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第四話 近くにありて遠きもの


 不本意なことに、高山田がいつもどおりご高説を唱えているところに出くわした。

 また、人間はすべて平等であるべき、か。

 休日に外出するたびに、妙な本や思想家に感化されていく彼に、憐れみさえ覚える。

 王侯貴族を処刑した連中が国を掌握するのは、はたして偉業と言えるのか。今度は彼らが特権階級になっただけではあるまいか。

 彼は理解していない。確かに華族には特権がある。しかし、全ての家がそれを享受できているわけではない。勲功により爵位を得られた例とて少なくない。位はなくとも、貧しい生まれでありながら自らの才覚により財を成した者など、珍しい話でもないというのに。それで満足すればいいものを、何故いちいち過剰な平等を唱えるのか。

 熱心な口調と顔つきがまた、俺の苛立ちを煽る。

 そもそも、そういった論説は自分の頭の中だけで行うべきだ。

 かように危険思想を堂々と口にしようものならば、お前の成績に障るだけでなく、原隊の誉れも損なう。俺たちはもう、予科の生徒ではないのだ。お前ほどの男が、何故それをわかろうとしない。

 幼い理想を口にするばかりの男が、世の中の何を変えるというのだ。

 こちらの存在に気づいた彼は、こちらを無視して持論を展開する。ああ、本当に見ていられない。

 俺は、わざと彼の言葉を遮るように口を開いた。

「下らぬ話はそれまでにしておけ」

 まったく。そのひん曲がった口は、歪んだ綺麗事しか発せぬのか。

「平等など絵空事に過ぎぬ。貴様の望む世の中になったとて、すぐに綻びが生じるだろうさ」

 さもなくば、遥か昔にそのような世界になっているであろう。俺は皮肉げに笑ってやった。

「何を……」

「軍人でなく紙芝居か小説でもやればいい。そのほうがお似合いだ」

 高山田は、軍学校のような学費不要のところでしか高等教育を受けられない、貧しい家の出身。不確かな商売に身を置けるわけがないと知っていた。だからこそ、俺はそこに触れてやった。

「ああ、師範学校に進まなかったことだけは褒めてやろう。純朴な子供らを洗脳されたらかなわんからな」

 彼は、ぎり、と唇を噛む。

「貴様こそ、軍人でなくてもいいだろう。鈴森」

 冷たくか細い声。

「侍従にも官僚にも学者にも、道楽やったって食うに困ることなどないくせに」

 確かに、俺には選択肢は数え切れぬほど存在するように見えただろう。しかし、俺の道は、たったひとつだけであった。

「わからんさ」

 彼は拳を震わせた。

「生まれつき全てに恵まれ、常に他人を見下している貴様には」

 そう吐き捨てながら、ぎょろついた目で俺を見る。

「まあまあ、お二人さん。そこいらで終わりにしようや。な?」

 割って入ったのは、前原だった。

 彼は成績こそ一段下がるものの、好人物で級友からの信頼も篤い。短く刈った髪の合間からふたつ目立った黒子が見えることから、ほくろさんとも呼ばれていた。

 どうやら幼少時苦労をしたようで、同期に争い事が起きたときは進んで仲立ちを買って出ていた。彼ならば良き指揮官になるであろうと評判であった。

 平時はさほどでもないくせに、こうして仲裁に入るときだけ、妙に訛りを出す。きっと、わざとなのだろう。気を抜けさせるのが狙いと見えた。

「苦楽をともにし、今日も明日もお国のため学びに励む我ら。そんでええやろ?」

「苦楽?」

 高山田は投げやりに笑った。

「都合のいいものしか見ぬこいつが何に苦しんでいるという。人の心がわからぬまま生きておる、錦を身にまとった芥も同然よ。ああ、小さいことが唯一のお悩みか。それはそれは幸せなことで」

「おい」

 同期の中でも、俺はとりわけ小柄な部類。それを気にしているのを知っておきながら、彼はわざと口にするのだ。

 侮辱されて思わず身を乗り出すと、前原とその親友の結城が出てきて、俺の肩を抑えつける。二人がかりで全力となれば、簡単に振り払うことができない。

「くそ、貴様のその劣等感を腐らせたところが嫌いなんだよ。いっぺん死んでこい。さすれば、愚かしいことを口にすることも考えることもなくなろう」

「しろしい、こんげどうたれ! 黙っちょれ! お前こそ死ねばえー、国益に――」

 興奮してお国言葉まで出てきた高山田を、横から出てきた佐藤が取り押さえる。

 お節介どもめ。

「こらこら。俺たちは何のためにここにおる。簡単に仲間に死ねなんて言うたらあかん。それに、畏くも――ってあるように、己だけの身やない。わかっとるやろ」

 前原の言葉は、俺もよく理解している。

「安心しろ、こいつにしか言わん」

 誰かがぼそりと、言う相手は敵兵だろう、と笑う。

「もう、そんな意味やないって何度――」

「何をしておる」

 その言葉に、俺たちは一斉に並んで直立する。教官が睨んでいた。

 仔細をうまく伏せた報告を前原より聞いた教官は、俺と高山田の顔を見比べ、一瞬顔をしかめた。そして、溜め息をつきながら、静粛に、とだけ言い残し立ち去った。

 そして訪れる静寂。本来ならば、拳のひとつやふたつでは収まらなかっただろうに。

「よかったな、高山田。ひいきしてもらえるお国の出で。十年前なら危なかったのではないか」

「そっちこそ。父上に感謝しろ。なんなら実家に帰ってしばし甘えてくればいい」

「貴様が田舎に帰れ」

 絵に描いたような青筋を額に浮かべ、高山田は乱暴にその場を去る。彼の友人の藤堂が、それを追いかけた。

 そこに、遠巻きにしていたはずの級友が一人、俺のもとにやってきて諭す。

「彼のことなど気にしてどうする。布教と貴様を怒らせることが生き甲斐みたいな男ではないか」

 そう言われようと、あの男が思想を振りかざす姿を見るたびに徹底的に叩きつぶしたくなる。

 上の人間と対等になりたいのならば、相手を引きずり下ろすのではなく、自分が一段も二段も上がればいい。現在勉学に励んでいるのもそのためではないのか。

 あいつはこの先もずっと、妬んでは相手の欠点を探して生きていくのだろうか。そんな惨めな人生、俺は真っ平御免だ。ああはなるまい、俺は自分の力をつけて上に行く。

 ああ、何という不愉快。心の底から思った――あいつならば死んでも心が痛まぬ、と。

「まったく、鈴森は、相手の突かれたくないとこをわかった上で一気に貫こうとするから恐ろしい」

 いつの間にか、前原が正面に立っていた。

「そんなに高山田が嫌いなんか?」

「嫌いだね」

 吐き捨てるように言ってやると、思わぬ言葉が飛び出た。

「まあ、でもな、お前らよう似とるわ」

「は?」

 前原は悪戯を企てているかのような表情だった。

「どこがだ。俺はあれほど卑屈でないし、粘着質でもない」

 ありえない。心身ともに、何ひとつ共通点が見当たらないじゃないか。気色悪いこと言わないでほしい。

「鈴森にそれが理解できんなんてな。せっかくいいもん持っとるのに」

 もったいない。癪に障るような言い方をしながら、彼は苦笑する。

「まあ、何年か経てばわかる。あれも貴様も、同じ環境なら同じような人間になってたに違いない。だから、高山田のこと、もうちっと優しく見てやってくれや。なあ、鈴森」



「――松井!」

 ぼんやりしていて、一瞬反応できなかった。

 顔に衝撃が走り、俺は無様に尻餅をついた。バスケットボールが脇を転がる。

「いってえ……」

「おいおい、大丈夫かよ」

 同じチームの三崎が駆け寄ってきた。

「頼むよ。お前背高いんだからさ、もっとばんばん点取ってよ」

 背高い? 誰が?

 言おうとして我に返る。そうだ、今の俺は彰寿じゃない。

「こっち、パス!」

 コートを駆け回る同級生を見ながら、体育の時間だったことを思い出す。

 中学に入ると、俺の身長は、皮肉なほどすくすく伸びていった。あらかじめ制服は大きめにしておいたが、一年の一学期が終わった時点で買い替えを検討するようになった。中三になった今では、松井の父さんの背よりも高くなった。

 そんな俺はかなり目立ち、あちこちの運動部から誘われた。けれども、どこにも入らなかった。

 身体を動かすことも努力することも嫌いではない。彰寿だったときは鍛錬に力を注いでいたし、今も必要に応じて運動は行っている。先輩後輩の上下関係も、現代の中学生なのだから可愛いものだ。

 それでも入らなかったのは、なるべく松井家の両親に負担をかけたくなかったからだ。

 特待生だから学費はかからないとはいえ、部活をすれば余計な細かい出費もかさむ。それに加え、勉強をする時間も削られてしまう。

 前世の蓄積があるとはいえ、それがすべて現代の教育に活かせるわけではない。新しく学んだり、覚え直さなければならない知識もたくさんある。

 もしかしたら、今の身体なら何かのスポーツで活躍できたかもしれない。しかし、それで将来身を立てようとするにはリスクが大きい。それなら今確実にできる勉強に力を注ぎたかった。

 さらに言えば、早く働きたかった。そうすれば両親の負担もなくなるし、遠慮せずに済む。

 できれば高卒でもいいほどだ。だが、今後のことを考えたら、可能性が広がるように大学は出ておくほうがいい。そうなるとやはり奨学金利用か。

 こういうとき、ふと高山田の顔が思い浮かんでしまう。彼は家が貧しいために、大変な苦労をしていた。松井家なんか比べものにならないほどに。

 もしも、あいつが今の俺を見たらどう思うだろうか。

 高山田とのやりとりを思い出すと、鬱々とした気分になる。

 さっきのは、夢でもみていたのだろうか。ずいぶん懐かしい光景だった。

 高山田とはいつもあんな言い合いばかりしていた。あんなの無視すればいいのだとわかってはいても、何か言ってやらなければ気が済まなかった。

 あの卑屈な顔が脳裏によみがえり、吐き気を感じる。

 クーデターの際は、「あいつもよもやそこまでは」と思っていた。けれども今は、起こるべくして起こったんだとしか言わざるをえない。あのときから既にそういうやつだった。

 過大評価しすぎてたんだな。俺は俺なりにやつを侮蔑したものだったが、それでもまだ足りていなかったことにびっくりだ。

 生きているものなら、今からでも訪ねていって、思いきり殴って罵ってやりたいのに。まったく、どうしてあいつはもうこの世にいないんだよ。

 自殺って何だよ。絶望でもしたのか、それとも、満足したのか。尋ねたくとも、もう今は何もわからない。

 もしも俺が智樹として生まれ変わらず、彰寿という死者のままでいたならば問いただせたのだろうか。

 こうやってずっと、自問自答を繰り返してばかりだ。

「松井!」

 考えごとをしていると、またボールがこっちに飛んできた。今度は反応できた。

 パスをもらった俺は、コートを一瞥し、他のプレイヤーの位置を把握する。そして、ドリブルで一気にゴール下まで突き進んだ。

 思いきり飛んで、リングに置くようにして放る。ボールはネットを通り、すぐに落ちた。

「ナイッシュー!」

 駆け寄ってきた三崎に手を出され、ハイタッチする。彼はバスケ部のせいか、最近の体育では本領発揮とばかりにやけに生き生きとしている。

「よし、これで十点差!」

 コートの中央に戻る途中で、俺はゴールを振り返った。

 あの頃欲しくても手に入れられなかったのは、あいつみたいな体格。

 今の俺はとっくに彰寿の身長を追い越していた。彰寿にはできなかったことも、今はできる。

 けれども、ちっとも嬉しくなかった。



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