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第一話 自虐はときに最強の攻撃にして防御でもある


「ふ、ふざけるなよ!」

 意識して低くしているものの、それでも女性らしい声であることに違いない。

「お前のことなんて大嫌いだからな、高山きゃわ!」

 あ。

「噛んだ」

 俺が心で思うのと同時に、横から苦笑の声が漏れる。

「やっぱり滑舌はしょうがないかな? アイドルだもんね?」

 そうやって首を傾げながら、この部屋の主はこっちを見る。

 同時代をテーマにした映像作品を三点選び、各々を比較し考察を述べよ――それが、通年で取っている必修授業の課題だ。

 というわけで、俺は今、菊川の部屋で革命映画を見ている。二つくらいかぶってた方がお互い話し合えて発展するしってことで。

 大学は、夏休みが九月まであってありがたい。芹花がだるそうに学校へ行くのを悠々と見送るとき、特にそれを実感する。

 俺は菓子をつまみながら不平を述べる。

「NGにすべきだろ、今の。ていうか、なんで俺役が女なの。おかしい。前原呪ってやりたい」

 しかも、アイドルにしてはそこまで可愛くない。一般人の桧山さんのほうがずっと絵になる。

「私情を挟むなよ。俺が、高山田が実物よりも美形俳優使っているからこれ最高、とか言ったら引くだろ」

「お前、そんな自虐言うなよ」

「誰が言わせたんだよ」

 ケースで頭をつついてくる。地味に痛い。

 しかし、こうやって、また軽口を言えるような関係になるなんて思わなかった。俺は頭をさすりながら、前世の宿敵だった男を見る。

 あれから二ヶ月弱、菊川とは以前のような関係に戻りつつあった。もちろん、すぐにというわけにはいかなかった。しかし、こいつがあれこれと様子を窺ってきてそれに対応しているうちに、少しずつ俺の気が緩んでいってしまった。

 危うく殺しかけたという負い目も俺にはある。それについての謝罪と、止めてくれた礼をこちらが口にしたのを契機に、おおよそ元の関係になった。俺は俺でこいつに前世で殺されかかったわけだが、それもあの一件で手打ちだと互いで決めた。

 何故いまだに俺に構うのか。何度尋ねても、返事はいつも決まっていた。

 ――今の俺は、菊川咲哉だから。

 そうきっぱりと言われると、いつまでも鈴森彰寿ぶってる俺が遅れを取っているみたいで腹立たしかった。

「こら、ちゃんと見なさい」

 今だって、そう注意してくるのもなんだか癪にさわる。同い年のくせに。

「お前は親か」

 菊川は視線はテレビに向けたまま笑う。

「ほら、俺、今は姉と妹だからさ。弟が恋しくて」

 弟かよ。確か、前世は弟が二人、妹が一人だったか。

「来世は、いい加減兄もほしいけど」

「おう、兄はいいぞ。いいことも悪いことも教えてもらえるからな」

 後者は、主に次兄にだが。

 長兄の寿貞は、真面目な跡取り息子だった。感情を高ぶらせたところは見たことなかったし、周囲からの評価も高く、鈴森の父も厚く信頼していた。いつだって優しくて穏やかで、俺にとっても自慢の兄だった。

 次兄の寿史は、どういうわけか対照的に育った。不真面目な趣味人で、親の言うことに逆らい、自分の道を進んだ。心臓に悪い思いもさせられたが、楽しいことはたいてい彼に教わった。万年筆趣味もそのうちのひとつだ。

 どちらも、彰寿にとっては良い兄であったと思う。兄同士も互いに気を遣い合い、めったに揃いはしなかったものの三兄弟の関係はよかったはずだ。

 そう話すと、菊川は愉快そうにしながら頷く。

「やっぱり、今はお兄ちゃんなのに、どっかまだ弟気質だよね」

 どこがだ。芹花がアレなだけで、俺はそこそこ良い兄貴をやっているつもりだ。

 そんな菊川は、テーブルの上に置いた缶ハイを手に取る。俺も脇にあるストックに手を伸ばそうとしたらはたかれた。

「未成年は止しなさい」

「なんだよ、お前が飲んでるんだからいいじゃん」

「まあ、一応俺はこのたび成人しましたから」

 そうだ、こいつが浪人していたんだった。

「お前なら余裕で現役合格だったんじゃないの?」

 菊川は、うちの母さんからの差し入れであるキッシュをかじる。そして、咀嚼して飲みこむと、ゆっくりと口を開いた。

「最初は地元から出ずに、あっちの大学行く予定だったから」

「え?」

 それは初耳だった。

「学生の間は、実家を出るつもりなかったんだ。だから、地元の学校を出て、地元企業に就職するか親の仕事を手伝おうと思っていたんだ」

 けれども、ずっと東京が気になっていた。前世の自分にとって、良い記憶も悪い記憶もすべてが詰まっている東京が。

 菊川は、笑みを崩さないまま更に語る。

「卒業してから東京に出て働いてもよかったかもしれない。でも、そのときは、今行かなきゃって思ったんだ。四年後じゃ遅いって、そう思って。親に土下座して、来年もう一度受験させてほしい、東京に行かせてほしいって頼んだ」

 菊川家の両親は最初、渋い顔をしたらしい。けれども最終的には、うちの大学ならばと了承してくれて息子を送り出したという。

「両親には、感謝してもしきれないよ。仕送りまでしてもらっているからね。だから、卒業したら親孝行しないとな」

「地元に帰る?」

「そのときによる。こっちに留まった方がいいのなら留まるし、もしもあっちに帰ったほうがよさそうなら帰る」

「そっか……」

 次の言葉を探していると、顎に衝撃と痛みが走る。菊川がケースを投げてきた。

「お前はいいよな。前世も現世も東京民で」

 言葉のわりには弾んだ声だ。

「そういう巡りあわせってあるんだよ」

「……そうだな」

 そういう話をしているうちに俺たちの出番は早々に終わり、それからは延々と革命の話だった。主人公が軍人なので、その後も懐かしいといえば懐かしいものが多々出てきた。

 実を言うと、この映画の原作は、芹花や桧山さんがハマっているあのカクハナだ。当時人気のアイドルを彰寿役として当てたという。何がいいのか映画開始後四十分経ってもよくわからないが、そこそこヒットしたらしい。

 歴史考証担当の中に前原の名前も入っているが、あいつが何をどう考証しているのか、俺にはまったくわからない。仕事サボってるんじゃないか?

「前原もさ、許可すんなよ。鈴森は男だってさ、そこは譲んなよ」

「ほくろさん、元気そうで何よりだよ。これに関しては鈴森家にも話通したのかね」

 そこで思い出すのは、以前霊園であった寿基と万葉子ちゃんだった。うーん、あの様子だとこんなふざけた企画を許可するようには見えなかったが。

 ぐだぐだと喋っているうちにカクハナ劇場版は終わってしまった。そのあと、もう一本今後はもう少しまともな映画を見た。

 革命まっただ中の、政治家のおっさんのやりとりが続く。平民派とどのような交渉をするかが物語の柱だ。

「あの大臣、あんな好人物じゃないよ。外面がすごくいいだけで、自分の子供全員から嫌われてた」

「会ったことあるの?」

「ああ、遠い親戚」

 何せ政治家にも縁者が多い鈴森彰寿。面識のある有名人などたくさんいる。

 俺だって……。

 菊川に悟られないよう溜め息をつきながら、俺はあんころもちを食べる。菊川が帰省したときの土産だ。さすが和菓子どころ、美味い。

「もしさ、俺たちが二人ともあそこで死ななかったら、どうなってたかな」

 不毛な疑問をあえてぶつけてみる。

「喧嘩が、学校名物じゃなくて軍名物になってたら面白かったかもしれないな」

 そのとき、菊川が今度は拳で小突いてきた。

「なんだよ」

「いや」

 笑いを押し殺しながら、菊川はテレビを見る。俺も、いいかげん映画に集中することにする。

 平和、なのかもしれない。

 彰寿のままだったら、絶対、仲良く並んで映画なんて見なかった。それどころか、二人きりになることもなかった。

 もう俺は彰寿ではないし、こいつも高山田ではない。

 でも、まだ心に残っている澱の存在を意識しながら、俺は懐かしさと違和感の同居する画面を眺めていた。




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