第六話 どうせ俺が悪いですよ
用件を言い終えた三崎は、サークルがあるからと去っていく。
時計を見ると、少々中途半端な時間帯だった。
「映果さん、このまままっすぐ帰ります?」
彼女はしばらく考えたあと、首を横に振った。
「この近くに穴場カフェがあるって聞いたから、そこ寄りたいかなって」
「誰かと待ち合わせとか?」
尋ねると、わずかに顔を背ける。
「いえ、一人だけど」
触れてはいけないものに触れてしまったような気分になる。いいじゃないか、一人でも。
「松井、一緒に行けばいいじゃん」
菊川がよけいなことを言い出した。
「いや、俺は」
「あの……菊川さんもよろしかったらどうです?」
まったく。こいつには遠慮をみせるんだから。やっぱり俺だけやけに気安いよな。前世が前世だからと言ってしまえばそれまでだが。
菊川は俺たちを見つめて、にこにことしながら頷いた。
「四時くらいまでなら。松井、お前今日夜まで何もないよな?」
くそ。逃げ道をふさがれた。スケジュールを把握されていると、こういうときに不利になる。
俺は渋々了承する。
「お前も付き合いいいよな」
棘のある声で言ってやると、かつての敵はさも友人思いを装った体で肩を叩いてくる。
「二人きりだと不安なんだろ」
映果さんのことばかり警戒していたが、思えばこいつにもいろいろ弱みを見せてしまっている。だが今さらどうすることもできず、俺は何も返せなかった。
件の店は、雰囲気がよくて人気がありそうなわりに混雑しているというほどではなかった。確かに穴場なのだろう。意外に広い空間と、他の客をあまり意識させないテーブル配置。やや女の子向けの内装だが、男でも居心地の悪さはあまり感じられない。
あちこちにさりげなく飾られたクリスマス雑貨を見て、年の瀬が近いことを改めて実感する。
木製の丸テーブルに座り、映果さんはメニューをひらいた。
「ここは紅茶とスコーンが売りなんですって。桧山さんから教えてもらいました」
いきなり飛び出た名前に、危うく飲んでいた水を吐き出すところだった。聞いたっていうのは彼女からだったのか。
「……へえ、結構連絡とってるんですか?」
正直意外だった。あの後、芹花から何も聞かされてないし、映果さんも特に桧山さんについては触れてこなかったから。
「お互いの食べ歩き情報交換とか、ちょっとね」
そういえば、この人の趣味はお散歩だった。お嬢様がそうふらふら出歩いて大丈夫か不安になるが、前よりはマシか。
彼女はやけに自信に満ちた様子で俺を見てくる。
「ここ、桧山さんよく来るらしいですよ。大学からも近いんだし、通い詰めていれば偶然会えたりするんじゃないかな」
「……むしろ、彼女に連れてきてもらう形式のほうがよかったんじゃ」
古典映画の女優のような否定の仕草を見せつつ彼女は笑う。
「わかってないなあ、運命的なのに弱いのが女の子ってものなの」
誰が女の子だ。言わないけど。
「ああ、なるほどね」
理解した風に同意してみせる菊川に、上機嫌な顔を向ける映果さん。やけに通じ合っている。
まずい、かつてのお茶会と同様の構図になってきたぞ。嫌な展開になるんじゃないか。
「道自体はわかりやすいから今度は案内なしで来られるよね? ここまでお手伝いしてあげたんだから、それなりの成果期待してますよ!」
「はあ」
「何、その気のない返事は。桧山さんのお気に入りのお店が自分の大学の近くなんて素敵じゃない。活用しないと。ここ、デートにもぴったりだし」
まあ、この沿線にはあの人の学校もあるから来ても不思議ではないけれども。そう答えれば、こういうチャンスを利用しないからいつまで経っても進展しないんだと叱られる。横から菊川も映果さんの援護射撃を食らわせてくる。
女性関係でこの二人からいろいろ言われるなんて苦痛だ。
「もしかしたら、今日遭遇しちゃったりして」
カップを片手に楽しそうな映果さん。
「遭遇は三崎でやったし、今日はないでしょう」
そんな偶然、何度もあってたまるか。
「あれ、みなさん? 偶然ですね!」
三人同時に固まる。
あわてて振り向く。予想外の事態に瞠目する。
「桧山さん……」
まさかの姿に、二の句が継げなかった。
彼女は、やけに弾んだ表情で俺たちの席に近づいてくる。いつもよりもお洒落な服装のせいだろうか、いっそう明るい空気をまとっているように見えた。
「どうしたんですか?」
映果さんがすばやく笑顔を取り戻す。
「わ、私が大学の見学したくて、お二人に案内してもらってたんです」
なるほど、と桧山さんは小さく頷く。
「それでこの組み合わせなんですね」
「桧山さんとお会いするとわかってたら、芹花さんも誘ったのに残念! ここオススメだって仰ってたじゃないですか、だからちょっとお礼をってことで来たんです。素敵なお店ですよね」
「そうだったんですね。紹介してよかった~。ブルーベリーの頼みました?」
「はい、注文しました。早く食べたいです」
和やかな女子たちの会話が展開されるが、桧山さんは立ったままだ。
「ひとつ席空いてますし、よければ座りませんか?」
そう声をかけると、慌てて彼女は手と首を振る。
「いえ、私も連れがいるし、もう出るので」
どうやら桧山さんは俺たちとは互いに死角に入る席に座っていたらしい。この様子だとさっきまでの会話は聞かれなかったようでほっとする。
連れか。だったら話しこんだら悪いな。
「お友達ですか?」
「歩実、どうしたの?」
同年代と思しき男が、そっと彼女の肩を叩いた。
「あ、ごめん。ちょうどお友達に会って。今行くから」
「先出てようか?」
「大丈夫」
たったそれだけの会話なのに、親しいのが伝わってくる。
嫌な予感が俺の口を動かす。
「もしかして、彼氏、ですか?」
一気に紅潮する、彼女の白い肌。
「ま、まあ、そうなんです」
俺たちの硬直に気づかない様子で、彼女はばたばたと手を動かしながら続ける。
「ええ、ようやく私にも春がやってきて! もう、本当このまま、彼氏できないまま社会に出るかと思ってたんですけど、私全然モテなくて!」
照れを隠そうとするようにかなり早口だ。彼氏さんはそんな恋人の様子に苦笑する。
「趣味が趣味だもんな」
「ちょっと、やめてよ」
そう言いながら彼の腕を叩き返す。出会って二年経つが、彼女のこんな表情を初めて見る。彰寿の話に熱中しているときと似ているが、その笑顔は今、たった一人のためだけに向けられている。
彼を見上げる彼女の姿は、とても綺麗だった。
恥ずかしいから芹花にはまだ内緒でと言い残して、彼女は彼と手をつないで出て行った。世間は冬だが、その並んだ後ろ姿の周囲だけは花咲く春のようだった。
恋の季節だの何だの言っていたのは、自分のことを含めて、だったのだろうか。
正面に顔を向けると、菊川と映果さんが同時に肩を跳ねさせた。
重い空気。俺よりも二人のほうがよほど気まずそうだ。
「二年、だもんね。まあ、あの人美人だし、彼氏の一人や二人できるよね。むしろ今までいなかったっていうのが不思議だし」
「俺……元カノと完全に自然消滅になるまで半年かそこらだったかな。うん、二年は長いね」
同情的な視線が突き刺さる。やめてくれ。むしろ今、そう、今笑ってくれ。この二人には哀れまれる方がずっと辛い。
いつの間にか運ばれてきていた紅茶に手をつける。まったく味を感じない。今こそ、甘ったるい砂糖だのミルクだの突っ込むべきかもしれない。
飲み下すと、じわじわと後悔が広がった。長引かせすぎて薄れていったと思われる恋心は、まだ確かにあったようだ。
法子とはまた別の喪失感がこの身を満たしていくような気分。
もしも彰寿のことがなければ――その仮定以上に虚しいものは、この場にはないだろう。本当に好きだったら、それも全部飲み込んで進むべきだったのだから。
いい人だった。それしか今は言葉が出てこない。芹花と彼女の関係を思うなら、みんなで集まったあの日以降に行動しなかったのは正しかったのだろう。
「ごめんなさい」
映果さんが俺以上に暗くなる。
「今日私がここに来たいって言わなければ」
むしろ今日わかってよかったのだ。でなければもっと悲惨なことになっていただろうから。
「気にしないでください」
そう返しても、彼女の顔に光が戻らない。
「元気、出して……」
まずあなたが元気を出すべきではなかろうか。俺以上に落ち込まなくてもいいのに。おかげでむしろ冷静になってしまう。
邪推してしまっていたが、彼女なりに応援してくれたのだ。それも今となってはありがたく思うのだから不思議だ。
今日のお茶代は、映果さんと菊川の割り勘だった。




