プロローグ
小さい頃、降ってくる雪が異様に苦手だった。
ふと傘をずらして、小さな結晶を散らしてくる雲を見上げると、それだけでぞっとした。白い粒が大量に、じわりじわりと迫ってくる様子がとても恐ろしく思えたのだ。
家族でスキーに行ったときも、一面が分厚い雪で覆われている斜面よりも、ちらつく粉雪のほうがずっと怖かった。
そもそも、冬自体、嫌いだ。
どんなに服を重ねて、暖をとっても、冷えた空気に心が押しつぶされてしまいそうになる。じわりじわりと蝕まれながら。
ふと寒さを意識してしまうと、どうしようもなく震えてしまった。
当時はまだ、自分でも理由がわからなかったから、何故こうなってしまうのか他人には話せなかった。変なやつ扱いには慣れていたとはいえ。
ようやく納得できたのは、前世の記憶を取り戻してからだ。
冬のあの日、銀座で俺は――鈴森彰寿はその生を終えた。
薄れゆく意識の中見上げたあの空が、白くちらつく何かが、死への無念さや恐怖と結びつくのだ。
別に、極限まで追い詰められた末の死ではなかったというのに。己の心がいかに脆弱であったか思い知らされ、虚しい自嘲に支配される。
その後、松井智樹として生まれ変わった俺は、毎年、彰寿が死んだ日を通り過ぎる。
クーデターの日付など、多くの日本人にとっては特別なものでもなんでもない。革命時代を知る人間や、教科書に出ているから覚えるという人間以外には、どうでもいい数字だ。
けれども、鈴森彰寿や松井智樹の誕生日よりも、他の何かの記念日よりも、俺にとっては特別な日だった。
この日だけは、静かに過ごそうと心がけていた。自分からは何もせず、ただ穏やかに過ごす。そして夜になったら、時計を見つめながらひっそりと、かつての自分の死を想うのだ。
冬なんて、彰寿だった頃から好きではなかったのに、智樹になってからはますます憂鬱になった。
だから、春になって、雪ではなく桜の花が舞う頃になるとほっとする。あの年、彰寿が迎えられなかった季節に辿りついたような気になって――自分はもう鈴森彰寿ではないのだと理解していても。
そんな俺も、もう十九歳。大学生になってしまった。
彰寿が死んだ年齢である二十歳まで、あと少し。
彰寿の人生に比べると、智樹の人生はどこか密度が薄く感じる。それは、生きることへの姿勢の違いなのか、時代のせいなのか、美化しているだけなのか。答えを選べない。
そういえば、小学校の頃、家族で花見に行って趣味の写生をしている最中に父さんがふと呟いたことがあった。
「桜の花弁も雪も一見儚いけれど、地面に落ちたあとは雪のほうが綺麗な気がするな」
「どうして?」
ひらりと舞い降りた淡色の一片を捕まえ、それを俺や芹花に見せる。
「雪は、すーっと溶けていくだろ。でも、花弁はもっとゆっくりと朽ちていって、ボロボロになるから、なんだか悲しくなるんだ」
枝や萼から離れた花弁は、触れても、雪のように溶けて消えるわけではない。地面に落ちてもしばらくそこに残って、ゆっくりと時間をかけて汚れながら風化していく。
せっかく綺麗な花がそうなるのは、なんだか寂しい、と。
北国の人に言ったら、雪だって泥になるとか怒られたけれど。そう笑う父さんの横で、俺は風に散らされる桜をじっと眺め、その行方を追った。
そのやりとりを振り返って思う。もしも彰寿の人生が雪だとすれば、智樹の人生は桜のようなものになるのだろうか、と。すぐに溶けることはなく、瑞々しい姿を失い、ゆっくりと朽ちていくような……。
人生二度目だが、老いていく自分は知らない。二十一歳から先、その時間の感覚はわからない。
ひとつ確かなのは、十九歳までの時間を、彰寿に比べて松井智樹という人間はゆっくりと消費してきた、ということだ。迷いながら、悩みながら、言い訳しながら。
そして、俺はあいつと出会ってしまった。
心底蔑み、嫌っていた高山田の生まれ変わりである、菊川咲哉。
彼と出会ったことで、静かにたゆたっていた俺の時間は、急流へと押し出された。
前世で俺の死の理由に関わった彼は、生まれ変わった今でも、俺の人生に大きな影響を及ぼすらしい。
もし松井智樹も菊川咲哉も死んだとして、お互いまた生まれ変わったら、そこでも何か因縁が生まれるのだろうか。




