第一話 こんなの「乙女」じゃない
俺と菊川、芹花に桧山さんに映果さん。不思議なメンバーでテレビを見ている。
『別に、お前のこと、嫌いじゃない……』
画面の人物は頬を染める。やたらキラキラした絵。いつものことながら、女性としか思えない。
『え、それって……』
そんなヒロインの台詞に、男性のイラストがそっぽむいたものに変わる。
『嫌いじゃないってことは、好きだってことに決まってるだろ!』
俺以外の全員が爆笑した。映果さんはクッションに顔を埋めて、足をバタバタとさせる。
ここは松井家のリビング。
世間はクリスマスだの正月だのに向けて浮かれ騒ぐ時期、うちの両親は土日を利用して一泊だけの旅行に出かけている。ちょうど二人の交際が始まったのが今の時期なのだとか。
残されたのは俺と芹花の二人。ここで芹花は何を思ったのか、桧山さんと映果さんを呼び寄せた。ついでに菊川も巻き込んで、現在この状況。
そもそも、桧山さんと芹花が乙女ゲーとやらを手に入れたのが事の発端だ。
乙女ゲーとは、物語の主人公を通して男性キャラクターと疑似恋愛をして、それぞれのエンディングに辿りつくもの、らしい。
それで、何をどう血迷ったのか、あの『カクハナ』の乙女ゲーがこのたび発売されたらしい。
芹花曰く、歴史系乙女ゲーは戦国や幕末が人気だが、ちょっと変化球をということで、今回の企画に至ったのだとか。どこ情報だ。二十年くらい前の作品なのに息長すぎるだろって感心すればいいのか、これ。
芹花からゲームのことを聞いた映果さんが興味を示して、みんなでプレイをしてみようと企画が立ち上がり、今に至るというわけだ。当初は女子三人だけの企画だったはずなのに、何故か菊川に話が行き、女性陣の熱心な誘いの末こうなった。
もちろん、最初の攻略キャラは言わずもがな。
「明らかにおかしい! 彰寿はこんなこと言わない!」
「そこはつっこまないでよ。これは彰臣なんだから!」
「知るか! ほぼ彰寿じゃないか!」
で、その彰臣とやらが、ヒロインの手を取って囁くイラストが画面いっぱいに映し出される。
『こんなことするの、お前だけなんだからな……』
きゃっきゃと騒ぐ女子の皆さん。腹を抱えて、無言のまま震える菊川。寒さのせいではない鳥肌をさする俺。
『鈴森、お前何してる!』
派手なBGMとともに割り込んできたのは、高山田邦勝――ではなく、高山川邦輔。
「おい、高山田が美形すぎるだろ!」
さりげなく菊川が腕を叩いてくる。事実なのに……。
『彼女から手を離せ、この下郎!』
「そこは、『こんげどうたれ!』だろうが。考証くらいもちっと真面目にやれ! なめてるのか」
前原よ、お前はどこまで捏造すれば気が済むのだ。後世の人間に正しい情報を伝えることが、今生きている者の義務ではないだろうか。
「お兄ちゃん、うるさいよ」
「え、え、これどうすればいい?」
画面に現れた選択肢に、映果さんは戸惑いながら助けを求める。
「映果さん、あんまりこういうのはやらない感じ?」
「私がゲームやるときってほとんど、弟が買ったものをついでにって感じだから……」
ちょっと縮こまりながら言う彼女に、桧山さんがアドバイスをする。
「えっとですね、彰臣の好感度アップが上で、邦輔なら真ん中、ネタに走るなら一番下」
「え、ネタ?」
「だって、明らかにあれはないでしょ」
「確かに! どこの武士かって感じですよね!」
初対面なのにすぐに仲良くなったな。
本来は携帯型ゲーム機でプレイするものだが、それをわざわざテレビにつなげている。それでこのメンバーで見るなんてどういう拷問だ。
「デザインもおかしいし、背景も間違ってるし。あの時代まだ」
「やかましい! 革オタは黙ってて」
「ていうか、今日は彰……臣じゃなくて、高山田だか高山川だかにしないか?」
「じゃ、多数決をとりましょう!」
芹花の号令が響いた。
結果、俺以外の全員が、彰臣コースに挙手した。俺は奮戦も空しく、敗北の憂き目を味わう。特に菊川……お前、覚えていろ。
女子たちに悟られないよう、信号でさりげなく恨み言を伝えたら、同じ手法でとぼけた返答を寄越してきた。
その後も散々「彰臣」は彼らの玩具となり、一同を大いに笑わせたあと、彰臣エンドを迎えてその役目を終えた。結構時間はかかったものの、桧山さんによるとこれでも短いほうなのだという。
「はー、堪能した!」
映果さんは笑いがまだ残っているのか、各所をぴくぴくとさせながらソファにもたれかかった。
「それにしても、銀座事件で終わらないからびっくり!」
「乙女ゲーってそのキャラごとにシナリオがあるし、わりと原作から逸れたこともできるんだよ」
そう、このゲームでは、現実ありえないが銀座事件で彰臣が死亡しないルートもあるのだ。まさか、こんな形で、俺が死ななかった場合のシミュレーションが行われるなんて……。
ただ、士官候補生時代より恩のあった政木中佐や楠田大尉らは、この一大事にまったく登場しない。それどころか、彰臣が生き延びたのはヒロインが銃撃から身を挺してかばったという、とんでもない展開だ。お前、どこから湧いてきた。
もう、乙女ゲーの乙女という言葉の定義もわからなくなってきた……。
流れるスタッフロールに前原の名を探すが、一切見あたらなかった。濡れ衣を着せてしまったことへの詫びと、きちんと関わってほしかったという恨みが半々になる。
「私も買いたくなりました。他の人のルートも気になる!」
「ぜひ! 邦輔さんルートもオススメですよ! でも、こうやって皆でわいわいやるっていいですね。智樹さんと菊川さんが理解あってよかったです」
「新鮮で楽しかったです」
菊川がにっこりと微笑む横で、俺はひきつった表情を必死に隠すのに精一杯だ。
「智樹さんのツッコミがすっごく鋭かったですね!」
「どうも……」
「いやあ、たまにはいいですね。こうやって乙女ゲー知らない人たち交えるっていうのも」
彼女が席を外した途端、映果さんは興奮しながら言う。
「いやあ、写真で見るよりもさらに美人! あれは惚れますね、智樹さん」
「……うるさいですよ」
「絶対取り持ってあげるから、頑張って!」
芹花は言わずもがな、映果さんも俺と桧山さんを取り持つのに必死だし、菊川も味方とは言えない。
万葉子ちゃんによる映果さん応援作戦ほどの居心地の悪さはないが、落ち着かないのは何故だろう。
「まずは桧山さんの本音を探りましょう。芹花さん、本当に彼氏はいないのね?」
「しばらく会ってなかったからその間はわからないけど、今現在彼氏がいないのは確実!」
女子高生二人は親指を立てる。
「あの、世話やいてくれなくていいんで」
「何言ってるんですか。今世話しないでいつするんですか」
力説する映果さんの向こうで、芹花が目を潤ませている。万葉子ちゃんと同じく、映果さんは俺のことを好きなのに身を引いたうえに応援していると勘違いしたままらしい。
ここに万葉子ちゃんがいなくてよかった。映果さん曰く、彼女のパワーは弩級らしいから。
そうこうしている間に桧山さんが帰ってくる。
「そうだ、智樹さん。彰寿さんのことなんですけど」
映果さんが切り出した瞬間、桧山さんの目が一気に輝く。わかりやすい人だ。
前世での従兄だった人が口にしたのは、資料ではあまり語られることのない、彰寿の幼少期のエピソード。鈴森家から聞いているという体の映果さんと、正寧時代の華族文化に詳しいという体の俺で、考察という名の思い出話になる。彼女にとっても一部は実体験であるはずなのに、いかにも伝聞のように語る技量は感心する。
映果さんは話題を提供して桧山さんの関心を引きつつ、肝心なところで俺にパスする。いつぞやの桧山さんよりも更にスムーズだった。
ふと横に視線を動かすと、芹花と菊川の姿が見えない。
「あ、二人、今キッチンに行きましたよ」
桧山さんはうきうきとした調子を保ったまま、声を落とす。
「ほら、夏以来今一つらしいじゃないですか、あの二人。芹花ちゃん悩んでて、相談受けてるんです」
「はあ……」
「智樹さん、槙村さん。芹花ちゃんの恋、協力しましょうね! 皆で応援してって頼まれちゃいました」
なるほど、俺と桧山さんの距離を近づけつつ、自分と菊川の進展も狙うか。あいつ、そういうところだけは頭が回るな。
思えば、勉強のときも、理解には時間がかかるが、一度覚えたら失敗はほぼない。あの原稿事件まで腐女子趣味を俺も気づけなかったし、万葉子ちゃんにもうまく隠しているようだし、人材としてはそこまで悪くないんだよな。あとは状況の判断能力くらい……いや、やっぱり捏造恋愛に勤しむという人格上の問題が大きいか。
そんなことを考えていると、桧山さんは困った顔をした。
「やっぱり、可愛い妹の恋って複雑ですか?」
「え、いや……別に」
むしろ芹花の恋自体はどうでもいいです。
「私にとっても芹花ちゃんは妹みたいなものだから、力になりたいんです!」
きらきらと輝く笑顔を目の前にして、やっぱりまだ諦めきれない心を改めて自覚する。
「ああ、そうですね……」
そんな俺を、映果さんはニヤニヤと見つめていた。その姿に、前世――亮様の姿が重なる。
果たして俺たち兄妹それぞれに進展があったかどうかはわからないが、雰囲気自体はいい調子を保ったまま、上映会のような何かはおひらきとなった。
迎えを呼んでいるという映果さんを途中まで送って、俺と桧山さんは並んで歩く。
「桧山さんは最近忙しいんですか?」
「今年は就活もありましたからね。でもようやく内定とれたんです」
そっか、課題だけじゃなかったのか。
「おめでとうございます。お祝いしたいですね」
「いえいえ、とんでもない」
言いつつ、彼女の目がパッと開いた。
「私が言うとあれですけど、そういう名目でまた皆で集まれませんかね? 槙村さんも芹花さんに協力的だし」
「えっと……」
「あとでちょっと作戦考えてメールしますね!」
どんどん複雑になっていく関係に、俺は力なく頷くしかなかった。
そこに止めの一発。
「そうだ、槙村さんね、智樹さんのこととっても褒めてましたよ!」
「え?」
「あんな可愛い子にあそこまで言われるなんて、智樹さんも隅におけませんね!」
「はああ?」
誤解だ! 桧山さんも大いなる誤解をしている。
何をしてくれたんだ、あの人。よけいに墓穴が広がったではないか。
いや、彼女のせいにしてはいけない。俺を応援してのことだから。からかいたいとか、俺の困る顔が見たいとか……むしろそっちのほうが自然に思えるが、この邪推は封印しておこう。うん、俺を応援してくれているんだ。しかし、しかし……映果さん、思いきり逆効果なのだが。
「恋の季節ですねぇ。これってすごいチャンスだと思います!」
もう俺には返事をする気力さえなかった。
冬は、嫌いだ……。




