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第五話 まさかの人襲来


 大学から帰ってリビングのドアを開けると、意外な姿があった。

「あれ?」

「お邪魔しております」

 彰寿に似た顔で微笑み、万葉子ちゃんは上品に挨拶をする。その横には槙村さん。二人とも、女の子らしい私服に重ねて可愛いエプロンを着用している。

 何故ここに? 俺、家間違えたか?

「智くん、お帰りなさい」

 母さんがキッチンから出てくる。頼むからいいかげん人前で「智くん」はやめてくれ。

 ダイニングテーブルの上には菓子作りの道具が並んでいて、芹花が粉や卵を確認していた。

「あの……」

「こちらの奥様のお菓子が美味しいから、ぜひ教わりたくて」

 万葉子ちゃんは、はにかみながら笑う。

 彼女たちの学校は表向き菓子の持ち込みは禁止だ。しかし、文化祭準備の休憩時の糖分摂取用として、芹花は母さん作のクッキーやフィナンシェをクラスメートたちに振る舞っていたらしい。それでその味に万葉子ちゃんが惚れこんで――らしいが。

「え、でも……」

 万葉子ちゃんの祖母、里津子さんだって菓子づくりは得意だった。わざわざうちの母さんに教わらなくても……。あの人のことだから、レシピはきちんと残してあるだろうし。

 母さんはというと上機嫌で、すっかり先生気分だった。ただ、この人はあまり講師向きの性格ではない。芹花もサポート役の素質はない。

 こういう場合、俺は席を外したほうがいいはずだ。しかし、非常に不安だ。もしも元子爵家のご令嬢方に粗相などしたら、今後の芹花の学園生活はどうなってしまうのだろうか。

 立ち止まって悩んでいると、万葉子ちゃんと目が合う。

「お兄さんも、よろしかったら一緒にいかがですか?」

 全力でサポートいたします、と言いたいところだが、女子高生と女子高生並みに中身が若い人に交じって一緒に菓子づくりするのは抵抗がある。

「じゃあ、あとで見学に来ますよ」

「ぜひ」

 万葉子ちゃんの笑顔を見ているとほっとする。やっぱり、こうして笑っているほうがずっといい。

 しかし、不思議な巡り合わせだ。前世での兄の孫と、現世の自宅で会話してるなんて。

 ふと、万葉子ちゃんが様子を窺うように瞳を横に動かす。無意識にそれを辿ると、槙村さんが険しい表情でこちらを見つめていて、視線がぶつかった。

 二人そろって目を丸くするが、彼女は慌てて顔を背けてしまう。

 嫌われたかな? レモンパイの話をしているときまでは、お互い和やかだったのに。やっぱりあの独り言がまずかったのだろうか。

 もしかして、俺を牽制するために彼女もついてきたとか?

「もうそろそろ始めましょうか? 本日のメニューは、サツマイモのモンブランです」

 母さんが、伊達眼鏡をくいっと上げながら、女優きどりの他所行きボイスを発する。ああ、芹花は間違いなくこの人の娘だ。

 講義を背中で聞きながら、階段を上って自分の部屋に向かった。荷物を机に置いて、鞄の中身を取り出す。必修だから仕方ないとはいえ、土曜に授業があるのは面倒だ。軍学校時代はこんなこと思わなかったなあ。俺もすっかり変わってしまった。

 下の人たちはうまくやれてるかな。頃合いを見計らって様子を見に行こうと思っていると、ノック音がした。

 ドアを開けると我が妹の姿。母さんの趣味で、フリルまみれのエプロンを着ている。

「何?」

 ここにいていいのか? 母さん放置して大丈夫か? 危険じゃないか?

 首を傾げていると、芹花はいきなり俺の胸倉をつかんで引き寄せる。言ってくれたら、身ぐらい屈めるのに。

「ど、どうした?」

 やけに深刻な顔から発せられたのは、想像もしなかった言葉だ。

「実はね、万葉子さん、お兄ちゃんのこと好きなんじゃないかなって思って」

「はあ?」

 思わず大きな声が出る。芹花は慌てて俺の口を塞ぐ。

「だって、わざわざ鈴森のお嬢様がうちに来てお菓子作りだよ? しかも、土曜日はお兄ちゃんいるのかってやたら気にしてたし。絶対何かあるんだと思う」

 意味がわからない。また妄想か。

「でも、お兄ちゃん。対応気をつけてね。校内では万葉子さん、彰寿のこと持ち出されるの嫌いだって有名だから」

 お嬢様学校でも彰寿ファンはいるらしい。小学校のとき、万葉子ちゃんは上級生や中高生のお姉さんたちに囲まれてちやほやされていた。可愛がられていたことは確かだが、彰寿と重ねられたり比較されたりするうちに、彼女はストレスを溜めこんでいった。そしてとうとう爆発した――彰寿と自分を一緒にしてくれるな、と。

 霊園で会ったあたりが、ちょうどそんな時期だったのかな。やけにピリピリとしていて、俺のことも警戒していた。

 あらためて申し訳なさを感じる。まさかこんな形で鈴森家の人間に迷惑をかけるなんて、彰寿の頃は思いもしなかった。

 家のために勲功をと思っていながら、革命前にあっさり退場しただけでなく、わけのわからんファンまでつくとは。

 もし俺が革命を生き延びていたら、はたして今のように腐女子の餌食になったのだろうか。さすがに存命の人間は……いや、革命ジャンルの王道カプとやらの話を聞く限り、まったく可能性がないとも限らない。どのみち、万葉子ちゃんに多少の被害があったかもしれない。

 せっかく女の子に生まれたのに、見知らぬ親戚と比べられたり重ねられたりして、嫌な思いさせてしまって悪かったな。

「でもさ、そんな人が俺のことなんて好きになる? 革命時代専攻、しかも元は彰寿の生きていた正寧初期のオタクだって知ってるだろ?」

 霊園のときなんか警戒心に溢れていた。

「さあね。とにかく、気をつけて。私たちは彰寿のこと一方的に知ってるけれど、気安く話しちゃ駄目だよ?」

「だったら、まずはお前のBL趣味――」

 再び口を塞がれ、蹴りまで入れられる。

 芹花はこの日のために、クローゼットに同人誌や原稿をすべて封印したそうだ。この調子だと部屋に上げないで済みそうだが、万全を期して。

「お兄ちゃん、万葉子さんのこと、彰寿に似てるからって好きになっちゃだめだよ?」

「なるかよ」

 大叔父と大姪。しかも、前世の自分によく似た顔。親しみはもっても、恋に落ちるとかありえない。

「それと、映果さんも、すっごくお兄ちゃんのこと気にしてる。多分、万葉子さんの彼氏候補だからチェックしてるんだと思う」

 ちょっとした会話で、すぐに保護者的存在であることが窺えたもんな。それであの険しい目?

 というか、万葉子ちゃんが俺のこと好きだって前提で話進めるなよ。

「完成直前で呼ぶから、それまでは気配消してて。それと、私の邦彰萌えバラしたら殺すから」

 殺気立った目。もう、お前あの制服二度と着るな。殺すなんて言葉、一般の女子高生が兄に対して使っちゃいかん。

 芹花を見送りながら俺は首を捻る。

 万葉子ちゃんが、俺のことを気にしている? 彼女は、彰寿ファンなんてたくさん会っているはずだ。俺を特別視する理由などない。

 妙な話だ。

 階下からはやたら楽しげな声を聞こえる。俺も芹花も、お菓子作りだのハンクラだのにそんな熱心じゃないせいか、母さんも嬉しそうだ。

 ふと、里津子さんの姿が思い浮かぶ。

 もうあの人もいないのか。会えたかもしれないと思うと、悔しくてたまらない。

 彼女だったら、いまだに前世と現世で迷っている今の俺を叱り飛ばしてくれそうなのに。

 俺は、霊園のとき、遠慮すべきではなかったのだろうか。

 そう仮定しても、正解なんてないように思えてしまう。あの状況で長兄夫妻に会える道筋が、どうしても思いつかなかった。

 会えないのが運命だったというのか。その言葉は、何も行動に移せなかった自分に対する言い訳のようだった。

 寿貞兄上も――会えないままだろうか。

 感傷をぶら下げながら、俺は自室に戻った。




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