第二十一話 友達がアレでした
半日めいっぱい動き回って、無事ツアーは終了した。
資料の写真とメモがたくさん手に入ったおかげか、桧山さんはごきげんだ。その笑顔を見ると、やっぱり今日は誘ってよかったと思う。芹花に感謝しよう。
その芹花はというと、まだ菊川に対して遠慮がちな態度だった。普段は俺にさんざん乱暴を働いているけど、こいつもやっぱり女の子なんだな。
その菊川も何だかんだ言って楽しかったようでよかった。
「レポートはもう心配ないよな。これだったらSもらえるだろ」
「いやあ、まだわかんないよ。じゃあ、レジュメ直したらメールで送っとくね」
桧山さんと別れ、その直後に菊川も地下鉄の改札へと消えていった。
「はあー、今日ぜんぜん話せなかった!」
「話してたじゃん」
「違う違う、革命以外のこと!」
「お前、今日何しにきたんだよ」
この浮かれ具合が嘆かわしい。
「お兄ちゃんこそ、歩実さんと進展してないじゃん。菊川さんとどっこいどっこいだよ! もう、あの二人くっついたら、私たちバカみたいだよ」
「私たち、じゃない。お前だけだ」
鞄を背中にぶつけられる。やっぱりこいつはだめだ。
「だいたいさ、菊川さんがいちばん見てたのお兄ちゃんじゃん」
「はあ?」
こいつ、とうとう身近な人物にまでその魔の手を伸ばすようになったのか。三次元無理とか言っておきながら。
「おい、妄想はほどほどにしろよ。そういうところ母さんに似たよな」
「妄想じゃなくて本当だもん。銀座でも永田町でも、ずっとお兄ちゃんのことチラチラ見てたよ。やけに熱のこもった視線でさ。やっぱり二人ってそういう仲なの?」
確かに、ふいにあいつの方を向いたら目が合った気がするけど……。
「ふざけんな、この腐女子」
男二人がちょっと関わったくらいで何でもかんでも恋愛にしやがって。それって、本物の同性愛者にも失礼じゃないか?
「ちょっと、バカにしないでよ!」
罵詈雑言をぶつけてくる芹花をいなしつつ、俺は高山田の墓の話が気になっていた。
あいつの家族は、その後がわかっていない――。
苦しくなるからと、寿基に会ってから霊園にも行ってない。
けれども、今でも墓を守ってくれている鈴森家に感謝の気持ちくらいは持たなければならないだろう。
そう思うと、無性にあの場所が恋しくなった。今は亡き、鈴森の家族も共に眠るところが。
だから次の日、鈴森家の墓を訪れようと思った。
有名人の墓がたくさんある名所みたいなものだから、散歩感覚でうろついている一般人もいる。しかし、そんな浮かれ気分にはなれなかった。
自分の意志で来ておきながらなんだが、自分の墓を二度も訪れるとか、どんな経験だ。
しかし、昨日、ひとつ実感した。
俺は最近、現世をようやく楽しく感じられつつある。
家族がいて(妹は邦彰萌えの腐女子だけど)、友達がいて、片思いの相手がいて(やっぱり邦彰萌えの腐女子だけど)。
もしかして、こうやって前世はあくまでも前世として、どんどん遠ざかっていくのかな。
今、あの墓の前に立ったとき、どんな思いになるんだろう。もう、そんなに悲しくないのなら――。
木漏れ日を浴びながら奥まで行くと、ちょうど鈴森家のあたりに人影が見えた。
寿基か? 心臓のあたりが痛くなって、一瞬足を止める。
だが、そこにいたのは意外な人物だった。
「菊川……」
「え、松井?」
向こうは向こうで、ひどく驚いた様子だった。
昨日の今日でまた会うとは思わなかった。
菊川は慌てたように笑う。
「ああ、そういえば昨日、鈴森の墓の話してたもんな。まさか一緒になるなんて思わなかったけど」
「そうだな。あ、昨日はありがとう」
「こちらこそ……って、それはメールで話したのに」
菊川はマメだ。芹花ともいつの間にかアドレス交換していて、個別にメールを送っていた。何故それを知っているかっていうと、芹花がすぐに報告しにきたからなんだが。
そういうところは本当に俺とは違うよなあ。溜め息をつきながらは菊川の隣に立つと、彼は視線をやや右に動かす。
「そちらのは? それは位階?」
「ああ、そう。彰寿の祖父、父方の」
墓石を見つめ、菊川は掠れた声で呟く。
「本当に立派な墓だよなあ。高山田家とは大違いだ」
活躍せずにあっさり死んだわりには彰寿の品や情報が比較的残されているのは、実家のおかげだろう。
もし鈴森が華族じゃなくて、家もしっかり残ってなかったら、この墓だって高山田とたいした差はなかったかもしれない。
こうしていると、本当に他所の家の墓みたいだ。でも、そこに眠っているのは確かに自分で、あの頃の家族も一緒なのだ。たとえ俺の魂だけが別の形になってこうして存在していても。
みんなも生まれ変わってるのかな。前世の記憶を持っていないのかな。
前よりも心的ダメージは少ない。そのせいなのか、無駄な願いばかりが生まれて胸を満たす。
ああ、どんな形でもいいから鈴森の父母に会いたい。
いかん、完全にふっきれたわけじゃなかったみたいだ。感傷的になるのはしかたないけれども。
「おい、大丈夫か?」
菊川が顔を覗きこんできた。そして、はっとした表情になり、そのまま静止した。
芹花の言葉がよぎる。
「菊川さんがいちばん見てたのお兄ちゃんじゃん」
意識するなよ、俺も。いつものアホな妄想じゃないか。
でも、なんかすごく顔が近い。近い、近い、近いぞ、離れろよ。
彼が手を伸ばしてきて、びくりとする。
そのとき、頬に濡れた感触があることに気づいた。いぶかしんで目の下あたりに手をやると、自分が泣いていたのだと悟った。
菊川はこちらを見つめている。そりゃあ、いきなり友達が縁もゆかりもない他人の墓の前で泣いたら驚くよな。
でも、まずい。どうしてここで涙を流すんだって思われるよな。
どうにかごまかしたいけれど、どうすればいいんだろう。
「ごめん。俺、体調悪いみたいだ。また明日な」
気の利いた言葉なんて考える暇はない。一刻も早くここを離れたかった。でないと、もっと泣いてしまいそうになったから。
菊川の返事なんか聞かない。
なりふり構わず去ろうとしたその瞬間。
「……しろしい、こんげどうたれ!」
頭が一瞬で真っ白になり、足を止めた。
振り向くと、菊川は尋常でない目つきをしていた。
「菊川?」
「松井、どうして振り向いた?」
「お前が急に言ったからで……」
「聞き覚え、あるんじゃないか?」
確かに、すごく聞き覚えがある気がする。懐かしい響き。けれども、思い出せない。
「高山田がよく言ってたろう」
「あ!」
そうだ、興奮したとき、あいつはよくこう言いながら怒鳴ってきた。
納得する俺を見つめて、菊川は震えていた。
「お前、それ、どこで知った?」
「え……」
「どこで見て、どこで聞いて、高山田が使ってたって知ったんだ?」
「それは……」
言えるはずがない。だって、実体験なんだから。高山田の文献なんてほとんど読んでないし。確か、前原の著書にもそこまでは出ていなかったはずだ。
どう答えればいいんだ? こいつは高山田が載ってるような資料に強そうだが。
「そんなこと言ったら、お前こそどうなんだよ。なんで知ってるかって、それはお互い様だろ」
菊川は拳をぎゅっと握る。
「昨日も不思議に思ってたんだ。どうして鈴森彰寿が倒れた場所を、あそこまで正確に言えたのか」
「菊川?」
なんだろう、こいつの目がぎょろぎょろとして見える。いつもと全然違う。まるで別人みたいだ。
「どうしたんだよ、いったい」
「お前、鈴森なんじゃないか?」
空気が凍った。そうとしか言えなかった。
どうしてだろう、風が葉を揺らす音すらも聞こえなかった。いつかのときのように、とても静かで――。
俺は鈴森彰寿。何度そう言おうと思っただろう。だけど、いつだって言葉は飲みこんできた。だって、誰も信じる人はいないから。
それなのに、こいつはどうしてそんなことを言うんだ。
「菊川。お前……」
がしりと菊川は俺の両肩をつかむ。指が食いこんできて痛い。
「どうしてそう言うと思う? 知りたいか?」
ここまでくると、見つめ合いではなくて睨み合いだ。
菊川の視線は刃のように俺の心を切りつけてくる。
顔の形は違うのに、俺はかつてその目を見たことがあった。
「俺が、高山田だからだよ。鈴森」




