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第三話 お嬢様はたぶん幻想じゃない


「お兄ちゃん、絶対、絶対、絶対だからね! よろしくね!」

 妹よ、お兄ちゃんは耳にタコができたよ。

 ある秋の朝、芹花は念を押すように同じ言葉を何度も繰り返しながら家を出た。見送る俺の手には二枚のチケット。

 女子校なんぞよくわからないが、文化祭にチケットが必要な学校が世の中には存在するらしい。うちの学校にはないシステムだ。

 俺が中高の学費をだいぶ浮かせて、大学も奨学金で通うことに決めていたから、芹花には自由に学校を選んでほしいと思っていた。だが、本人は何をどう血迷ったのか、有名なお嬢様学校に行きたいと言いだした。母さんと二人で、制服可愛いとか言って。で、娘に甘い父さんも「いいないいな」と目じりを下げる。

 不安に思って調べてみたところ、学費は想像よりも高くはなかった。むしろ俺の母校のほうが上だ。その代わり、裕福な家はどんどん寄付金を出しているわけだが。

 となると、あとはこのミーハー腐女子が育ちのいい女子たちに混ざれるかがとにかく心配だった。加えて、募集枠は限られており、芹花はあまり成績がいいわけじゃないことも。

 勉強面に関しては、俺が家庭教師として面倒を見ることになった。ただ、あまりにも厳しくしすぎたらしく、途中何度か泣きごとを言われた。

 芹花の邦彰萌えが露呈してからは、どうしても心が挫けそうなときだけ、妄想でも読書でもいいから息抜きを勧めた。それで本当に元気になる妹の姿に、ひっそりと涙を流したのもいい思い出だ。

 本人には言えないが、合格の知らせを受けたときは奇跡だと思った。つい、ちょっと奮発した祝いの品を贈ってしまったほどに。

 そんな妹は、入学式の日、母さんと興奮しながら帰ってきた。

「良家のお嬢様いっぱいいた! すごいよすごいよ!」

「本当、教科書に載ってた人と同じ名字もいたね~。お母さんも緊張しちゃった! マダムっぽく見えたかなぁ?」

 この浮かれた母娘の横で、俺の不安は再燃した。

 現代のお嬢様の実態はよくわからんが、芹花とはかけ離れているに違いない。学校で浮かないようにあれこれと忠告したが、「古い古い」の一言でスルーされた。

 実際、俺の予想に反し、芹花みたいなド庶民娘でも何とかなっているらしい。「お兄ちゃんって大げさだよね」と鼻で笑われた。俺のお嬢様学校の幻想はもろくも崩れ去った。

 本当に嘆かわしい世の中だ。むしろ学校側にはこいつの腐った心を矯正してほしいのに。弛んでるところだらけの人間が在学していていいのだろうか。内部進学組と本当にうまくやっていけるのだろうか。

 そんな兄の不安をよそに、芹花はかったるいとか気を使うとか言いながらも楽しげに通学している。もう二年生か、早いな。

 そのお嬢さん学校の文化祭に、菊川を連れてくるようにとの指令がこのたび下った。どうやら、片思い相手をクラスメートに披露したいようだ。

 去年は俺も受験生で、特に行く理由はなかったし招かれてもいない。けれども、今年は必ず来いとやかましい毎日。あいつは本当に兄への敬意というものを知らない。

 断られるだろうと思って菊川を誘ってみたら、こういうときに限って了承する。バイトとサークルで忙しいんじゃなかったのか、お前。

「まあ、一回くらいだったらありでしょ。お嬢さん学校に行く機会なんてめったにないし」

 意外と好奇心旺盛らしい。元は高山田のくせに。

 事情があるとはいえ、男二人で妹の学園祭か。溜め息をつきつつ、菊川を伴って件の学校を訪れた。

 最寄駅から徒歩十分ほどの場所に位置するそれは、想像以上の規模だった。幼稚園と初等部は別で、中等部から大学まではこの敷地内にだいたい収まっているらしい。車通学は現在許可されていないらしいが、校門の周囲がやけに広い。校舎も磨かれたような光り具合だ。

 あいつ、よくこんなところでやっていけるな……。

 受付の女の子が、若干きつめの目で俺たちを見たけれど、とりあえず何事も言われず通してもらえた。

 玄関には、華道部の合作が展示されている。流派からすると、やはり堅そうな学校だ。

 飲食物は、個包装された既製品しか販売できない決まりだそうで、喫茶店みたいな模擬店がびっくりするほど少ない。屋台なんてとんでもない。

 じゃあ何をやるのかっていうと、展示とか発表とかが主らしい。お化け屋敷も存在しない。うちの高校もそんなに弛んではいなかったけれど、文化祭くらいはそれなりに遊べたというのに。

「へえ、ある意味新鮮だよ」

 菊川はパンフレットを見つめながら、感心する。

「こんなにかっちりしてるのに、どうして芹花が問題なく通えてるのか謎なんだけど」

「芹花ちゃんだって、うまくやってるだろ」

 あいつの「うまくやる」は、菊川と一緒にいるときの地声キャンセルくらいしか思いつかない。

 芹花のクラスは、源氏物語についての展示とのことだ。一回メールで着いた旨を連絡したあと、俺たちは二年生の教室を目指して階段を上がる。

「芹花さん、来た?」

「もう来るって! あー、どうしようどうしよう!」

 降ってきたのは、間違いなく我が妹の声だった。丸聞こえだぞ。

「お兄ちゃん大丈夫かな? 本当、心配なの。だって、すっごくすっごく変な人だから!」

 軽く吹き出した菊川は、足を止めて壁に手をつき、かすかに震えてみせる。

 悪かったな、変な人で。この学校に入るのに結構貢献してやったはずなんだが。

 廊下に出ると、すでに芹花が立っていて、手を振っていた。その向こうに、面白そうに俺たちを見る女子が数人。

「お兄ちゃん、菊川さん!」

 ああ、お嬢様学校バージョンの声色だな。家にいるときのものと綺麗な和音が作れそうだ。もちろん、在宅時のほうが低音パートで。ところで、化粧が濃いよマイシスター。

「すみませ~ん、来てもらっちゃって。招待する人があまりいないのもちょっと肩身狭くて」

 嘘つけ。

 芹花はさっそく菊川を誘導しながら、教室に入っていく。女子たちの視線が痛い。俺はぼんやりと二人のあとを追った。

「いて!」

 一歩足を踏み入れようとしたところで額に衝撃が走り、しゃがみこむ。

「ちょちょっ……。何やってるのお兄ちゃん。恥ずかしい!」

「ははは、でかすぎるのも大変だな」

 菊川の言葉が、皮肉げに感じる。ちくしょう。

 上を見やると、扉に一部が重なるように設置された看板があった。女子にはこれでいいのかもしれんが、俺には障害物でしかなかった。

 油断したなあ。

「まったく!」

「まあまあ、芹花ちゃん。そう言わずに」

「あ……そうですよねぇ。看板、もうちょっと上に直したほうがいいかなぁ?」

「松井くらいしかぶつからないだろうし、これでいいんじゃないかな? 頑丈な素材でよかったね。せっかく作ったのに壊れちゃったら悲しいもんね」

 俺そっちのけで交わされるやりとりが腹立たしいが、まだ反応できない。

「あの……大丈夫ですか?」

 じわじわと広がる痛みに顔をしかめていると、心配そうな声が降ってきた。視界の右側に、紺色のスカートと床につきそうな膝が見える。

「大丈夫です、すみません」

 顔を上げると、そこに彰寿がいた。



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