第五話 とにかくネタは渡さない
十二月も後半になると、いっそう冷えが身にしみる。もう年内は講義に出ないと決め込んでいる学生もそれなりにいるせいか、大学内もやけに閑散として見えて余計に寒々しい。
そんなある日、高校が休みの映果さんがうちの大学に来た。オープンキャンパスは学生を呼び込むためによそ行きの表情を作るから、普段の授業がどんなものか知りたかったのだという。
年末で半ば締めに入った一般教養科目だったが、そこそこ楽しんだようだ。正寧とは大学の風景も異なるからだろう、新鮮な様子できょろきょろとしつつも熱心に話を聞いて配布資料に書き込みをしていた。
「潜入ってスリルありますね」
カフェテリアで彼女はにこにことコーヒーを飲み、講義中は外していた帽子を頭に乗せる。
「潜入っていっても、別に部外者が紛れ込んでも誰も気にしないし」
出席すべき人間がサボれば問題もあろうが、出席する必要のない人間がいても大した不都合はない。よほど少人数のところなら目立つかもしれないけれども。
「もう。そうやってすぐ気分壊すんだから。相変わらず配慮のない人」
また立腹させてしまったみたいだ。彼女はわざとらしく頬を膨らませる。今自分の手にあるのが紅茶のカップでなくてよかった。きっと砂糖をどっさりと入れられたことだろう。
「槙村さんは具体的にどの学科志望なんですか?」
菊川の問いに、彼女は顎に手をやる。
「そうですね、社会学やれたらなって思ってるんです。それか経済系で。上の学校だと英文学とか国文学とか保育とかなんで、外に出るしか選択肢なくて」
「経済ですか。女の子少なめだって聞きますけど」
「ああ、確かに。でも、私の周りにはちらほら志望者いますよ」
そっち方面は俺じゃ限界があるな。
「うちの経済だったら、俺の中高の同級生がちょうどいるから連絡とりますよ」
「え、そんな、悪いからいいよ」
「話聞けるならそれに越したことはないでしょう。今日みたいにあっちの授業も紛れ込ませてくれるかもしれませんよ。あちこち受験してたから他の学校のこともいろいろ教えてくれるはずです」
携帯で三崎にメッセージを送ると、まだ二人との会話に戻らぬうちに電話がかかってきた。
「久しぶり~」
「久しぶり。どうした?」
こんなに早く折り返しの電話を寄越すなんて。
「ちょうど俺も話あってさ。今、学校?」
「ああ、学校だけど――」
人と一緒にいる。言おうとしてふと顔を横に向けると、ちょうどその先に三崎がいた。あちらも気づいたらしく、爽やかに笑いながら寄ってくる。タイミングがいい、と言えるだろうか。
中学高校と毎日のように顔を合わせており、今も同じ大学に通うというこれもまた腐れ縁と言える付き合いだが、学部が違うから会わないときは本当に会わない。ただ、絵に描いたような永喜時代の大学生として、キャンパスライフを満喫しているのは知っている。
彼は菊川に会釈しながら、映果さんに目を留めて首を傾げる。
「同じ学科の子?」
「いや、さっき言った妹のクラスメート。うちの大学受けるかもしれないからちょうど案内してるところで」
「可愛いね」
ああ、映果さんみたいな子好きだよな、お前。
興味深そうな様子で彼女を見つめながら、三崎は挨拶する。
「どうも、松井と中学から一緒の三崎です」
「初めまして、槙村です」
面と向かって可愛いと言われたのが原因か、映果さんは一瞬声を上ずらせる。
「芹花ちゃん元気? 最近会ってないなあ。学校じゃどんな感じなの?」
「はい、いつも明るくて、クラス行事のときはたいていリーダーやってますよ」
「へえ、兄妹そろって」
三崎の視線を辿るようにして、彼女も俺を見る。
「智樹さんもそうだったんですか?」
もしや高校時代の話を聞いてネタを仕入れるつもりか?
「本当ちょうどよかったよ、三崎。この人経済も視野に入れてるみたいなんだけど俺じゃわからんからさ、お前に聞けたらなって」
それを受けた三崎は気さくな様子で、自分の学科について説明しはじめる。
映果さんはにこやかに相槌を打ちながらも、どこか不満げな様子で俺をちら見する。やっぱり予想したとおりだったか、危ないところだった。弱みは握らせないようにしないと。前世ではいろいろと情報がわたって大変だったからな。
一通り話し終わったところで、三崎は自分の携帯を取り出す。
「SNSは何かやってる?」
「いえ、特に」
三崎はさらっと紙に何かを書いて映果さんに渡した。
「もしも他に気になることあったら、これ俺のメアドだから気軽にどうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
遠慮がちに手を差しだして受け取る映果さん。それを見て閃いた。
三崎と彼女、なかなかの組み合わせではないだろうか。
元華族には及ばないものの、彼もいいところの坊ちゃんだ。槙村家に引け目を感じる必要もないだろう。それに女の子の扱いは心得ているし、軽そうに見えて真面目だし、性格もいいし、映果さんのことも安心して任せられる。しかも、ちょうど彼女と別れたばかりだ。
映果さんこそ彼氏を作ればいい。俺ばかりに構っているのはよくない。前世を吹っ切ろうと約束をしている間柄なのだ、俺も協力しようではないか。三崎はあまり途切れないからなるべく早い方がいいな。
「映……槙村さん、こいつ面倒見いいからどうぞ頼ってください」
俺の意図を察したのか、菊川が軽く吹き出す。
映果さんはというと、俺相手のときとは別人のように控えめな様子だ。いつだったか、ナンパされてたときのことを思うに、案外男慣れしてないのかもしれない。元は男性だった人にこう言うのも不思議な気もするが。
「何かあればぜひ。そうだ、松井、さっきの話なんだけどさ」
自分の用件よりも俺の頼みをまず優先してくれたところが、やはり彼らしい。
「うん、何?」
「運動会やらない?」
「は?」
三崎は手帳の一月のページを開いて、あるコマを指す。
聞くところによると、大学で仲良くなった人たちと運動場を借りてイベントを催すことになったのだとか。
「高校のときの体育祭みたいなのやりたいよねって話しててさ~。ほら、大学のって今までのとちょっとちがうじゃん。もっと全体で盛り上がれる感じのやりたくてさ」
最初は同じ学科の仲間内だけのつもりでいたが、今日になってもう少し参加者がいてもいいんじゃないかという話が出て、各々知り合いに声をかけることになったらしい。それで三崎も誰を誘うか考えていたところに、ちょうど俺のメールが届いたというわけだ。
「ガチなもんじゃないよ、本当どれもゆるゆるだから」
それぞれの友人を集めて交友関係を広げるのが目的らしい。
「経済のやつら中心だけど、文学部の人も何人か声かかってるはず。俺も、小松とか別の学校行ったやつも誘うつもりだし」
「あ、小松か。卒業以来かも」
三崎や赤城ほどではないが彼とも高校まではたびたび遊んだし、我が家にも来たことがある。同じ大学の三崎でさえあまり顔を合わせないのだから、他のところに進んだ同級生はもっと会わない。
「お互い近況報告できるじゃん。野球はやんないけどさ、俺の顔立てて参加してよ~」
野球だったら確かに心惹かれたかもしれないが、そもそも俺だって中学受験を機にやめたからブランクがある。
三崎は中高とずっとバスケだったが、スポーツは何でも好きだ。みんなでバッティングセンターなどに行くときも、真っ先に言い出すのはこいつだった。それで、運動は苦手な赤城にぶうぶう言われたりして。懐かしいなあ。まだ卒業して一年経ってないのに、かなり前のことに思えてくる。実際は、前世の彰寿としての日々のほうがずっと遠いのだが。
いかん、思い出に浸ってる場合ではない。俺はけして愛想がいいほうでもなければ交友関係も狭いし、友達も多少いるとはいえ浮きそうだ。真っ先に声をかけてくれたのは嬉しいが、三崎は顔広いから俺でなくてもいいだろうし。
「うーん……」
「お話聞いていると、楽しそうですね」
「槙村さん興味ある?」
俺の様子を窺いつつも、やけに弾んだ調子の三崎。
「よかったら応援に来ない? うちの学科の女子も来るし。他の学科も気になるんだったら、そこの人たちも紹介するよ」
「どうしようかなぁ」
ちらりと俺を見る。
「ちょっと待って。予定確認するから」
手帳を開いてみるが、予定は何もなかった。
三崎には昔の恩があるし、俺は二人の仲を取り持ちたい。
映果さんは他の男にはおとなしくなりがちだから、俺がいるとあまり動かないかもしれない。知っている人が三崎しかいなかったら、彼を頼る可能性が高いのではないか。三崎だって、知り合いが自分しかいないんだったら気を遣ってくれるだろうし。
よし、バイトを入れておいて不参加にしようか。それで、三崎に彼女のことをよく頼んでおこう。
「ごめん、その日――」
「あ、智樹さん空いてるっぽいね」
横から覗き込んでいた映果さんが俺の言葉を遮る。
「よかったー! 期待してるから頼むよ、先生!」
「じゃあ、俺たち応援にいくよ。槙村さん、芹花ちゃんと鈴森さんも誘ってみよう。桧山さんは……難しいかな?」
それを聞いた三崎は人懐こい笑顔を向ける。
「菊川さんでしたっけ? それならいっそのこと一緒に参加しません? 事前にチーム練必要とか、そんな感じでもないんで」
「いやいや。俺、彼ほど戦力になりませんよ」
お前だってもっと鍛えればいいのに。
「ただ盛り上がりたいだけのイベントなんで。勝ち負けはいいんです。楽しみましょうよ」
彼らは俺抜きで話を進める。待て、俺はまだ頷いてないぞ。
映果さんのほうを見ると、おなじみのニヤリ顔があった。
せっかく工作しておこうと思ったのに。まあ、よく考えればこの人も知り合いがいたほうがいいに決まってるか。
桧山さんの件でかなりいじられているし、俺もお返しができるように頑張ろうではないか。




