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第三話 真打ち登場と言っていいのやら


 ポカンとした彼は、俺と目を合わせる。

 加齢による変化はあったが、よく知った顔だ。本に載っている写真のとおりでもある。

「今、君たち、なんと……」

 呼吸を乱した彼は胸を押さえる。とっさに菊川はその身体を支えた。

「座れるところ行こう。あっちに椅子あったよな」

 さすがはボランティア青年。こういうときに行動が早いのは見習うべきところだろう。

 しかし、前原は彼を手で制する。

「いや、いい」

「先生、こちらにいらっしゃいましたか」

 スーツ姿の男性が小走りで近づいてくる。館の職員か、それとも秘書か。

「少し休んだほうがいいと思います」

 菊川の言葉に、彼は即座に頷く。

「とりあえず控え室に。先生、お加減は」

「問題ない。それより、き……君たち」

 その声に訛りはなく、やや薄い色をした双眸が俺たちをしっかりと捉える。

「これから用はあるかい」

「……あなたの講演を聴きに来ました」

 彼は意外そうな様子を見せつつも硬い表情で言う。

「それならば終わったら……私のところまで来なさい。しばらくは会場に残っているから」

 何度か深呼吸して呼吸を整えたあと、男性の心配を受けながら、彼は去っていく。葬儀のときと同様、齢を重ねても立ち姿は変わらず、ラフなシャツを着たその背に軍服を重ね見た。

 俺たちは顔を見合わせる。

「気づいたかな?」

「さあ……」

「もしもさっき話してたことについて訊いてきたらどうする?」

 菊川は顎に手を当て、床に視線を落とす。

「正直に言ったとして信じるかな?」

 俺は今まで菊川と映果さんの二人以外に転生の事実をきちんと打ち明けたことはない。菊川も同じく俺たちだけだろう。前原が柔軟に受け入れてくれると確信は持てなかった。俺たちにとっては現実でも、前世の記憶を持たぬ者にとっては夢物語のようなものなのだから。

「じゃあ、適当にごまかすか?」

 菊川は俺を見る。しばし沈黙を置いたあと、ぽつりと、

「信じなくて当然だよ。彼が信じなくても……俺たちに失うものなんてないじゃないか」

 時間が迫り、講堂に移動した俺たちは空いている席に座って開始を待った。あんな状態で講演ができるのか心配だったが、数分後、壇上には颯爽と立つ彼の姿があった。

 基本的には、軍絡みの至ってまじめな話だ。あの芹花と桧山さんのバイブルとかいうふざけた本のような嘘話も出てこない。時勢に絡めたエピソードを披露するほか、商売っけも出して自分の本の宣伝はあるくらいで。

 室内は満員で、席に座っている人々は実にバラエティ豊かな顔ぶれだ。若い女の子もいれば、同年代の老人もいる。

「うまいねえ。そういえば、教育学の成績よかったよな」

「ああ、確かに」

 これだけの人間を真剣に聞き入らせたり、冗談で笑わせたり、俺にはとてもできない。

 前原の話は盛大な拍手とともに幕を閉じた。彼は講演会終了後も会場に残るのが恒例のようで、大勢の前では聞きにくい質問やらサインの求めなどに応じていた。

 それを遠巻きに眺めていると、彼は俺たちに目を留め、手招きをする。

「君たち、これからまだ時間はあるかい?」

 一瞬だけ視線を合わせ、ほぼ同時に二人で頷く。

「なら、ちょいとそこで茶でもしばこうや。今切り上げるから」

 控室に置いた荷物を取りに行った彼を待ち、三人で近くのホテルのティールームに向かう。移動の途中は全員無言だった。

 案内された四人席。俺と菊川が隣り合わせに、前原は向かいに座す。

 そして彼は額のほくろのあたりを掻きながら、目をすがめた。

「すまんな、呼び止めてしまって。君たちの言っていることが気になって。その……」

「俺たちの会話、ですか?」

 菊川の問いに前原は無言で頷く。

「結城と佐藤について知っているのはわかるんだ。だが、私のあだ名まで」

 俺は彼の様子を見ながら慎重に肯定した。

「ええ……知っていますよ」

 ほくろさん。いつも俺たちが口論していると、めざとく見つけて仲立ちをしていた。気まずさを少しでも取り除き、朗らかな調子で場を納めようとした男。

「著書にはありませんでしたっけ、『ほくろさん』」

「まさか。そんなちっぽけで私的なこと書かんよ。それに、そんなに親しくないやつらのほうが使っていたものだ」

 答えるその声にやはり訛りはない。これこそが彼の本来の喋り方だ。けれども、前世の記憶を取り戻して以来たびたび見る夢では、いつも方言を使っていた。高山田との言い争う場面ばかりだったせいだが。

「身辺に私と近い人間がいるのかい? 誰かから聞いたのかい?」

「いいえ」

 菊川は俺と前原の様子を確かめるようにしながら、首を横に振る。突撃の機会を窺うように無言で元の同期を見つめ、ゆっくりと言葉を発する。

「俺たちは、直接知っているんです、あなたのこと。もう、ずっとずっと前から」

 前原は、俺たちを真っ直ぐ見返す。

「直接?」

 菊川はただ見返すのみ。そこで、俺が口を開いた。

「俺はかつて……あなたに言われたことがあるんですよ。お前ら、よう似とると思うわって」

 老いた目が、わずかに開いてみせる。横からは、菊川の溜め息とも相槌とも言えない声。そういえば、あのときこいつはへそを曲げて去って行ったんだった。

 おそらくこの会話を知るのは、俺と彼、あとはその周囲にいた数人。少なくともバイブルとやらには載っていない。

「同じ環境なら同じような人間になってたに違いないって」

 前原、わかるか? 覚えているか?

「これ、本にはそのまま書いてませんよね。誰に言ったのか、覚えていますか?」

「それは――」

 前原は言いよどみ、そっとハンカチで額を拭く。

「その相手……本人が今ここにいる、と言ったら、あなたは信じますか?」

「何を」

 彼は身を乗り出すようにして、顔を近づけてくる。

「君ら、もう高校生でもないだろ? 年寄りを妙な話で騙してはいかんよ。別に詐欺だって言っているわけじゃない、からかいはやめてほしいんだ」

 彼の視線が刃に転じて俺たちに切り込んでくる。

「私にだって他人におふざけで触れてほしくない過去だってあるんだ」

 その言葉は、ありがたく思うべきだろうか。俺たちのことを冗談に利用してほしくない、という意味ならば。

 それならあの本は何だ、あの本は。苛立ちがわくが、それはひとまず置いておこう。

「俺たちは真面目ですよ。真剣に話しているんです、自分たちの思い出を」

 そこに、菊川がそっと口を挟む。

「いつもあなたと、結城と佐藤が、喧嘩している俺たちの仲裁役でしたね。いつだって」

「死ねなんて簡単に言うもんじゃあない、我らは畏くも――ってやつだとか言ってさ。そうそう、こいつが祖父を亡くしたときは、お前は石どころか岩投げとるやないかって」

 大きな音を立て、前原が立ち上がる。

 俄に信じられぬと言わんばかりに、俺と菊川を交互に見ながら、そっと口を開いた。

「どこで、それを?」

「実体験ですから」

 まさか、と彼は小刻みに震える。

「その年頃だと、同期の孫か? それとも」

「言われた本人だよ、前原。苦楽をともにし、今日も明日もお国のためにと共に励んだじゃないか」

 はたしてお前は信じるだろうか。俺たちの身に起こった、正寧時代に生きていた頃は考えもしなかった空想話を。

 沈黙。

 しばし俺たちを見比べた彼は、

「鈴森? 高山田?」

 と呼びかけるが、指す手は逆だ。菊川が即座に訂正する。

「こっちが鈴森、俺が高山田」

 一瞬、飲み込まれるかと思った。それくらい、あんぐりと彼は口を開ける。

「ど、どういうことで?」

 俺たちは、大学での出会いを中心にしてこの奇妙な縁を交互に説明した。前原は額のホクロをぴくぴく動かしながらそれを唖然としつつ聞く。

 そして、あらかた話が終わったところで、彼は下を向いて震え始めた。

 泣いている……わけではない。

「ふ、ははは、はははは」

 カップに手を伸ばして口をつけようとするが、震えてうまく飲めない様子だ。

「こんな妙な話もあるものだ! まさか、高山田と鈴森が仲良く生まれ変わって、今や友人とは」

 このまま呼吸困難でそのままポックリ逝ってしまいそうなほどヒイヒイ笑い転げる。

「しかも、鈴森、お前、どっからどう見ても一般人顔じゃないか。やめてくれ、やめてくれ、おかしくて死にそうだ」

「顔のことはとやかく言うな。今の俺の両親に謝れ。ついでにそのまま一度あの世と往復してこい」

「高山田、何や、その頭。まるで今時の若者みたいで」

「放っておいてくれ。いじりたがりの姉と愉快な仲間たちがいると、いろいろあるんだよ」

 前原は店員が様子を見にやってくるほど激しく笑った。しまいには、痙攣したようにぴくぴくとなりながら突っ伏す。菊川が立ち上がって、その背を優しくさする光景に妙な気分になる。

「まさか、何十年も経って、こんな経験するとはな。長生きするもんだ」

 信じてくれるかどうか真面目に考えた自分が馬鹿らしく思えた。こいつ、順応性高すぎる。

 一連の流れが、くだらない滑稽劇に思えた。






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