表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/77

第二話 女子相手の商売はもうかりまっか



 上映会から一週間後、年明けのレポート提出及び試験ラッシュに備え、俺は菊川を伴って帰宅した。

「お帰りー。菊川くん、こんにちはー!」

「こんにちは。今日もお邪魔します」

 母さんは彼がやけにお気に入りだ。

「寒いよね。菊川くん、生姜は好き?」

「ええ、好きです」

「じゃあ、今日はハニージンジャーティーにするね」

 菊川は嬉しそうに、頂きますと会釈する。母さんはにこにこと笑いながら、手を叩く。

「今日、歩実ちゃんも来てるんだよ。賑やかだねえ」

 珍しい。こんな短いスパンで彼女が来るなんて、高校以来じゃないか?

「あ、そうなんですか? すみません、俺まで押し掛けちゃって」

「気使わないで。ちょうどね、シフォンケーキ焼いたの。むしろ食べてくれたほうが嬉しいな」

 菊川は愛想よく笑う。

「では遠慮なく。おばさんのケーキ美味しいんで実は楽しみにしてたんです」

 余計なこと言うな。今度来たときにまるまる一台持たされるぞ。

 顔全体がお花畑にでもなったかのような母さんを置いて、俺たちは階段を上がる。

「あー、松井家いいなあ。そこらの店よりいいの出してくれるし」

「我が家を無料カフェだと思ってないか?」

「外見自体、カフェっぽいよね」

 そのときだった。

「いやあああああああああ!」

「うそおおおおおおおおお!」

 悲鳴の二重唱が聞こえてきた。芹花と桧山さんの声だ。

 俺たちは顔を見合わせ、残りの段を一気に駆け上がって芹花の部屋のドアを開けた。

 そこには、パソコンの前で絶望的な表情を浮かべる二人の姿があった。

「何? どうしたの?」

 ふと菊川がさりげなく床に広げてあった本を閉じて目立たない場所に移動させた。その装丁は同人誌だな。うん、俺も見なかったことにしよう。

 そんな片思い相手の行動にも気づいていないらしい芹花は、桧山さんと一緒にぷるぷると震えている。

「お、お、お兄ちゃん……」

「何があった?」

「どうしよおおおおお、かぶっちゃったああああっ!」

 不肖の妹は絶叫しながら顔を机に伏せる。意味がわからない。せっかく愛しの菊川がここにいるというのにどうしたんだ。いつもかぶってる猫はお散歩中か。

 半分魂が抜けたような声で、桧山さんが続く。

「菊川さんも知ってるかな? 前原進一先生。彰寿さんや邦勝さんと軍学校で同期だった人で、いろいろ本を書いているんです」

「ええ、もちろん」

 ちょうどこの間、葬儀で姿を見かけたばかりだし。

「その前原先生が、軍博で急遽講演をやることなったそうなんです。再来週」

「ああ、そうなんですか」

 彼女の示す画面を菊川と二人で覗き込む。ホームページを見ると、確かにこの手のものにしては珍しく告知が遅い。日程にまったく余裕がない。

「気さくな方で、講演会のあと質問すれば軍学校時代のこといろいろ教えてくれるんですよ。できる限り行こうとしてるんですけれど」

「けれど?」

「私たちの……別の用事と日時がだだかぶりなんですっ!」

 まるでこの世の終わりが来たような様子だ。

「はあ……。だったら、手分けして行くとか」

「お兄ちゃん何もわかってないよ! 私たちにとってイベントがどれだけ大事だと思ってるの?」

 イベントって、あれか、同人誌即売会とかいうやつか。確かにわかっていない。わかりたくもない。

「イベント?」

 小首を傾げる菊川に、芹花は慌てて笑顔を取り繕う。

「えっと、共通の趣味の集まりがあって」

 もう腐女子趣味を誤魔化す必要なんてないのに。

「じゃあ、今回は前原の講演諦めれば」

 俺の言葉を菊川が遮る。

「代わりに行きましょうか?」

 菊川に、三人分の視線が集まる。

「大学の授業に役立ちそうだし、俺と松井で行きますよ。電話で申し込みすればいいんですよね?」

「は? 勝手に――」

「ありがとうございます!」

 爆発したような声で、女子二人は平伏する。つい気圧されてしまった……。まるで救いを求めるように二人は潤んだ目で菊川大明神を見上げる。

「すみません、じゃあ、前原先生に聞いてきてほしいこと紙に書きますので!」

「前回聞いたことのメモってどこだったっけ? あああ、いっそウィキりたいっ!」

 ハイテンションすぎて、言いだしっぺの菊川でさえ若干ひいている。

「あれ、皆で遊んでるの? 仲良しだねえ」

 のんきな顔をしながら、母さんが四人分のケーキセットを持って入ってきた。

 ああ、もう……。この家は何なんだ。

 菊川が電話をかけると、幸か不幸か空きがあるとのことで二人分の席を確保できた。芹花たちは狂喜乱舞、祭壇でもあるかのごとく菊川に何度も頭を下げた。

 二人が落ち着いたようなので、菊川と一緒に俺の部屋に移動する。

「いったいどういうことだよ。なんで」

 彼は我が物顔で俺の本棚から一冊取り出して勝手に読み始める。

「お前は、前世で関わりのあった人たちと何人も会ってるだろ? 俺、ないんだよね。お前くらいだよ」

「あ……」

 そうか、映果さんの前世である亮様も、彰寿のみ繋がりのある相手だ。鈴森の人間とも俺は対面している。けれども――。

 菊川は本心を見せないような笑顔で笑う。

「同期の顔でも拝みに行くってことでいいじゃないか。この間はすれ違っただけだし。あの前原がどんな先生っぷりを発揮してるか興味あるじゃない」

「先生っつっても、あれは……」



 年の瀬を意識しつつある、十二月の休日。運俺たちは日比谷の軍博に足を運んだ。

 講演に申し込んだ人間には、常設展のチケットが与えられる。何度も来ている場所だが、せっかくだし時間つぶしも兼ねて二人で一巡する。

 今日はやけに人が多い。しかも、若い女性を想像以上に見かける。

 女子たちはうっとりと彰寿の写真を見上げて、にこにこしながらこっそり何か囁きあっていた。

「あの人ら、全部腐女子かな」

 何気なく呟いた言葉だった。しかし、俺が思っている以上に響いたらしい。ザッと、十数人が一気に振り向いた。

「らしいね」

 菊川が苦笑する。どうも居心地悪く、俺は足早に出口へと向かった。

 ちょうど展示替えの時期なので企画展示室は閉鎖されている。第二の時間つぶしということで、ロビーを横切って資料室に向かうことにした。少々早いが、来年の授業の準備もしておきたいし。

 まだ時間があるが、すでに講堂の前には十数人ほど並んでいる。確か定員は五十名ほどだったか。

 それを横目に菊川は口を開く。

「しかし、急に決まったのに人を集められるんだから、前原もすごいよな」

「もう俺たちの世代も歳で、存命の人間も減ってきてるだろ。その分、仕事が増えて有名になっているんじゃないか」

 俺の発言を受けた菊川は目を細めた。

「正寧は、遠くなったなあ」

 感傷的な気分を引き出す言葉だ。

「……ああ」

 永喜生まれの俺たちだってもう大学生になったのだから当然か。革命時代は若者だった奉佳生まれの人間だって立派に高齢者だ。

「前原もだいぶハゲたな。ほくろが目立ってわかりやすい」

「こら、他人の老いによる変化を笑っちゃいかんよ」

「うるせえ、一人で勝手に大人の男気取りやがって。軍学校の時代は俺と死ね死ね言いあってたくせに」

「ああ、そんな頃もあったねえ」

 そうやって余裕ぶるところがまた気に食わない。

「資料によれば、革命でも同期の七割近くは生き延びているんだよな。俺たちのほうが少数派だ」

「あああ、忌々しい。お前のせいだぞ」

 軽く足を蹴ってやると、たしなめるように紙でやわく頭をはたいてくる。

「こらこら、乱暴はよしたまえ」

「死ねと言わないだけマシだと思え」

 ふふ、と菊川は苦笑する。

「言いあいしてると、いつも前原が割って入ってきていたな」

「ああ、そうだな。あのお節介、俺ともお前とも特別仲良かったわけじゃないのにな。今考えると、結城と佐藤が貧乏くじだったよな。前原がそっとしていれば俺たち取り押さえることもなかったろうに」

 あの三人組の顔を思い浮かべると、懐かしさが広がる。さすがに今日の講演には来ていないだろうか。

「でも、ほくろさんは、いい上官になりそうだなってあの頃思ってたよ。あと、鈴森の指揮する隊には絶対入りたくないとも」

「うるせえ、演習じゃ問題なかっただろうが。俺は、お前みたいにねちねち絡む上官のほうがよっぽどごめんだったね」

 俺の悪態なんて聞こえないかのように、菊川はそっぽを向く。そして、そのまま動かない。目を見開き、呆けたように立ちつくした。

「おい、菊川?」

 その視線をたどると、三歩ほど先に、菊川と同じような表情をした老人がいた。信じられないものを見るように、俺たちを凝視している。

 彼はハッとして、こちらに向かってきた。

「今、今なんと」

 菊川の肩をつかんで揺さぶる。菊川も動揺したように、口をパクパクとさせながら俺を見た。

 その鼻は高く、やや細い目。しわの目立つ顔に、二つ並んだホクロが確認できる。

「前原……」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ