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エピローグ



 あれから三日。心はまだ晴れない。

 高山田は殺してやりたいけれど、あれはもう高山田じゃない。殺すことはできないとわかっても、その現実をどう受け止めたらいいのかという答えは見つからない。

 ――自分が鈴森彰寿だと思うなら、このまま殺してくれ。でも、もしも今のお前が松井智樹であるなら……。

 そう言われても、そう言われてもさ。

 頭を掻きながら、俺は重い身体を引きずって日比谷へ出かけた。もちろん、目当てはあの軍博だ。

 平日で一般客は休日よりも少ないが、運悪く小学生の社会科見学にぶつかった。

 賑やかすぎる。走るな。まあ、俺だって最初はああだったんだから、あんまり目くじら立てるのも大人気ないんだが。

 他のものにはまったく目もくれず、俺はまっすぐにあの場所を目指した。

 彰寿は相変わらずそこにいた。

 よく考えれば、本当にそこまでたいした活躍もしてないわけで、こうして個別に遺品も込みで紹介されるのも、一部の人間にはそこそこ人気の存在になるのも不思議なのかな。

 これぞ典型的な死後に知名度が上がったタイプの人間だよな。

 最初にここに来たときはこの写真も見上げていたというのに、俺の背もだいぶ伸びた。

 すっかり同じ高さに……ガラスに薄く反射した俺の顔と彰寿の顔が重なるくらいになっていた。

 突然、パシャッという音とともに、あたりが一気に明るくなった。隣の小学生集団がフラッシュをたいたのだ。ここは撮影禁止だっていうのに。

 けれども、文句を言う気にならなかった。光が発せられたその瞬間、ガラスの反射が強まり、そこには俺の姿しか見えなくなった。

 彰寿じゃなくて、俺の――松井智樹の姿。

 閃光はすぐに消え、再び俺の視界に入ったのは彰寿の写真。

 教師が飛んできて俺や館の職員に謝るが、全然耳に入らなかった。

 わずかに映った俺の影の向こうに彰寿がいる。

 なんだよ。

 俺は実感してしまった。あの向こうにいるのは、もう自分じゃないんだ。輪郭も、目も、鼻も、口も、ついでに言えば名前も家柄も、今の俺とは何もかもが違う。

 ――鈴森の人生は恵まれすぎていたさ。落差はあるだろう。でも、お前は贅沢だよ。

 菊川の言葉が俺の心をいたずらに針で突いてくる。

 ――お前は何者なんだ。

 俺は鈴森彰寿でもあるし、松井智樹でもある。

 松井家はやっぱり嫌いになれない……芹菜がちょっとアレなだけで。

 それでもまだ鈴森彰寿としての記憶があって、彼の人生の大きなことからどうでもいいことまでが経験として自分の中に残ってる。

 だからこそ途方に暮れる。 

 思わずトイレにかけこむ。設置された鏡に映るのはもちろん、麗しの美青年でも何でもない、平凡を絵に描いたような松井智樹という男だ。

 小さい頃にあった、自分の姿への違和感は、今はもうない。それなのに、胃のあたりが無性にうずく。俺は他のコーナーを見ることもなく、急いで館の外に出た。

 日比谷公園や皇居の木々を見ると、何だか切なくなってきた。かといって、霞が関の方まで歩く気分にもなれないし、銀座もやめておくべきだろう。

 俺は少ない選択肢の中から新橋を選んで歩き出した。

 空は革命前よりも青が薄い気がした。それは俺の錯覚なのか、それとも時代の移り変わりなのかもわからない。

 ただ、若干空気の悪い通りを歩いていると何となく落ちついた。

 これからもずっと俺は彰寿と智樹の狭間で悩むんだろうか。

 きっとこれはあれだ、彰寿が自分の人生大好きで未練がありすぎるからだ。せめて彰寿がもう少し自分のことを嫌いでいてくれたらこんな気分にもならなかったはずだ。

 俺は無理やりそう結論づけたくなった。

 これから、どう生きていけばいいのかな……。

 途中、携帯が鳴る。画面には、見たくない名前が表示されていた。

 菊川咲哉。

 俺は舌打ちしながらメールを開く。ああ、忌々しい。もう少しタイミングを考えてくれ。

「くそ、高山田死ね」

 もちろん、高山田自身はとっくに死んでいるわけだが。



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