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第九話 俺が活躍できるのはこういうときだけですから



「――松井!」

 中三の体育の授業を思い出す。あのときも三崎が俺の名を呼んだ。今度もきちんと反応できた。

 俺はバトンを受け取り、前を走る人の姿を見据えて地面を蹴る。少々距離はあったが次第にその背は大きくなり、横に並んだのも束の間、すぐに見えなくなってしまう。

 三崎たちの企画した大会はなかなかの規模になった。三崎と一緒にいるところを見かけたり、同じ授業をとっていたりで、なんとなく顔を知っている人の姿が多いだけでなく、小松をはじめ高校の同級生も数人参加している。

 俺はサークルに入っていないし、一年はまだゼミもない。史学科の同級生とすらあまり交流がなかったので名前を覚えるのに苦労したが、競技に参加しているうちに気軽に話せる相手も出てきた。

 競技は、リレーやらドッジボールやら。難しいルールは不要、たいていの人間が一度は経験したはずのものばかりだ。そのせいか、あちこちで自分の思い出話を語り合う姿が見られるから、うまい選択だと思う。

「やっぱり松井先生は頼りになるわ」

 満足げに頷く三崎。親睦を深めるのが目的とはいえ、やはり自分のチームが勝つと嬉しいらしい。今のところ俺も貢献できているようで何よりだった。

 大学でも体育の授業はあるが、菊川と組んでばかりなのでこんなに大勢の人間と関わることはない。なんだか高校以前を思い出して懐かしくなるが、同チームの女子の存在には若干の違和感もある。男ばかりの環境に慣れてしまっているせいだろうな。

「そういえば、この間の子来るの?」

 三崎の問いは意外だった。ここまで気にするってことはやっぱり狙ってるのかな。

「……どこかにいるんじゃないかな」

 グラウンドからだとよくわからない。

 競技には参加せず、応援するだけの人間もそこそこいる。菊川も何やら理由をつけてそちら側に回った。くそ、馬術や射撃があったら何が何でも引きずり出したのに。

「え、誰?」

 すぐ後ろにいた小松が興味を示してくる。

「芹花ちゃんの同級生なんだけど、すっごく可愛いよ。な?」

 いきなり話を振られて言葉に詰まる。何も知らなければただの美少女お嬢様だが、その実態はとんでもないんだよ、いろんな意味で。

「じゃ、あとで紹介するよ。芹花も一緒だろうから」

 弁当を作ると我が妹は張り切っていたが、だいたいは母さんの作品だろう。あの人、女子らしい弁当は得意だから。万葉子ちゃんや映果さんも何か作ってきてるのかな。

「あ、芹花ちゃん見つけた」

 めざとい小松が応援席の一角を指す。そこには、女子高生三人と菊川の姿が確かにあった。向こうもこちらの視線に気づいたらしく、手を振ってくる。

「さっき言ってたのどっちの子?」

「ああ、左。帽子かぶってる方」

 いつものように横に並んでいるお嬢様方を交互に見ながら小松は笑う。

「へー、確かに可愛い。でも右の子もレベル高くない?」

 どうぞもっと褒めてくれ。つい、元は身内だった人間として誇らしく思ってしまう。前世の自分と同じ顔だが。

 彰寿や鈴森の母と似ていることばかりに気がいくが、他人から見れば万葉子ちゃんも目を引く容姿だ。映果さんが洋風美人なら、万葉子ちゃんは和風美人と言えるだろう。

 その美しい少女たちの横で、芹花は緩みに緩みきった顔で菊川を眺めるばかりだった。ああ、まったく……。

「かっこいいところ見せなきゃな」

 三崎は俺の肩をぽんと叩き、運営役の集まりに行ってしまう。

「あいつも本当よくやるねえ」

 しみじみと言う小松に俺も同意する。

 こういう場を企画して仕切れる彼はやはり有能だ。

 この運動会とやらも予想外の盛り上がり。テストもレポートもあらかた終わった解放感との相乗効果もあるのか、一月の寒空の下とはいえ和気藹々としている。

 映果さんは困った人ではあるが、俺にとってはやはり特別な存在であり、現世でも恩がある。そこらの妙な男相手だったら俺とて追い払うが、三崎なら文句どころか陰ながら頭を下げて応援する。

 だから、ちょうど手すきになったときに三崎も同行させて応援席に向かった。

「三崎さん、お久しぶりです」

「芹花ちゃん大きくなったね~」

「えー? 二個しか違わないのに何言ってるんですか」

 芹花は芹花で、何度か遊びにきた彼に懐き、「三崎さんがお兄ちゃんだったら幸せ」とまで言ったことがある。こっちに恋が芽生えていたのなら、と菊川を横目で見ながらこっそり溜め息をついた。

「槙村さんも来てくれてありがとうね。お友達も。美人さんいると嬉しいからさ」

「そんな、とんでもない」

 映果さん、つい二ヶ月ほど前、そのお口は「私って美少女のお嬢様」とかお言い放ちあそばした覚えがありますよ。

「そうそう、この間相談ありがとうね。また何かあったら聞いて」

 俺の様子を気にしながらも微笑む三崎に、その視線を辿った映果さんは慌てて頷く。

 ピクリと動くのは万葉子ちゃん。俺をちらりと見つつ、三崎を凝視する。ああ、これが友人の彼氏候補チェックというやつだな。今ならよくわかる。

 万葉子ちゃん、安心してくれ。彼は俺の知る限りで最優良株だ。俺なんかの何倍も条件がいい。君の友達の幸せなら保証しようではないか。

 失恋したから自棄になっているわけではないが、今まで応援されてばかりだったせいか応援するのが楽しい。特に、映果さん相手だと。

「三崎、次、お前!」

 話している最中に割り込んでくる声。運営チームの誰かが遠くで手を振っていた。

「あ、ごめん、得点係だったんだ」

 慌てて戻ろうとする三崎を引き留める。

「俺代わろうか? 出ずっぱりじゃん」

「言いだしっぺだからさ、やっぱりちゃんと働かなきゃ」

 爽やかに笑う。その責任感の強さを、今少しだけ恨めしく思った。

「ごめん、行くね。槙村さん、あとでみんなで飲み食いする時間あるから、そのときちゃんとうちの女子紹介するね」

「す、すみません。お手数おかけします」

 会釈する映果さんに手を振って去ろうとした彼は、急に足を止める。

「そうだ、松井しばらく出番ないだろ。コンビニそこにあるから飲み物とか追加で買ってきてくれない?」

「わかった」

「レシートはちゃんと貰ってきて。あとで清算するから」

 口頭で具体的な品名をあげた三崎は、じれた再度の呼び声に、慌ててグラウンドの端へ向かっていく。

「頼んだよ、先生!」

「はいよ。じゃ、ちょっと行ってくるわ」

「行ってらっしゃい。ご苦労様」

 菊川よ、それくらい手伝うとか言わないのか。そんなに女子高生に囲まれていたいのか。

 息を吐いたそのとき、俺の袖を掴む手があった。

「あの、お兄さん!」

 万葉子ちゃんだった。爛々とした目に、嫌な予感がした。

「映果もお手伝いしたいって」

 本当にわかりやすい子だ。

 君は三崎を見たうえでまだ俺と映果さんをくっつけたがるのか。どう考えても応援すべきはあっちだろう。彰寿が生きていた頃、君など影も形もなかったわけだが、大叔父にあたる人間やってた俺の気持ちをすこしは察してほしい。

「寒いなか女の子に重いものを持たせるわけにはいかないよ。それに一人で十分持てる量だから大丈夫。ありがとう」

「いえいえ、遠慮なさらずに」

 ぐいぐい押してくる。この強さは里津子さんに似たのだろうか。

 遺伝に感心している場合ではない。こうしているうちにも時間は流れていく一方。俺の次の出番が来る前に用件は済ませたい。

「じゃあ、槙村さん、悪いけど付き合ってくれますか?」

 かなりげんなりした声になってしまったが、映果さんはいつもの笑顔で了承した。

 せっかくだ。道中、三崎のよさでも語っておこうか。



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