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第十九話 もしもツアーを組んだなら



「こんにちはー。前にすれちがいましたよね? 松井芹花です。兄がいつもお世話になっております。今日はよろしくお願いします!」

 地声が行方不明だよ、マイシスター。

 ここは有楽町の駅前。待ち合わせ時間より早めに行くと、すでに菊川が到着していた。

「菊川咲哉です、よろしく。芹花ちゃんか。絵、上手いよね」

 一気に芹花の顔が赤くなり、さりげなく俺の足を踏んできた。よせ、俺は無実だ。

「あ、その、えっと」

「俺はぜんぜん絵心ないからさ。羨ましいよ」

 菊川は天然なのかどうなのかわからない笑顔を浮かべる。

 恥ずかしさのあまりもじもじする芹花の携帯が鳴った。

「もしもし、あ、歩実さん? え、あ、そっちじゃないんです」

 どうやら間違えて別の出口に行ってしまったらしい。

 迎えに行くと言い残して、芹花は一度この場を離れた。その後ろ姿を見つめながら、菊川は微笑む。

「妹さん、可愛いね。うちのと交換したいよ」

「いつも殴ってくるのでよかったら熨斗つけて差し上げますよ。ついでに腐女子だけど」

「あー、待ち合わせの子も腐女子なんだよね」

「……そうなんだよ」

 くれぐれも本人たちの前では知らないふりをと頼みつつ、菊川には事前に話は通している。

 最初、飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになるくらいに爆笑された。邦彰、邦彰、とまるで誰かを呼ぶように呟くながら腹を抱えて突っ伏す姿に、俺は複雑な気分になった。こっちは他人事じゃないんだよ。

「大変だねぇ。革前萌えの腐女子か」

「笑いごとじゃないよ。俺、わりと悩んでるんだけど。お前は平気なの?」

 菊川は言いにくそうにする。

「うーん、うちの従姉妹も似たようなもんだから」

 だからそこまで驚いたりなんだりしてなかったのか。

「本当? いまどきの女ってみんなそんなもんかね?」

 何せ、中高は男子校で、あんまり同年代の女子と過ごさずにきてしまった。

 正寧時代にいた清楚な婦女子は絶滅してしまったのだろうか。

「いや、うちの姉はむしろ従姉妹のことキモいって言ってる。やっぱり人それぞれじゃない?」

 言いながら、菊川が何かに気づく。

 人混みの向こうに、大きく手を振る芹花と申し訳なさそうに手を合わせる桧山さんがいた。二人は小走りで近づいてくる。

「ごめんなさい、久しぶりに来たら出口間違えちゃいました」

「いえいえ、別に。時間まで余裕だし」

 ほっとしたように笑った彼女は、菊川の存在に気づく。

「こんにちは、桧山歩実です」

 久しぶりに会った桧山さんは相変わらず可愛かった。ぺこりと菊川に向かって会釈する。

 こうして顔を合わせると嬉しくなるあたり、やっぱりこの人のことがまだ好きなんだろうなと感じる。

 この際、腐女子なのはどうでもいい。問題は、ただひたすら、彼女が俺と高山田のアレやソレで萌えている件に限る。

 せめて、これがおとなしく普通のゲームとかアニメだったら諦める。諦めようじゃないか。

「すみません、突然割りこんじゃって」

 そう恐縮そうに、俺と菊川に頭を下げてくる。

「いえいえ、とんでもない」

 菊川が時計を確認する。

「そろったことだし、行きますか。お話は道中にでも」

 日比谷方面に向かって歩き始める。賑やかだ。その半分以上は芹花がいるせいだけど。

 中学の頃、一人で行ったときは憂鬱な気持ちでいた。けれど、今回はみんなと一緒でよかったかもしれない。あのときよりもずっと気持ちに余裕がある。

「軍博はもともと永田町にあったんだ。省庁が永田町だったから。でも、建物の老朽化と組織改編が重なって、日比谷へ移転することになった」

 開き直ってツアーコンダクターの真似ごとなどしてみる。

 意外にも、感心したように頷いていたのは菊川だった。

「あれ、菊川は知ってると思ってたんだけど」

「さすがにそこまでは知らないよ」

「お兄ちゃんの常識は他人の非常識だから」

 芹花、お前は黙ってろ。

 軍博は休日でもさほど混雑しない。軍ってもの自体、あまり現代人が食いつくテーマでもないせいかな。かつて所属していた身としては複雑だが。

 来館も数度目だけど、ひとまず展示室を一巡する。

 館内には来月からやる企画展のポスターが貼ってあった。その名も「男たちの書簡集」。

 革命の時代を生きた軍人たちの苦悩や決意が綴られた手紙。現存しているそれらを一挙に公開するらしい。校閲に引っかかって塗りつぶされた部分も含めて。

 別に恥ずかしいこと、悪いことを書いているわけじゃなくても、こうして世間に公開されると複雑な心境になるのでは。死んだ人間の分はやめてやれ、と思ってしまう。

 あ、そういえば彰寿の手紙が載っている本があるらしいが、まだ確認していない。ちくしょう、誰だよ提供したの。寿史兄上か?

「えー、なんで彰寿のないんだろ」

 歩きながら、取ったチラシの内容を確かめた芹花が嘆きの声をあげる。あってたまるか。

「革命の時代の苦悩ってあるんだから、当然だろう」

 あそこで死ななかったら、一通くらいは紹介されてたかもしれないが。

 会話しながら向かうは第三展示室。

 さっそく芹花と桧山さんは、銀座事件の彰寿の写真を見つけてニコニコする。わかりやすい。

「二人とも、本当に鈴森好きなんですね」

「はい! かっこいいし!」

 菊川の言葉に、芹花はにっこりと元気に答える。ああ、複雑な気分だ。

「顔が、ですか?」

「うーん、存在そのものですかね! あれだけ全部そろってるのに性格に難アリな俺様ってところが。でも、この顔だと欠点も魅力になりますよね」

 難アリで悪かったな。どうせ、顔と生まれを取ったら、ただのろくでなしだよ。他人から見れば。

「イケメンは何しても許されるっていうのはよくあること」

 桧山さん、そこで頷かないでください。

「まあ、確かに顔はいいけれど」

 菊川は彰寿の写真を見つめ、目を細めた。

 前々から思ってたんだけど、この写真写り悪くないか。他にも結構いっぱい写真残ってるはずなのに。もっとマシなのなかったんだろうか。

 それでも桧山さんはうっとりしている。

「桧山さん、鈴森はやめません?」

 高山田と藤堂あたりに興味が移ってくれたらどんなにいいか。あいつらは実際仲良かったし、いくらでもやってくれていい。

「やめません。ずっと好きです」

 きっぱり。ああ、これってある意味告白だよな。俺、彼女に好きって言われてるよな。でも、ここで「俺が彰寿の生まれ変わりでございます」とか言ったらツッコミが入るだけだよな、やっぱり。

 そんな俺の心情をくみ取ってくれる様子もなく、桧山さんはトコトコと裁判の展示に向かいながら、菊川に笑いかける。

「でも、私、高山田さんも好きなんですけどね」

 この「好き」という言葉、桧山さんや芹花が言うと……。

「へえ、珍しい。鈴森ファンの女性は多いけど、高山田はあんまりって皆言いません?」

 菊川は目を丸くした。

「私の周りでは人気ありますよ。でも、彰寿とセットでっていうのが多いかな」

 ああ、顔に書いてある――嘘は言ってませんって。それを読み取れる我が身がまた恨めしい。

「ああ、なるほどね。ライバルとか宿敵とか。鈴森ファンの中には、あいつが殺したんだって毛嫌いする人もいるんだけどな」

 彰寿を誰が撃ったかは諸説ある。高山田って説が主流になりつつあるけれども。

 そもそも、やつとはお互い「死ね」と言うのが挨拶のような仲だったし、俺も……あのときだって遭遇していたら殺してやるつもりだった。

「実際どうなんかね」

 現場にいたどころか当事者だったけれど、誰が俺を殺しただなんてわかりやしない。あのときは狙撃されてすぐに倒れて、意識が飛んだものだから。

「……わからない」

 菊川は難しそうな顔をする。裁判でも鈴森少尉狙撃は争点にあがったけれど、証言が食い違ったうえに、議論の中心にはならなかった。そんなものだ。優先すべき点は他にあったから。

 遠慮がちに桧山さんが入ってきた。

「高山田さんは、泥くさい理想家ってところがなんか惹かれるんですよね。革命を是とする人々の間でも賛否分かれる立場ではありますけれど、生身の人間っぽいところがいいっていうか、そこに燃えます」

 つっこまないぞ。絶対、「でも、そういう生身の人間らしさを感じている相手を、捏造した恋愛妄想で好き勝手に弄んでいるんですよね」なんてつっこまないぞ。ついでに、燃えじゃなくて萌えですよねとかもあえて言わないぞ。

 しかし、なんで高山田は「さん」づけ? あいつにそんな価値ありませんよ。

「桧山さんは、革命に肯定的ですか?」

 しばらく彼女の話を黙って聞いていた菊川は、静かに微笑みながら尋ねた。まるで、瀬戸さんのように。

 桧山さんは少し戸惑いながらも首を傾げた。

「どうなんでしょうね。とりあえず私は今の時代が嫌いじゃないんですよ。でも、それが身分制度がなくなったからってわけでは。それに、国内が不安定になったから、他国が介入してきたわけだし」

 かなり言いづらそうだった。

 革命前後の時代があまり人気ないのは、現代では扱いづらい部類に入るからだ。これが戦国や平安だったら戦だの何だの好き勝手に喋れるが、革命は当事者がまだ生きているほど近い歴史だ。

 記憶は生々しく、教師によっては授業でも簡単に済ませたがったりもする。

 革命があったからこそ今のいい時代を迎えられたと主張する人もいれば、革命がなかったらもっと素晴らしい国になっていたかもしれないという意見もある。

 おそらく、今は当事者もまだ多数存命で、革命の影響を俯瞰するには時代の距離が近すぎる。結論を出すのは早いのだろう。

 俺自身にだってそれは言えること。うん、わかってるよ。

「すみません。革命の時代好きって人には、つい聞いちゃうんですよね」

 初対面が初対面だったから、菊川は俺にはこういうこと尋ねてこなかったんだろうな。

 芹花は……まあ、論外かな。

「菊川さんは?」

 桧山さんの問いに菊川は苦みのある笑みになる。

「……肯定半分、否定半分かな。ずるい答えだって自分でもわかってるんだけどね」

 菊川は裁判の記事を見上げる。中心人物たちの写真が並んでいる。真っ先に目に入ったのが高山田で、俺は複雑な気分にさせられた。

 くそ、さっさと死にやがって。誰よりも何よりも、俺はお前に革命をどう思うか訊きたいよ。

 もう何年も俺の頭はそんなことでいっぱいだ。

 死ぬなよ、本当に。せっかく俺がこうして生まれ変わってるんだからさ。

「お兄ちゃん」

「え、何?」

 芹花が俺の目をじっと見る。何か感づかれたか?

「先進まなくていいの? 菊川さんのほうが歩実さんといい感じだよ?」

「あ」

 二人は会話しながら第四展示室へと足を進めてる。

「もう、しっかりしてよ。誰のためのツアーだと思ってるの」

「お前のためじゃなかったの? ちょっと俺トイレ行ってくるわ」

 いちど頭を切り替えたかった。芹花がむにゃむにゃ何か言っていたが気にせず、俺はいったんその場をあとにした。

 用を足して手を洗う。冷たい水が気持ちいい。ふと鏡を見やると、濃い影が落ちたような顔色の自分が映っていた。

 ――せっかくみんなで来てるんだから、もっと明るくなれよ。

 不甲斐ない自分に言い聞かせながら、展示室の出口で皆と合流した。

「遅い! お昼はお兄ちゃんのおごりね」

 くそ、可愛くない。

 芹花は桧山さんを引っ張って、銀座方面に進む。どこに連れていくつもりだ。一応、大学生の財布の範囲内に収めろよ。

 妹の背中を睨んでいると、菊川が寄ってきた。

「軍博で、革オタに目覚めたんだって?」

「へ?」

「芹花ちゃんがさっき言ってた」

 菊川は微笑み、俺と芹花を順に見る。

「社会科見学で倒れて、朝まで爆睡して、起きたら『どうしてこんな世の中に~!』と叫んでは革前の本を読み漁るようにって」

 げ、あいつそんなことまで。

 客観的に見ると、俺、そうとう危ない人間じゃないか。

「心配してたみたいだよ」

「心配? あいつが?」

「今は腐女子だけど、もともとはお兄ちゃんのことを理解したくて革前に興味持ったんじゃないかな」

「ないないないない。あいつに限って、そんな」

「まあまあ。そういうことにしておいてあげなよ」

 芹花がねえ。俺が中学の頃まではめちゃくちゃツンツンしてたのに。

 でも……あいつはあいつなりにいろいろ感じてたのかな。父さん母さんはあの性格だからいいけど、小学校のときは先生とかから俺と比べられてたようだし。

 俺が見つめていると、芹花が振り向く。

「お兄ちゃん、お昼パスタがいいー」

「あー、はいはい」

 ふと菊川の方を向くと目が合う。お互い苦笑してしまった。



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