高山田。旅行の日程が決まったら俺に連絡しろ。一泊か?」

「できれば二泊くらいしたい」

 そんな相談も、まだされてない。

「それならあちらも一日くらい時間とれるだろう。じゃあ、頼んだぞ。帰ってきたら、旅の報告でもしてくれ」

 別れ際、前原は俺に何か言いたそうだった。けれども俺は気づかぬふりをして部屋をあとにした。

 菊川と途中で別れ、ひとり家路をたどりながら、俺は前原の言葉を思い返していた。

 何故この時代に生まれて、死ぬのかはわからない。この国で近い時代に二度生を受けても、いまだに俺は理解できていない。

 好きに考えればいい。

 夏のあの日、俺は不本意にも仲良く生まれ変わってしまった高山田を今度こそ殺すためだと思った。けれども、あのとき実行したところでやっぱり心は満たされなかった。

 人生、得したのかな。

 もしもクーデターが起きなくて、彰寿が寿命までいたら。父の望むくらいには出世して、そこそこの女と結婚して、子供を作って。さんざん好き勝手に生きて、満足して死んだなら、智樹の人生をもっと面白がれたのかもしれない。

 ああ、やっぱり未練があるのだ。だから、松井智樹を認められないのだ。

 彰寿時代は、悩みなんてなかった。それなのに今は悩んでばかりだった。

 別に、今の俺は大きな病気も怪我もしてきたわけじゃない。家族もたいした問題は抱えていない。

 松井智樹は凡人なりに恵まれている。

 乾いた笑いが漏れる。ここまで平凡で平穏な人生なのに満足できないでいる自分が、とても愚かしい。

 十九歳の頃の彰寿と比べても、自分はずっと幼い。それが、たまらなく気持ち悪かった。





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