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第七話 何故あなたですか


 後日、万葉子ちゃんたちは本当にまたやってきた。

「いらっしゃい。どうぞおあがりになって」

 母さんはすっかり彼女たちがお気に入りになってしまった。里津子さんのときも思ったが、物怖じしない性格はある意味一番恐ろしい。

 今日は、コーヒーの飲み比べをしつつ、ラテ・アートにも挑戦とのことだ。

「最初はね、ハートから始めるのよ」

 一番簡単だから。次はリーフだったかな。

「専用の道具があるのが一番ね。初心者だからこそ、やりやすい道具がいいと思うの」

 母さんは、マシンがないときのやり方についても話すが、彼女たちは欲しいと思ったらさっさと買えるはずだと思う。

 そもそも、コーヒーの飲み比べだってうちに来る必要性はないのではないか。ラテ・アートだって、その気になればもっとちゃんとした人にプライベートレッスンしてもらえるはずだ。

 本当に謎だ。万葉子ちゃんの発案って言うけれど、他に目的があるのだろうか。純粋に、友達のお母さんに教わりたいだけなのか?

 疑問は解決しないが、万葉子ちゃんも槙村さんも楽しそうで、その点についてはほっとする。母さんの説明には擬音がたくさん登場するが、お嬢さんたちに理解力があるので助かる。

 慎重にピッチャーを動かしながら、女子高生たちはそれぞれのハートを作る。

「これが、一番の基本なんですよね? もっと難しいことなんて、気が遠くなりそう」

 かろうじてハートに見えるカップの中身を見ながら、万葉子ちゃんは苦笑する。

「初めてなら、これでも十分よ。あら……?」

 その横で、槙村さんは絶妙な手つきでミルクを操り、芹花よりも綺麗な形に仕上げた。とても万葉子ちゃんの付き添いとは思えない。

「万葉子は力入れすぎなんだよ。そんなんだから、まっすぐ突っ込んではいつも空回って――」

「ちょ、ちょっと、ここでその話はやめよう? ね?」

 友達が顔を赤くするのを見て、彼女はニヤリと笑う。

「張り切りすぎると、ハートもぶれますよ」

「意地悪……」

 ちょっと拗ねた万葉子ちゃんに、槙村さんは愉快そうだ。

「からかいたくなる顔してる方が悪い」

 万葉子ちゃんは「いつもそう言うんだから」とぼやきつつも笑う。お互い、心を開いているのだろう。

「でも、槙村さん、本当にすごいわ」

 思わず母さんは溜め息をつく。

「映果は昔から器用なんです」

 本人を差し置いて万葉子ちゃんが胸を張り、芹花も同意する。

「映果さん、なんでもできるんだよ。運動だってできるし、成績だっていいし、書道も日舞も資格持ってるんだって」

 槙村さんは苦笑する。怒っているようにしかめた顔か、ニヤっとした笑みばかり印象に残っているので、その様子が新鮮に思えた。

「うち、中学まではみっちり習い事させられるのが決まりで」

 槙村家の方針は、とにかくいろいろな経験をさせてみよう、とのことだ。それで高校に上がったら、今までの経験を踏まえたうえで好きなことをしてもいい、とのことだ。

「好奇心を育むのは大事よね」

 母さんは誇らしげに頷くが、そのすぐ横に好奇心を妙な方向に成長させたが故にとんでもないことになった失敗例が座っていることには気づいていない。

 槙村さんはダンス部に所属しているらしい。突然ジャズダンスに興味が向いたんだとか。

「身体を動かすのは好きなんです。それで、せっかく高校の部活に入るんだったら、今までとは違うことしたくなって。日舞以外にもバレエもちょっとだけやったし」

「でも、最初は本当にみんなびっくりしてたよね」

「また頭打ったのって言われてね」

 顔を見合せて笑う姿は微笑ましい。

「二人、仲いいね」

「幼稚園からの付き合いですから」

 俺は、中学に入ってから地元の友達と疎遠になってしまい、幼稚園の友達との付き合いはせいぜい小学校までだった。ずっと一緒にいる友達ってなんだか羨ましい。菊川は、一応前世の頃からの付き合いだが、あのときは友達ではないのでノーカウント。

 しかし、こんなにべったりな状態だと、万葉子ちゃんの彼氏になる男は大変そうだ。槙村さんのチェックは厳しいようだし。

 そんな彼女とは、今日もよく目が合う。万葉子ちゃんよりも。だから、彼女とはどうにもなりませんってば……。

 前回に引き続き、俺だけが何となく気まずい思いを味わっている間に、本日の講義は終了と相成った。

 今回も芹花と俺で見送ることになる。もう俺いらないんじゃないかと思うが、当然のように外に出された。

 今日は、最初から万葉子ちゃんと一緒に歩く。

 こうやって見ると、彰寿と似ているとはいえ、彼女はやはり女の子なんだと実感する。今の自分が長身であることを抜きにしても、体格が違う。彰寿よりも背は低く、桧山さんよりもさらに小柄だ。鈴森の母もこれくらいだっただろうか。それに、槙村さん以上に可愛い系統の服を着ている。自分と重ねてしまって妙な気分になるが、似合っているとは思う。

 男である彰寿を引き合いに出されるのは、やっぱり嫌なんだろうな。小学校のときのエピソードを考えてみても。

 申し訳なさを感じながら、他愛もない話に相槌を売っていると、万葉子ちゃんはいきなり足を止める。

「そうだ、今日もこの後、寄る場所があるんです」

 万葉子ちゃんは携帯を取り出し、俺と芹花を見比べたあと、芹花に画面を見せた。

「あのね、芹花さん。この方面って……」

「あ、目印ないからわかりにくいかも」

「あの、よかったら、この道まで案内してくれる? ここまで行ったら、きっとわかると思うの」

 遠慮がちな万葉子ちゃんに、芹花はにこりと笑って頷いた。

「了解。映果さんは、どうする?」

「私はこのままあっちの駅から帰るよ」

「じゃあ、悪いけれど、うちのお兄ちゃんに案内させていい?」

 槙村さんは横目で俺を見つめ、静かに頷いた。

 芹花の誘導を受けて、万葉子ちゃんは早歩きで去っていく。

 まずい、よりによってこの子と二人きりか。俺は横目で槙村さんを見ようとして、うっかり目を合わせてしまう。

 彼女は、やけに力の入った目で俺を見てくる。

「槙村さん、どうかした?」

 もう、聞いてしまおう。それで、弁明すべきことがあればさっさとしてしまおう。

「万葉子が押し掛けてすみません」

「いや、別に。妹も母も楽しそうだから、むしろ歓迎だよ」

 彼女の顔は、自然なようでいてどこか硬い。あえて言うなら、後ろに武器を隠して近づいてきた暗殺者のような雰囲気だ。

「実は、万葉子がやたらとお宅にお邪魔したがったのは、私が原因なんです」

「槙村さんが?」

「あの子、私がお兄さんのこと好きだと思いこんでいるから」

「はあ?」

 思いも寄らぬ言葉に、思わず顔全体が歪みかけた。

 槙村さんが、俺を? どういうことだ?

 彼女はわずかに表情を崩す。

「親友の恋を応援しようと計画したんですよ。それなら芹花さんに最初から話通しておけって思いますけどね。あの子すぐ暴走するから、一度火がつくと大変で」

「は、はあ……」

「あ、でも別にお兄さんが好きなわけじゃないんです」

 速攻の否定は、少々複雑な気分にさせられる。いや、安心といえば安心。

「ただ、ちょっと学園祭のときから気になって。芹花さんにお兄さんのこと尋ねたのを見て、あの子が勘違いしただけ」

 それで、と彼女はあらためて真面目な顔つきになる。

「この間の、あれなんですけど」

「あれ?」

 喉の奥から出すような声で、彼女は言う。

「秋ながら、空に風花」

 例の歌。やっぱり、あの独り言がきっかけか。うん、自分でもちょっとなかったなとは思う。だが、万葉子ちゃんみたいに流してくれるとありがたい。

「あの続き……」

 全部知りたいってことか? 和歌に興味があるって言ってたけど、気になってただけなのだろうか。だったら、俺も被害妄想甚だしかったか。

「……舞ひたるは」

 それは、俺が言ったわけじゃない。

「地平線にぞ冬立つ日あらむ……」

 さらに続きが聞こえてきて、びっくりして見ると、槙村さんも俺を丸い目で凝視していた。どうして、と呟いて。

「冬ながら……ですよね? 元は」

 俺は呆然としながらも頷く。

 いやいや、どうしてこの子は続きが詠めたんだ? 確かに、本歌は知っているのかもしれないけれど、さすがに全部をそのまま言えないだろ。

 だって、この歌を知っているのは――。

 槙村さんの瞳が揺れ、唇が震える。

「……彰寿?」

 かつての俺の名。

 彼女は手を伸ばし、俺の襟を掴む。

「彰寿なのか?」

 強制力を感じ、考えるよりも前に頷いてしまった。

 すると槙村さんは、ほう、と息を吐く。

 俺は鈴森彰寿。自分から名乗ることも、誰かから尋ねられることもほとんどなかった。たった一人、例外は、菊川くらいで。

 この子は……いや、まさか。

 もう一度槙村さんを見ると、彼女はニヤリと笑った。その表情は、あの人のものと似ているのだ、とそのとき初めて認識した。

 ふふ、と漏れる声。

「僕らの縁は、案外深かったのかな」

 亮様――そう呼ぶと、彼女は嬉しそうに笑った。



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