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第十話 お互い健闘を祈ります


 三崎の言ったコンビニは、運動場の目と鼻の先。

 ペットボトルや紙コップなどを籠に入れつつ、映果さんに喋りかける。

「三崎に何の相談してたんですか?」

 ぎくりとした仕草をし、彼女は顔を赤くする。

「ちょっと……学校のこと。社学の人も今日来るでしょ。それについて」

「ちゃんとやりとりしてたとはね。でも、安心しました」

「何が?」

「あいつ、いいやつでしょ?」

「確かに。智樹さんと長くお友達やれてるくらいだもんね」

 いささか棘がある。ただ、その言葉自体は否定しない。

 出席番号が近くて、席が前後だったり体育の授業で同じチームになったりしただけの俺にも積極的に話しかけてくれた。でなかったら、俺はもっと寂しい中高生活を送っていたはずだ。小松とも赤城とも三崎経由で仲良くなれたようなものだし。

「中一のとき、ちょっとトラブルあって助けてもらったこともあるんですよ」

「菊川さんと比べると、やけに大切にしてるね」

「菊川は……」

 元は高山田だし。ただ、そのおかげで三崎や赤城には打ち明けられないような話ができるし、親しさの種類がちがうだけだ。

 品が揃っているかを確認し、会計する。申し訳程度に映果さんには軽いものだけ入った袋を手渡したが、彼女は俺の手にあった袋をひとつかっさらおうとする。

「結構ですって。重いものは持たせられません」

「私が女の子だから? それとも前世の主だから?」

「両方です」

「はいはい、わかりましたよ」

 返事しながら早足で歩いていくものだから慌てて追う。その反応に満足したのか、彼女はすぐ立ち止まって俺を待ち、横並びに歩く。

「智樹さん、本当運動神経いいね。目立つから集団でいてもすぐわかる」

「背のせいでしょう。彰寿だったらきっと埋もれてますよ」

「どうかな。確かに前世は小っちゃかったけれど、学校の実科もいい成績だったじゃない」

 小さいという言葉につい反応してしまうのは、魂に刻み込まれた記憶のせいか。映果さんはそんな俺が愉快な様子だ。

「なんか、前回といい今回といい、思ったよりも元気そうで安心した」

 それって……。

「桧山さんのこと、気にしてたんですか?」

 やや頬を膨らませながら、彼女はそっぽを向いた。

「そりゃ、二年越しの恋だったのに告白する前に相手に彼氏ができて終わったら、ダメージ大きいかなって」

「あなたのほうがよほどへこんでたじゃないですか」

「……私が、あの日連れて行かなければ、あんな風に見せつけられることなかったじゃない」

 ここまで責任感じてくれるなんて。

「映果さんのせいじゃありませんって」

 まあ、ショックと言えばショックだった。けれども、うまくいかなかったのは当然だってどこか冷静に考えている自分がいる。

 俺が勝手に恋をして、勝手にがんじがらめになっていただけだ。もっとも、もし告白したとして彼女が頷いてくれたかどうかは、また別の話だが。

 数少ない、自分が楽しく語れる話題だった正寧時代。男友達ともあまり盛り上がれないそれを共有できる嬉しさが恋心に結びついたのだ。彼女の興味の原点である邦彰を認められなかった時点で、すべては決まっていたのかもしれない。

 そんなことを語りながら、俺は口元を緩める。

「思ったんですけど、今度は逆に、いっそ前世……彰寿がいっさい絡まない人と恋愛してみたらどうかなって」

「……へえ」

「それこそ、『正寧? よくわかりません、興味ないです』とか言う人。まあ、他人の趣味を馬鹿にしないっていうのは最低条件ですけど」

 自分も大事に思っている趣味があって、お互い尊重しあえるのが理想だなあ。うん、何か熱中できるものがある人であってほしい。

「だったら、君がまず正寧を忘れるべきではないかい」

 突然の亮様モード。瞠目して見ると、整った無表情があった。

「……痛いところを突いてきますね」

 俺はずっと彰寿の記憶に囚われていた。これまでの選択のほとんどに、何らかの形で前世の影響があった。完全に松井智樹として生きてはいない。

 でも――。

「苦しいときだって情けなくなるときだってあります。けれども、忘れたくない記憶もあるんです」

 鈴森家が自分の知らない家になってしまった事実は受け入れられた。けれどもまだ、正寧を忘れるのは怖い。短い彰寿の人生にもあったいくらかの幸せ、誇らしい出来事。それだけを残すなんて器用な真似はできずに、全部手放してしまいそうな気がしてしまう。

「あなたは、全部忘れたくなりますか?」

 問うと、猫のような瞳が揺れる。

「私もあなたも、全部忘れてしまえばきっと幸せになれる。そう思うときはあるよ」

 踵を鳴らして近寄ってきた彼女は、乱暴に俺の手から袋を取り上げて足を速める。慌てて再度追いかける形になる。

「こら、こういうのは男に任せなさい」

「主には持たせられませんってこと?」

「一応、今のあなたは女の子でしょう」

 か弱いとか自称してたときもあったじゃないか。

 一応ね、と振り向いた彼女は口でへの字を作る。

「本当にあなた私のこと女の子だと思ってる? 口だけではないの?」

 すみません、たまに亮様の生まれ変わりという認識のほうが強くなります。

 俺が詰まったのを見て、息だけで彼女は笑った。

「智樹さんのそういう正直なところは、彰寿とはちがいますね。まあ、いいでしょう」

「もうちょっと年上を尊重してくれませんかね」

「二年もダラダラと理由つけて片思いに留まっていた人を?」

 亮様とは異なる角度から突いてくるなあ。

「そういえば、三崎のことどう思います?」

「え?」

 裏返った声に、俺のほうが驚かされる。さっきもした話なのに。

 寿貞兄上のときも冷静でいた彼女が、あの重大な告白の日と同じくらい狼狽する。あのときほどに感情が乱れるなんて、これはもしや。

「これ以上ないくらい、素晴らしい相手ですよ。俺、中高は地味なほうだったんですけど、あいつと友達だったおかげで楽しい青春送れましたし。ちょっとチャラチャラして見えるけど、彼女には結構一途です。人望もあるし」

「べ、別に紹介してもらわなくていいもん……」

 いつも誰かに勧められる立場だったが今回は逆だ。ちょっと楽しくなる。

「三崎も言ってましたよ、映果さん可愛いって。今日だって、あの子来るのかって気にしてたし」

 本当は三崎と映果さんで買い物に行ってきてほしかったくらいだ。

「私や万葉子くらいの美少女になら、男の人はみんなそう言うでしょ」

 たいした自信だ。

「元は男性だし、男心はわかるのか。だったら好みの美少女にどうしてもらいたいかもわかりますよね?」

 映果さんは立ち止まって、俺を見上げる。

「……好み?」

「ええ、三崎はあなたみたいな人すごく好きですよ」

 元カノも似た感じの人だった、とは言わないでおこう。映果さんのほうが美人だとしても。

 三崎にしては珍しく、今回はフリー期間が長い。クリスマスも年末年始も友達と過ごしたらしい。脈、あると思うんだけどな。

「一目ぼれだったんじゃないかな。俺と違って何も障害はないわけだし、絶対いけますよ」

「……どうかな? 案外まったく眼中になしだったりしない?」

 いつになく弱気だな。

「大丈夫ですって。俺が太鼓判押します」

 それでもまだ難しい顔をしている彼女に、思わず苦笑してしまう。

「前世を吹っ切る競争はしてますけれど、お互い足の引っ張り合いをするんじゃなくて、こうやって助け合うっていうのはいいですね」

「バカ」

 踵で思い切り足を踏まれた。スニーカー越しとはいえ痛い。よく見れば、いつぞや銀座でお買い上げした靴だ。ヒールは控えめだが、それでもかなり強力な武器ではある。

「彰寿がこっちの恋愛事情に口出すなんて生意気だよ」

「はい、また減点」

「勝手に言ってれば? 僕からしたら君こそ大減点なんだから」

 この失恋男を慰めたいのか叩きのめしたいのか、どっちなんだ。

「持ちなさい」

 ガサリと大きく音を立てながら、彼女は奪ったはずの袋を差し出してくる。

「はい」

 戻ると、役目を終えたらしい三崎が芹花たちと談笑していた。他にも顔を出しておくべきグループはありそうなのに。

「あ、おかえり」

 真っ先に気づいたのは菊川。芹花も万葉子ちゃんも三崎も、俺たちの姿を見るやいなや、いきなり笑いを押し殺したような表情になる。菊川も頬のあたりがぴくぴくとしている。

「レシート、袋のなかに入れてる。どこに置けばいい?」

「あっち。次の終わったらいったん休憩だから」

 親睦会として、みんなで固まって昼食をとる予定だ。

「じゃあ、俺出番か。他の人たちどこにいる?」

「あっち」

「行ってらっしゃい、頑張って」

 応援団のやけに眩い笑顔に見送られ、俺は集合場所に向かった。

 俺たちがいない間の会話が気になったが、結局教えてもらえなかった。万葉子ちゃんですら話を逸らす。

 休憩中は、小松とかが芹花作であるはずの弁当を見ながら「懐かしい懐かしい」と菊川の前でさりげなく母さん作であることをばらし、芹花を慌てさせた。三崎は宣言どおり映果さんに同級生の女の子を紹介しつつ、自分は流浪の民のごとくあちこちの声掛けばかりしていて、映果さん自身と会話することはあまりなかった。

 そんな風景を見つめながら、一月の空を仰ぐ。

 穏やかな時間だ。スポーツドリンクが、やけに甘く感じる。

 運動会だか体育祭だかの結果は、僅差で俺や三崎のチームの勝利となった。賞品としてもらった袋菓子は映果さんに譲っておいた。三崎との距離が縮まりますように、と願いを込めて。




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