第二話 空蝉の世の侘しさといったら
今の自分が「松井智樹」という名の人物であることは知っている。けれども、俺は「鈴森彰寿」でもあるわけだ。
違和感の理由が判明したおかげで、父さん母さんが実の両親であることも理解した。しかし、俺にとって、この人たちは家族であると同時に他人だった。
決して嫌いではない。けれども――。
「智くんも芹ちゃんもね、お母さんの自慢なんだよ!」
無邪気にそう言ってくれる母さんの笑顔を見ると、彰寿の記憶がちらつくのだ。
鈴森の母はその後どうしただろうか。大事に育てられた令嬢で、繊細でおっとりした人だった。あの人も、彰寿を自慢の息子だと言っていた。
彰寿の死をどれほど嘆いただろう。もっとたくさん喜ばせたかったのに、何も成さず先立った不孝が申し訳なくてたまらなかった。
ああ、未練があるのだな。胸が痛むたびにそう自嘲する。
彰寿の記憶を持っていようがいまいが、「智樹」を生んだのは松井の母さんだという事実は変わらないのに。
俺は、まるで松井家の居候のような気分だった。目の前の人たちよりも、鈴森家がどうなったか気になって仕方なかった。父さん母さんがいくら可愛がってくれても。
本当は、こんな身で受験なんてしたくなかった。行くとしても、両親や妹に負担のかからない、平凡な地元の中学に通って勉強すればいいと思っていた。
けれども、父さんと母さんは、もったいないからと粘った。結局俺はいくつかの学校を受験することになったが、自分としては学費が最もかからないところに行くつもりでいた。
そうしたら今度は、学費のことは気にせずに、合格した中でも特に教育面が充実していて実績もある進学校に入れと言われた。いささかレベルが下がった学校のほうが、特待生としてもっと優遇してくれるというのに。
「勉強なんてどこでだってできるから」
言いながら、やめてくれ、と心の底から思った。罪悪感に苛まれるばかりだから。
松井家はさほど貧しいわけではない。けれども、金持ちでもない。
二人が今の自分の親だと受け入れられない負い目もあり、気楽に寄りかかろうなどとまったく思えなかった。
「芹花もいるんだし、俺は金のかからないところがいい」
「私はどうせ頭悪いし、お兄ちゃん好きにすれば?」
妹の芹花はつんつんした口調で言った。
「パパもママもお兄ちゃんのことばっかり!」
あいつはよくそう愚痴るのだ。俺から見れば、芹花への愛情のかけ具合はそんな変わらないように見えるのに。
俺の成績がいいのは、単に彰寿の蓄積があるからだ。彰寿あってこその、今の松井智樹だ。それを松井家の面々はわかっていない。
お前のほうがうらやましいよ。完璧に父さんと母さんの子で、遠慮する理由なんて何もないのだから。
何度も言い掛けたが、口に出せなかった。
俺自身、自分がこうでなければ転生の話などとても信じられなかっただろう。
ここでいきなり、自分は前世の記憶を持っていますなんて言ってみろ。カウンセリングに連れて行かれるかもしれない。
時折、俺は気が狂ってるんじゃないかって、自分を疑いたくなるくらいだ。
この悩みを話せる相手なんてどこにもいなかった。誰に話しても、笑われるに決まってるから。
前世の記憶があるというだけでなく、その前世が華族の生まれで軍学校首席卒業で美形の鈴森彰寿。絵に描いたような凡人の俺がそんな発言をしたら、失笑の嵐だろう。今の立場と違いすぎる。
彰寿は恵まれていた。松井智樹として生きていると実感する。
「お兄ちゃん、パパのこと、甲斐性なしって思ってるでしょ?」
ふと放たれた芹花のその言葉は、少々耳が痛かった。そんなつもりはなかったが、そう言われても仕方ない。鈴森の家と比べてしまっているのだから。
進学については、話し合った結果、うちが入学当初から奨学金を利用できるという条件内で一番レベルの高い学校ということに落ちついた。
男子ばかり教室に詰め込まれている風景は、なんとなく懐かしさがあった。
同級生は、裕福な家庭の子供が多い。その中には、一般家庭の人間で勉強ばかりの俺を見下す言動をする人間も、まったくいなかったわけではない。非常に子供じみた嫌がらせを受けたこともあった。
そういう類のはたいてい、努力を馬鹿にすることで粋がっているだけだ。親しみを感じることはない。ただ、俺がもらった奨学金の出どころは、彼らの学費にあるのは事実だった。
この学校では、俺はどちらかというと高山田に近い立場になった。ただし、彼らと彰寿が一緒だとは思わないし、俺は高山田の出身など構わず、あの思想や性格が嫌いだったわけだが。
松井の家には何の権力もない。無駄な浪費もできず、自分でやらなければならないことも多い。今のクラスメートが簡単に得られるはずのものを、同じように気軽に手に入れられるわけではない。
立場が違うのだから、当然と言えば当然だろう。
かつての敵の願いは叶ったどうか、俺にはまだわからない。ただ、生まれ変わった先の時代は、かつて彰寿が生きていた頃とだいぶ様変わりしていたのは事実だ。
教科書によると、彰寿が生きていた時代は、「革前」という区分に含まれるらしい。
維新で開国したこの国は、数十年かけて国際的地位を固めていった。伝統として続いていた文化と異国の新しい文化が混ざり合い、目覚ましい発展を遂げていく。
たとえ誰かにとっては生きづらくても、俺にとっては美しく愛おしい時代だった。未来への希望に輝いているように見えた。
しかし、正寧九年に、その平穏は打ち砕かれた。平民出身の若手将校を中心とした過激平民派が銀座にて決起したのだ。これを銀座クーデター、銀座事件などと呼ぶ。
要人の身柄を押さえ、報道機関を占拠した彼らの要求は、特権階級の身分放棄であった。何にも縛られぬ、真の四民平等を訴えたのだ。
皆が等しい立場になり、すべてを分かち合って生きていく。その主義を打ち出した外国の思想家に感化されたのだろう。
最初に声明を耳にした時点で、俺は彼らに嫌悪感を抱いた。一人でも鬱陶しい高山田が数十人も存在する状態なのだから。
絵に描いた餅のような考えだと思った。彼らの行為は子どもの駄々にも思えたし、軍人でありながら浅はかに国へ刃向かった行為が許せなかった。
真に都合のいいものしか見ていない者は誰だ。誰かの顔を思い浮かべながら、俺は心の中でそう吐き捨てた。
あれしき、すぐに収められるだろう。他の将校たちも、楽観視していた。彼らも大半は同じ平民の出身であったが、元より過激平民派の思想を軽視していたのだ。
しかし、交渉が決裂してから事態は一変する。徹底的な反抗を決意した彼らの士気はこちらの想定以上に高く、軍側は多大な損害を受けた。しまいには当初の倍の人員を投じてようやく鎮圧に至った。
俺――鈴森彰寿は、その最中にあっけなく殉職してしまったというわけだ。
その後、クーデターは失敗に終わり、中心人物のほとんどに死刑判決が出た。
しかし、ここで更に事件が起きる。彼らの行動に影響を受けた者たちが全国各地で蜂起したのだ。おかげで、国は北から南まで荒れることとなった。そこに他国も干渉してきて、我が国はかつてないほどの窮地にさらされた。
自国民ですらも敵という状況のうえ、島々には他国軍が海を越えて迫る。日本が完全に分割されるのも時間の問題だった。そもそも、クーデターもその後の蜂起も、このために諸国が仕組んだという説があるくらいだ。
混乱を極め、追いつめられた政府は、反乱を起こした平民派の中心人物らとの対話で取引を交わした。そしてその後、同盟国の助けを得て国内を平定した。
そして、帝や宮様方だけが残り、華族はその身分を失った。これを正寧革命と呼ぶ。一般に「革命」といったら、これのことを指す。
それからさらに約半世紀の時を経て、「革命後」である現代に至るわけだ。
さて、クーデターに加わり、彰寿が最も忌み嫌った人物である高山田はその間どうしていたのか。真の平等主義とはいかなかったものの華族制度が廃止となり高笑い……などとんでもなく、なんと革命の世を見ることさえなくこの世を去っていた。しかも、死刑判決も受けていないに関わらず。
そもそも彼は、軍学校在校時より首謀者らに目をつけられたが、引きこまれたのは決起直前であったと聞く。真実かどうかは疑わしいが、もう確かめる術はない。
首魁ではなかったことを理由に、裁判では無期禁錮が言い渡された。判決を聞いた彼は動揺することもなく、無表情で喜びも悲しみも表さなかったという。
高山田が自らの命を絶ったのは、その夜のことだった。衣服を引き裂いて帯を作り、それで首を吊った。看守によれば何の物音もなく、静かに死んでいったようだった。
激動の時代、他の同期は勇敢に戦った。しかし、首席と次席を常に争っていた俺と高山田は、革命初期に仲良くそろって退場していたというわけだ。
馬鹿みたいな話で、おそらく事件前の彰寿がこれを聞いたら「寝言は寝て言え」という感想しか持たなかったに違いない。それほど、本来ならば起こりえぬ話だった――俺が死んだのも、高山田がクーデター失敗後に自決したのも。特に高山田に関しては、あまりにふざけた末路で、怒りに震えた。
革命後、我が軍は一度解体され、約十年の空白の後、再編成された。その後何度か改革が行われ、名も変わった。元号が永喜の世になった今では、かつての数割の規模まで縮小されている。
これだけに留まらず、彰寿の死後はさまざまな変化や驚きに満ちていた。そのことを知ると、ただ溜め息をつくしかなかった。
クーデター隊は平等を謳って事に及んだ。そして国は改変され、華族はなくなった。
いったん平らになったと思えば、すぐにまた貧富の差が生じた。革命後さらに発展し、先進国として国際的に安定した地位を確立した今でさえ、昔ほどではなくともこの国には格差が残っている。
本当に、何のために俺は死んだのだろう。
クーデターを起こしたやつらは無責任に国を引っかき回して、災厄を招いたとしか思えなかった。革命前の、正寧時代初頭の麗しい文化が途切れてしまった。
人々の価値観も今日までに変化し、俺の知っている日本人と何かが違うように思えた。正寧のときに良しとされていたものが、悪とされてしまっていることも多数存在する。
まるで、別の国に来てしまったような気分だった。
彼らはこんな世の中にするために戦ったのか。こんな未来を夢見ていたのか。そして、鈴森彰寿はそのために命を落としたというのか。考えれば考えるほど空しかった。
彰寿が死んだ後の数年、革命時代はただただ悲惨の日々と言うが、どうせ死ぬのならそこで死にたかった。危機から国を救うために戦い、覚悟を決めて散りたかった。
あそこで俺が死んだことで、いったい何が守れたというのか。
たいした意味のない死など、屈辱以外の何物でもなかった。自分より劣っていたはずの同期たちのほうがずっと国に貢献し、名誉を得たというのに、彰寿はろくな働きもできなかったのだから。
自分の知らぬうちに斯様な歴史が築かれたのだ知ると、呆然としたくもなる。
何もかも受け入れがたかった。
革命は激動の時代なんてとんでもない。俺からすると、空白の時代だ。