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第十八話 それは余計なお世話です



 彼女は帽子をとって自分の口元を隠す。

「彰寿、ありがとう……」

「あ、前世の名前で呼びましたね、映果さん。はい、減点」

「はあ?」

 映果さんは勢いよく俺に詰め寄る。

「じゃあ、そっちだって大減点! 私のこと未だにさん付けで、しかも敬語だし!」

「万葉子ちゃんとほぼ同じ扱いなんだからいいでしょ」

「もう、またそうやって万葉子のことだけは馴れ馴れしく呼んで!」

 ふと、我に返ったように彼女は沈黙する。

「どうしました?」

 珍しく遠慮がちな仕草。

「今のうちに……あの子には言えない冗談言わせてもらっていい?」

 嫌な予感しかしない。

「何ですか」

「前世では男同士で、今は女同士。どうしてあの顔と縁がないのかな」

 万葉子ちゃんに聞かれないでよかった。この状況の俺ですらちょっと引くから。

「……確認しますね。本当に、今の恋愛対象は男性なのですか?」

「本当だってば。自分でも不思議なんだけど、今は男性相手にときめくんだよね。映果としての初恋の相手は、親戚のお兄さんだったし。結局、前世は前世で今は今らしいんだ。はあ……でも、こんなことなら前世も恋愛対象が男性だったほうが」

 そこでちらりと俺を見る。

「俺は、昔も今も女の人が好きです」

 わかっている、と彼女は苦笑する。

 こういう話をしていると思い出すなあ。

 亮様には許嫁がいたけれど、やむなき事由により破談となってしまった。まさかの事態に周囲は大慌てで、釣り合う女性を選び直すことになった。ぜひ自分の推薦する娘を、と果敢にもご本人に写真を持って推薦の口上を述べる者も多数現れ、いかにその相手候補の令嬢が美しいかを説明して、亮様の興味を惹こうとするのも一人二人ではなかった。そんなとき、亮様は写真を一瞥だけして、決まった台詞を吐くのだ。

「ご紹介のとおり、大変見目麗しいお嬢様ですね。しかし、目の保養でしたら彰寿がおりますゆえ」

 一部の人間からあらぬ疑いをかけられたのは言うまでもない。

 ええ、理解しているとも。時代が時代だからこそ、へたに多方面を刺激せず慎重に選ぶべきだと判断したと。容姿の話題以外で俺をダシにすることはなかったと。

 しかし、俺はこの人の迷惑さにどこまでも呆れかえるしかなかった。

 そのことを口にすると、映果さんは帽子をかぶり直してそっぽ向いた。

「そんなことあったっけ」

 極悪人。俺は心の中でだけ、そう罵った。

 彼女はというと、自分の足元を見て苦笑する。

「やっぱり、ちょっと足が痛いかも。履きやすい靴買っちゃおうかな」

「今ですか?」

「今」

 面倒なことに、有楽町駅周辺ではなくもっと向こう、銀座の中央通りまで行きたいなどと言いだす。

「あっちまで歩けます? 肩か腕貸しましょうか?」

「そういうとき、お姫様抱っこしましょうかって言えたらポイント高いのに。その体格なら、か弱い私の一人くらい軽くいけるでしょ」

「……いっそ、ファイヤーマンズキャリーで運んでさしあげますよ」

 それは嫌だと彼女はタクシーを捕まえようとする。徒歩でもそんなにかからない距離なのにと思ったが、足が痛むのならまあ仕方あるまい。

 横に立った俺が手を挙げると、ちょうど通りかかった一台がすぐに停車した。

「こういうとき背が高いと目立って便利みたいでね」

「ふふ、彰寿のときのコンプレックスが垣間見えますなあ」

「うるさい」

 乗りこんで行き先を告げながら、弾んだ声を出す。

「本当は、これくらい言い合える仲になりたかったんだよ。ほら、互いの兄弟よりもずっと歳が近かったでしょう?」

 確かに、俺は鈴森の兄たちと歳が離れていたし、亮様も康様とは十以上違う。

「でも、兄弟にはなれませんから」

「今は従兄弟でもなくなったしね」

 店に到着すると、彼女はさっそくさまざまな靴を出してもらう。常連らしく、馴染みと思われる店員に何やら親しげに会話をしている。

 こういうときは、相手の気が済むまで黙って見ているのが一番だ。

「ね、これとかどうかな? 春くらいまでいけそうだと思うんだけど」

 またヒールが高い。何しに来たんだ。

「今日のところは靴ずれしないものがいいんじゃないですか。スニーカーとか」

「もう、そんな色気のないことを。本命の女の子と買い物するときも、同じセリフで対応するの?」

 桧山さんの顔を思い浮かべる。むしろ、似合いそうなものをいろいろ見繕いたくなった。

「ぺたんこ靴は足首だるくなるんだよね。ちょっと踵あったほうが疲れないの。でね、ビジューとかはごろごろじゃなくて、さりげなくついてるほうが好き。そっちのほうが可愛いと思うんだけど」

「……なんか、本当に女性としての人生を満喫していますね」

 俺の言葉に、映果さんは返事の代わりに微笑みを寄越した。

 歩きやすさと彼女の趣味が合致した靴を一足お買い上げし、そちらに履き替える。ついでに、ひどい状態だった化粧も直した。

 並んで歩いてみるが、ヒールの減った分だけ身長差が広がった。俺の視線もさらに下向きになる。

「それにしてもさ、知り合って二年? なんで口説かないの?」

「だから、邦彰萌えという深刻な」

「前の君はもうちょっと手が早かったじゃない。寿史に女の子の口説き方を伝授してもらったのはどうした、この銀座に忘れてきたのかい? 取りに行くなら付き合うよ?」

 また完全に亮様に戻っている。外見は自称美少女お嬢様なのに。

「……もう記憶にございませんよ」

「いいじゃん。思いきり笑い飛ばしちゃえ」

 他人ごとだからって、無責任に……。

 映果さんは大きく背伸びして、俺の両頬を叩く。

「いてっ」

「袖振り合うも多生の縁。せっかく従兄弟同士で生まれ変わった仲なんだし、この映果さんも協力しますよ」

「……いい。絶対に面倒なことになる」

「えー、なんでよ」

 明るい街を背景に三歩進んだ彼女は、くるりとこちらを向きながら口を開く。

「それで、寿貞の件なんだけど」

 今日起こった出来事があまりに強烈なものだったので、すっかり当初の目的を横に置いてしまっていた。

「万葉子には頼んであるから」

「今日付き合ってから話を通してくれるものだと」

「早い方がいいでしょ。ひとまず、革命時代を学んでいる学生さんが当時の鈴森子爵家のことを尋ねたいって体にしてあるから」

 言いながら、表情がふいに暗くなる。

「でもね、思い出の中にいる寿貞の記憶があまりに強いなら、会わない方がいいかもってちょっと思ってたの」

「え?」

「もうかなり高齢だから」

 躊躇いがちに、彼女は俺の表情を窺う。

「たまに……身内のこともわからなくなっちゃうんだって、聞いた」

 だから、最初渋っていたのか。

 智樹さん、と呼びかける声はどこか慰めるような、諭すような響き。

「ここはもう正寧の世ではなくて、私たちがよく知っている人たちは皆歳をとってしまった。何十年も時を経て再び生を受けた今、いきなりその変化に……馴染める? 本当に受け入れられる?」

 この永喜の時代は彰寿が生きていた頃と大きく異なると、記憶を取り戻してから何度実感させられただろうか。衝撃や戸惑いはもちろんあった。そのなかには、霊園での寿基たちとの出会いも含まれる。まだ幼く、誰かに甘えてばかりの甥は、一人の男として立派に成長した。父も母も次兄も、俺が知らぬうちに亡くなっていた。

 記憶の中にある長兄の姿は、三十代前半のものが最後。しかし、今は卒寿をも超えてしまっていることになる。

 生まれ変わってこの方、現実を受け入れられないという経験はたくさんあった。けれどもその都度、時代は移ろうものであり今を生きるしかないと自分に言い聞かせてきた。

 それに、寿基たちと別れてから万葉子ちゃんに出会うまでの間に、里津子さんが亡くなったということもある。こだわって会わないうちに、二度と言葉を交わせなくなるなら――。

「会います。必ず、会います」

 綺麗な記憶を打ち砕かれるかもしれなくても会いたい。でなければ、俺はきっとまた後悔する。

 俺の選択に、映果さんは小さく頷いた。

「じゃあ、具体的な予定を後でメールして。あちらの都合と擦り合わせよう」

「お願いします」

 時計を見ると、もうそろそろここを去らなければいけない時刻になっていた。

 映果さんは地下鉄で帰るらしい。改札までは送ることにした。

「じゃあ、ね」

「ご自宅までお送りできなくて申し訳ないですね」

「また、そう言う」

 彼女は苦笑する。

「今日、あなたと一緒にいられてよかった。ありがとう」

 そうやって一度手を握ったあと、彼女は改札を通り抜け、階段を下っていった。

 その様子を見届けた俺は、いろいろな思いを抱えながら背を向け、別の路線を目指して歩きはじめた。




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