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第二十二話 夢だということにしておきたい



「へ?」

 何を言われたのか、まったく理解できなかった。脳が処理できない。理解が追いつかないのか、理解を拒んでいるのか。

 あの邦彰を知った日よりもずっと混乱している。

 だって、高山田? 誰が? こいつが? 菊川が?

「おいおい、冗談だろ?」

 菊川は静かな目で俺を見る。これ以上ないほど真面目な表情。

「それは、生まれ変わりがあるかってこと? それとも、俺が高山田ってこと?」

「……だって! だって、お前は高山田じゃないよ!」

 菊川はあんなやつじゃない。礼儀正しいしフォローはうまいし、人を罵らないし卑屈じゃないし、話は合うし。

 だから、いい友達になれそうだって、そう思ってたのに。

 なんだよ、こいつ。いきなり何言ってるんだよ。

「お前は?」

「え」

「お前は、鈴森じゃないのか?」

 言葉に詰まった。

 どう答えるべきなんだ?

 俺が鈴森彰寿だってことは、嘘でも否定したくなかった。だって、俺にとっては何よりも重要な事実なのだから。でも……。

 俺の様子を見て、菊川はニヤリとする。

「やっぱりそうなんだな?」

「それより、しょ、証拠はあるのかよ! お前が、お前が、高山田だっていうさ」

 興奮のせいか、呂律が回らない。

 菊川は苦笑する。その余裕っぽい態度が腹立たしい。

 頼む。冗談だって言ってくれ。俺をからかっていただけなんだと。

 俺は、お前を嫌いになりたくないんだ。

「……高山田邦勝、奉佳二十三年生まれ。士族だったものの、時代の波に乗れず困窮。おかげで、貧困にあえいでいた」

「そんなの、資料見ればいくらでも出てるじゃないか」

 そうだな、と彼は頷く。どうしてだろう、今はその笑顔に嫌悪感しか抱けない。昨日までは何とも思っていなかったはずなのに。

「お前、覚えているか。いつだったか、小説か紙芝居でもやってろって言ったのは」

 夢にも見たあの記憶が鮮明に浮かび上がる。

「教室で争うときはいつも、まず前原が止めに入ったな。そして、結城がお前を抑える役、俺を抑えるのは佐藤の役目だった。結城では俺を止められないから、あいつは小さいお前の担当だった」

「小さい言うな!」

 反射的に出た俺の言葉に、菊川は口の片端だけを上げた。

「そうやって身長のことを言うとすぐムキになるところも相変わらずだな。でも、今は図体が大きくなって。よかったじゃないか、夢が叶って。あの頃は、背丈がほしい背丈がほしいってあんなに」

「うるさい!」

 俺が怒鳴ると、菊川はわずかに息を漏らす。そして、空を見上げて、過去を懐かしむように言った。

「事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったもんだよな。お前が鼻で笑ったあの平等論よりもずっと夢見がちな現実が俺たちにやってきた」

 一瞬、菊川の背後に軍学校の風景が見えた。

 本当に……本当に菊川が高山田だっていうのか?

 視界が揺らぐ。陽炎のように、あいつの姿がぼんやりとして。ああ、気を失いそうだ。

「なんで……」

 声も拳も震える。

「なんで、よりによってお前なんだよ! 今まで生まれ変わった人間なんて一人も会ったことなかったのに、どうしてそれが高山田で、菊川なんだ」

「わからんよ」

 そう皮肉げに笑う菊川は、生前の高山田そのものだった。背筋が凍る。

「俺だって、まさかこんなことになるとは思わなかったよ。転生したことも、お前と再会することも、まったく想像していなかった」

 腕や肩は冬に戻ったかのように冷たいのに、頭だけが熱い。このまま破裂してしまうのではと思うくらい痛む。

 薄鈍色の景色が俺の意識を奪おうとする。

 あの日抱いた憎しみが心の底からふつふつと沸き上がってきた。

 俺はとっさに罵ろうとして口を開いた。それなのに、声が出なかった。どこにも力が入らなかった。

 何故なんだろう、あれだけ恨んで呪っていた相手が目の前にいるのに。

 喉が締めつけられる。息ができない。

 俺は踵を返した。

「……帰る。お前の顔を見ていると吐き気がする」

「すっ――松井」

 こちらに伸ばしてくるその手を払う。その瞬間、やつがひどく傷ついた顔をするから、余計に腹が立った。

 なんだよ、今さら。

 あの冬の日を思い出す。あっけなく死んだ、あの最低な瞬間を。

 永喜の世に放り出されて、少しずつ失っていったはずの平民派が、呼びもしないのに心に一斉に戻ってくる。押すように。さながら波のごとく。

「俺は、お前たちのせいで死んだんだ。国難に何もできずに、こんな平和な世の中になってから生まれ変わって見せつけられて。それだけは今でも恨んでるよ」

 華々しいとはお世辞にも言えない、情けない死に方だった。理解しがたい連中の相容れぬ思想に巻き込まれた、馬鹿馬鹿しい死に方だった。

 菊川は何も言わなかった。どうせ見苦しい言い訳されても耳を傾ける気は起きない。

 足早に去ろうする俺の背中に、菊川は言葉を投げつけてきた。

「恨むなら恨め」

 上半身だけで後ろを向くと、唇を噛みしめた菊川が俺を見つめていた。そこに高山田の姿が重なる。あの卑屈な目つき。

 ぞわっと身の毛がよだつ。

 どこか壁があるように感じたのは、中身が高山田だからか。

 それなら納得だ。俺が本能で拒んでいた。そういうことだ。

 生まれ変わっても、やはり俺はこいつが嫌いなのだ。いざ本人を前にすると、それを実感する。

「……もう一度死んでしまえ」

 遠い昔に抱いていた生理的嫌悪感がよみがえる。感傷に浸れもせずに俺はそう吐き捨てて、その場をあとにした。

 それから、自宅までどう帰ったのかは覚えていない。気づいたら自分の部屋でベッドに伏していた。

 心臓の鼓動が早い。苦しささえ感じる。

 まだ、さっきまでのことが夢じゃないかと疑っている自分がいた。

 でも、あいつは……菊川は、あの頃の些細な出来事をよく知っていた。普通なら知りえないはずのことも。

 こんなこと初めてだからうまく言えないけれど、同類の気配がした。

 菊川は菊川のはずなのに、確かに高山田なのだ。俺が彰寿であるように、あいつは高山田の魂を持った存在だ。決定的な理由はないが、それは確信を持って言える。

 顔立ちはまったく異なるはずなのに、あの表情は高山田としか言えなかった。

 あの爬虫類顔が脳裏に浮かぶ。

 いつもいつも敵意むき出しで、実力を持っているくせに劣等感にまみれた男。

 俺が死ぬ原因となった男。

 もしも目の前に現れたら、もう撃つことはできなくても、殴ってやりたいと思っていた。なのに、手も口も出さずに帰ってきてしまった。

 高山田の幻が俺に囁く。

「都合のいいものしか見ぬこいつが何に苦しんでいるという」

 俺は、いったい何を見てきたのだろう。

 今までの出来事がフラッシュバックする。でも、もう菊川がどんな顔だったのかも思い出せなくなりそうだ。すべて、高山田の容姿に塗りつぶされてしまう。

 気が動転している。手を見ると、まだ指が震えていた。

 だって、平静でいられるはずがない。

 これまで、自分と同じ境遇の人なんて誰もいなかった。現世とのギャップとか苦しみとか後悔とか、そんなの話せる相手は皆無だった。

 誰にも理解されず、打ち明けないまま生きていくのだと思っていた。そして仲間にようやく巡り会えたと思ったら――。

 こんなことってあるか? どうして、よりによって……。

 最期に撃たれた場所がうずく。まるで銃弾がこの身体に留まっているかのように。

 今死ねば、今度こそ解放されるのかな。

 そんな考えが浮かぶが、どこの時代に生まれようとあいつが追いかけてくるような気がした。

 俺は、呪われているのだろうか。

 悪夢だ。今まで見た、どの夢よりもひどい。

 前世を忘れられる日が来るどころの話ではない。そんな呑気な話を考えられた昨日が、とても遠く感じる。

 たった一日で、すべてが引っくり返ってしまった。

 これが現実なんて、信じたくない。

 俺は耳に手を当てながら、願うように何度も呟いた。

 彰寿の死後のことを知ったときの何千倍も、今の状況は受け入れ難かった。




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