第十一話 こいつら転がしてやりたい
二月上旬の夜、俺と菊川は前原の言っていたパーティーに招待された。彼の話だと小規模のような印象を受けたが、想像以上に盛大だった。
彼も長く活動しているだけあって、華やかな人脈があるようだ。あのゼミの教授も出席していた。今のうちに顔を覚えてもらっていると今後やりやすいから、話ができたのは大きい。もっとも、そんなことをせずとも瀬戸さん事件のせいであちらも俺や菊川のことを記憶していたのだが。なお、瀬戸さんは大学院に進むため、今から卒論の執筆にたいそう張り切っているご様子とのことだ。
「彼、面白い子でしょ。君たちが来るのをとても楽しみにしていたよ。また二人と活発な議論を交わしたいと」
俺たちはそろって苦笑いを浮かべる。菊川はともかく、何故俺まで。
ただ、その教授以外に見知った人はいなかった。一方的に研究や資料で名前を覚えた人ならちらほらいるくらいだ。
主役の前原はというと、各人への挨拶で忙しいようだった。その様子を眺めながら、菊川は部屋の反対側に目を向ける。
「あれが、佐藤と結城かな」
どこか目を引く老年の二人組。前原のようなわかりやすい特徴はなく、若いときの面影はあまりないが、確かにそのように見える。長身で恰幅のいい体型が佐藤、それよりもやや背は低いものの鍛えられた体であることが窺えるほうが佐藤だろう――確か教官になったという話だったか。
予想は的中。会がお開きとなり、前原が俺たちを呼び寄せて彼らのもとに連れて行ってくれた。
「最近仲良くなった若者。革命時代専攻だとさ」
正確にはまだ大学の一年目で、本格的な研究も何もしていないのだが。
「佐藤です。君、なかなかいい体格だなあ」
握手を求めてきたかつての同期は、俺よりも二寸ほど背が高かったはずだ。しかし、今は俺が見下ろす形になる。しかも、体格を褒められるとは、彰寿であった頃なら信じられないことだ。
「そういえば、二次会はないんですか?」
まだ終電までは時間がある。主役ならそういったお誘いがあっても不思議ではない。
「もう歳だからって断った。あとは老人同士だらだらと飲むだけのつもりでな」
前原たちの案内で、彼らが宿泊しているホテルの部屋に移動することになった。テーブルには、何が歳だと言いたくなるほど、あらかじめ買っておいたらしき酒がずらり。が、俺だけジュースが手渡される。
「すまんね、未成年」
前原の弾んだ声は、酔いのせいだろうか。
菊川も結城も佐藤も会場で飲んできたはずなのに、まだまだ余裕の様子だ。さっそく何本も空ける。俺だってあと数ヶ月で二十歳だし、と抗議したいがやめておく。
前原は俺たちが彰寿や高山田に関心を寄せていると説明したため、結城と佐藤は酒の勢いに任せて饒舌に昔のことを語る。
「今だから言えるが、鈴森もこの歳まで生きてたら白髪か禿か。いずれにせよ、俺の美貌がーとうるさかったんじゃないかな」
菊川も含めて、俺以外の全員爆笑。この光景に強い既視感を覚える。
待て、待ってくれ。俺がいつ貴様らの前でそんなことを言った。
こちらの事情を知らない二人は、どんどん喋ってくれる。
「革命の華が……ってやつか。あの映画ね、ほくろさんつながりで試写会に僕たちも呼んでもらったの。で、感想を聞かれたから、本当はちゃーんと答えてやりたかったのよ。二人の会話で一度も『死ね』が出てこないのはおかしいってさ」
「鈴森も高山田も、お互い相手と会話するときは必ず語尾につけてたのに、そこを忠実に再現していないとかねえ」
おい、さすがにそこまでではなかったぞ。
眉根を寄せる俺をよそに、連中は大砲を連発するように笑う。
「そうそう、鈴森の言葉がきれいすぎたなありゃ!」
「高山田はもうちょっとねちっこかった!」
確かに確かに、と前原も腹を抱えながら同意する。本人の前で。
「高山田も鈴森も短気だったから、僕ら本当に大変だったのよ。鈴森はちっこいくせに凶暴で、止めようとして何度か殴られたし。もちろん、最後にはきちんと抑えてやったがね。その頃の経験が教官時代は生きたなあ」
佐藤、それはいつの話だ! お前いつも必死だったじゃないか。
そうか、腐女子バイブルの捏造の根源はここか! この三人で思い出を言い合っているうちに記憶が改竄されたんだな! ああ、まったく……。
「あの鈴森役の女の子可愛かったなあ」
「ああ、確かアイドルだったんですよね」
菊川の言葉に、結城は無邪気ささえ感じる笑みを浮かべる。
「今はもうおばさんだけどね。そっか、君らはよくわからないか」
そういえばあの映画もかなり前の作品なのか。俺たち永喜生まれにとっては過去の人か。確かに、テレビに出てるところを見たことはない。
「当時は若者みんなが夢中でね。鈴森もあんなに可愛い子に演じてもらえて喜んでいるだろうなって話してたんだよ」
勝手に決めるな。
正直、桧山さんのほうが可愛いと思った。ついでに言うと、万葉子ちゃんや映果さんだって、彼女より美人だ。
「……女性が演じること、揉めたりはしなかったんですか?」
問うと、前原は伏し目がちになる。
「ああ、確かに。寿貞さんはちょっと抵抗があったようだが、奥様が熱心に説得してくれて」
里津子さん……!
「正直助かったよ。めったにない金額が動いてるうえに、私に責任がのしかかったから。鈴森の親父さんが存命だった、漫画のときとは別の緊張があったな」
いっそのことお流れになってくれたほうが、俺は幸せだった。
「もうね、あの映画はいろいろ美化されすぎていて、僕たち笑いこらえられなかったよ。ここまで違うんだから、いっそのこと鈴森は実は軍学校にもぐりこんだ女の子でしたってことにした方がよかったのにね。女の子にやらせるだけじゃなくてさ」
「ああ、そりゃあいい。どうせ事実より面白さ優先した時点でトンデモになることに変わりない」
鈴森彰寿本人として断固拒否する! そう叫べないこの状況が辛い。
こうして喋っていると、前原も結城も佐藤も若い頃のままだ。けれども、あの時代にこの顔ぶれでこう和やかな話などできはしなかった。俺も高山田も決して彼らと親しいわけではなかったから。
この五人が集まるときといったら、たいてい俺と高山田がもめるときだった。前原が止めに入って、結城が高山田を、佐藤が俺を押さえつけて。軍学校時代の夢だって、何度みてもそんなのばかりだ。
そもそも、鈴森彰寿と高山田邦勝がこうして友情を育んでいることすら、妙な状況なのだ。彰寿としては唾棄すべき未来であったはずである。
「……鈴森彰寿は、なかなか愛されていたんですね」
菊川の言葉に、三人は顔を見合わせて笑った。
「まあ、やはり同期だからね。厳しい学校生活を始終共に送れば、やはりそれなりに思いはあるよ」
そう言えるのは、この三人だからだろう。俺も他人のことを言えないが、人格の優れた者ばかりではなかった。
「あそこで倒れたのはもったいなかったな」
「皆さんはそう思われますか? 案外、革命時代を生き抜いても大した活躍はできなかったかもしれない、とは?」
自虐をたっぷり込めてやる。
表情穏やかなまま首を横に振ったのは佐藤だった。
「そんなこと言わないでやってよ。性格は問題だらけだったけど、それ以外に軍人としての難はなかった。もっと平民派を抑えられただとか、被害を少なくできただとか、そこまではわからん。ただ……やはり死んでほしい仲間なんていないさ」
「もちろん、高山田だってな」
前原は笑いつつも強い眼差しを菊川に向けた。
菊川は無表情で、グラスに唇をつけた。
「若くして死んだからな、こんな爺さんにならずに綺麗な状態で世間の記憶に残ってるだろ。でも、みんなで笑ってやりたかったよ。特に鈴森。お前もすっかりただの年寄りになったなって」
「美貌の少尉とかみんなで呼んでやったら、絶対にあいつは怒るだろうな。若いときはいい気になっても、四十ごろになって容姿に衰えが出始めるとむしろ触ってほしくないような人間だよ、あれは」
ちくしょう、好き勝手に言いやがって。お前ら、そんなに俺に恨みがあるのか。身に覚えはあるけれども。
かつては定期的に催されていた同期会。そこに俺たちがいたらどうなっていただろう。酒に酔って高山田と殴り合いしていただろうか。
それは、革命が起きなかったこと前提の、空想の未来に過ぎない。松井智樹も菊川咲哉も生まれてなかったかもしれないような。
「軍人だからな。同期全員が一斉に歳を重ねることはありえなかったろう」
結城がぽつりと落とした言葉に、全員が同意した。
「革命が起きなくても、大陸や列強との戦争があったかもしれんしな」
そう低い声で言いつつ、佐藤はすぐに朗らかな口調に戻る。
「君たち、革命時代にあまり夢をもちすぎちゃいかんよ。鈴森だって美青年だの何だの言われてるが、僕らからしたら、顔と成績をとってしまえばただ短気で口が悪いだけのやつなんだから。お嬢さんがたにはとても言えんがね」
「そういえば、高山田もなんであんなに人気なんだろうな。あいつだってただの根暗なのに」
「鈴森と高山田はセット売りでうまいことやったな。いっそのこと墓も一緒にしてやって、金取ればいいのに」
やめてくれ。確かに今、二人一緒に行動してるが、墓はさすがに勘弁してほしい。
俺は菊川を横目で見る。やけに穏やかな顔で、つまみのジャーキーをかじっていた。




