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第六話 当事者じゃない気がしてきた


 約一時間後、芹花からのメールが来た。リビングに入ると、絞り袋を持った母さんが振り返った。

「ちょうどね、これから仕上げなんだよ」

 それぞれの前には、スポンジケーキを切って形を整えたものが並んでいる。何かを挟んでいるようだ。

「台座はね、タルトでもロールケーキでもいいの。今日は自分たちで作ったけれど、既製品だと時短になるし」

「奥様、パイ生地でもよろしいでしょうか?」

 奥様。万葉子ちゃんの呼びかけに、母さんは気をよくしたようだ。

「大丈夫でしてよ。中のクリームは多めに盛った方がいいかしら。外のクリームは、もちろん王道の栗でもいいし、生クリームにピュレを混ぜたのも美味しいわよ。苺とか桃とか」

 なんだろう、むずむずする。

 概ね和やかな雰囲気で作業は行われた。

 けれども、やはり槙村さんの不審げな視線がまとわりつく。そんなに警戒しなくてもいいじゃないか。こう見えても無害な革オタです。

 俺だけが居心地悪い思いをしながらもモンブランは無事に完成した。女子たちを労うため、紅茶を淹れてリビングに持っていく。

 最後は完成品の試食というわけだ。味見でわざわざまるごと一個食べる意味はわからないが。しかも、持ち帰り用の分は別に確保してあるんだろ?

「レモンかミルクは要りますか?」

 お嬢様方はレモンを選択した。ちなみに、母さんと芹花は二人揃ってミルクだった。

「……お兄さんは、ストレート派なんですか?」

 不意に槙村さんが、俺のカップを見つめながら訊いてくる。

「ええ。砂糖もあまり入れませんね」

 前世の頃からの、筋金入りのストレート派です。

「たまには何か入れてもいいのにって、私や芹花は言うんだけど、まったく曲げないのよ。私は、ジャム入れるのも好きだわ」

 ジャムなど以ての外だ。嫌な人を思い出す。

 母さんは飲み物なら何でも好きだから、我が家にはいろんな材料や道具が揃っている。この調子だと、今度はラテ・アート教室だのカフェ用飲み物講座だのが行われそうだ。

 とりあえず、菓子教室が何事もなく終わって安堵する。後片づけしてから、俺と芹花で彼女たちを駅まで送ることになった。

「本当に楽しいお母様ですね」

 万葉子ちゃんはにこりと笑う。うん、おそらく君の周囲にはいない人種だよね。

 芹花と万葉子ちゃんが何やら共通の話題があったようで並んで歩き、俺と槙村さんがその後ろにつく。

 あきらかに見られている。横からの強い視線を感じる。大丈夫、万葉子ちゃんは親戚だし、そうでなくても危害を加えるつもりは一切ないって。

 ふと、万葉子ちゃんの携帯が鳴った。メールのようだ。

「ごめんなさい、ここからタクシーを拾いやすい場所はありますか?」

「どうかしましたか?」

「ちょっと家の用事が入ってしまって」

 目的地は都心だった。ここからだと金はえらくかかるぞ、なんて庶民らしいことを考えてしまう。そういや、鈴森家に運転手って今いないのかな?

「案内しますよ。駅前より、そこ右に行った方が早いんで」

 すると、万葉子ちゃんよりも槙村さんよりも、芹花が鋭い視線を向けてきた。

「それなら、私行くよ」

 しかし、万葉子ちゃんは微笑みながら首を横に振る。

「ううん、お兄さんにお願いするわ」

「万葉子……大丈夫?」

「平気。心配しないで」

 槙村さんをちら見すると、目を逸らされる。

「じゃあ、私は駅から帰るね」

「うん、ごめんね」

 二手に分かれ、俺たちは大通りへと向かった。一度だけ振り返ると、やはり芹花も槙村さんも心配そうな目で見てきた。何となく頭を下げてみた。

「鈴森さん」

 歩きながら呼びかける。前世の自分の名字は、口のなかで妙な転がり方をした。さん、なんて他人行儀なものがついているせいだろうか。

「話に聞く限り、お祖母さんもお菓子づくり得意だったみたいだけど」

「そうなんです。学校に通っているときは、何を勉強しにいっているのかわからないって、家族から言われていたみたいですよ」

 孫娘から聞く里津子さんの話は新鮮だ。義弟である俺とはまた違う顔を見せていたようだ。

 こうして彼女と一緒にいると、欲が出てきてしまう。

 君のお祖父さんはどうしていますか。そう尋ねたら、彼女は何て答えるだろう。

 聞きたいことがたくさんあるんだ。鈴森の父や母、次兄がどのように亡くなったのか。革命後、鈴森家はどのように続いていったのか。寿基はどんな人と結婚し、彼女にとってはどんな父親なのか。

 里津子さんのことからどうやって話を持って行こうか考えていると、ふと万葉子ちゃんは俺を見上げる。

「お兄さんが優しい方で、本当によかったです。初対面では失礼なことしてしまったから」

「その話はもう……。俺だって、嫌な思いさせてたんじゃないかって思ってて」

 見覚えのある形の目が、憂いを孕みながら俺を見上げる。

「あのとき、すごく傷ついた顔していらしたように見えて。私、ひどいことしてしまったなって」

 それは誤解だよ、万葉子ちゃん。確かに君の言葉を聞いて悲しくなったが、傷つけられたからじゃない。自分がまったくの他人になってしまったことを、もう鈴森の人間に戻れないことを実感したからだ。

「違う違う、単に緊張してただけだよ。俺、顔が怖いからさ、強張ると怒ったり悲しんだりして見えるんだ。損だよな」

 そう言ってみせると安堵したようだ。

 大通りに差しかかると、「ところで」と万葉子ちゃんは俺の目をのぞき込むように言う。

「お兄さんは、今、お付き合いしている方はいますか?」

「へ?」

 何を唐突に。

 答えに窮していると、さらに彼女は続ける。

「あと、芹花さん……妹さんと同じ歳の人って、恋愛対象に入りますか?」

「どうして、そんなことを?」

 万葉子ちゃんは、ごまかすように笑った。顔がほんのり赤くなる。

「いえ、何でも。その、ちょっとだけ、気になって」

「彼女はいないけれど」

 答えながら、芹花の台詞を思い出す。

 ――実はね、万葉子さん、お兄ちゃんのこと好きなんじゃないかなって思って。

 いやいやいやいや、ないないないない。こんなお嬢さんに好かれる要素が俺にあるとは思えない。彰寿の頃は、確かに女性のほうから寄ってこられることもしばしばだったが、今の俺はどこから見ても平凡なただの学生だ。

 だいたい、芹花の推測は当てにならない。熱心に見つめていたから、菊川は俺のことを好きなんじゃないかって言ったときだってそうだ。

「お兄、さん?」

「あ、ごめん。タクシー、ちょうど来たな」

 俺が手を挙げると、すぐに一台停まってくれた。こういうとき、背が高いと目立って便利だ。

「じゃあ、気をつけて」

「あの、またお宅お訪ねてもよろしいですか?」

 乗り際で焦っているのか、早口で彼女は尋ねてくる。

 また?

「芹花と母さえよければ、歓迎だけど……」

 ちょっとほっとした表情になる。

「では、近いうちにまた遊びに伺わせてください。ラテ・アートしてみたいんです」

「それじゃあ、ぜひ」

 万葉子ちゃんを乗せた車を見送り、俺は来た道を戻る。

 彼女の目的って何だろう。本当に菓子作りでいいのだろうか。考えていると、槙村さんを送り届けた芹花と出くわした。

「どうだった?」

「また今度遊びにきたいだって」

 芹花は口をぽかんと開ける。

「ねえ、絶対万葉子さん、お兄ちゃん目当てだって」

「んなわけないだろ? 惚れられる理由なんてないって」

「わからないよ、運命的な再会だったじゃない」

 運命的って言うなら、残念ながらお前の片思い相手のほうがよっぽど運命だったよ。ありがたいと思えなかった縁ではあるけれど。

「映果さんだってね、お兄ちゃんについての探りすごかったんだよ。あれ、絶対親友の彼氏チェックだって」

 槙村さんは、駅に着くまでずっと、俺について質問攻めしてきたらしい。小さいときのこと、中高のこと、どれほど革命オタクかってこと。特に、革命についての追求はかなり激しいのものだったらしい。

「いつから詳しかったのかとか、他に何か趣味ないのかとか」

「で、なんて?」

「他に趣味って言ったら、せいぜい万年筆くらいじゃない? 根っからの革前オタクだから、お父さんにもらった革前の万年筆大事にしてるよって答えておいた」

「反応は?」

「なんか、難しい顔をしてた。本当さ、不安要素さえなければ私だって応援するよ? 学校でさんざんお兄ちゃんのことネタにしちゃったから、映果さんも心配しちゃってるんだろうね。失敗だったかなあ。革オタ関係は抑え目にしてたんだけどなあ」

 俺自身は彼女たちの目的を何も知らされていないのに、どんどん話が進んでいっている気がする。

「私、歩実さんも万葉子さんも好きだけど、お兄ちゃんは歩実さんとがいいな。万葉子さんの場合、私、同人界から引退だもん」

「二人に失礼だろ。というか、もういい加減足を洗え。今ならまだ更正できるから」

「更正するものじゃないって、腐女子は。腐ったものは元に戻せないでしょ?」

 頼むから、せめて別のジャンルにはまってくれ。俺と高山田の仲を捏造するな。

「同人活動で学校やめさせられたらどうするんだ?」

「大丈夫。今は多少控えめにしてるから」

 思えば、中学の時からやっていたんだよな。とんでもない話だ。早くこの馬鹿娘を説得しなければ。




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