第十七話 嫌な出会いをさせてしまった
こうして、菊川は大学でできた最初の友達になった。
同学年で革命時代専攻を志望している中でも、文句なくダントツで詳しい。俺も知らない些細な庶民文化に明るく、客観的な考察には思わず頷く。
それに、腐女子じゃないし。ここが重要。
だから、革命前後について思いきり話せるのが嬉しかった。
勉強に熱が入るようになったのは、智樹として生まれて初めてだったかもしれない。
彼と話していると、彰寿の頃、必死で努力していたときのことを思い出す。まだ前世には遠く及ばないけれど、知識欲がどんどん湧いてくる。懐かしくなるくらい。
菊川の存在はおおいに刺激になった。
俺の家は、ちょうど大学と菊川の家の中間に位置する。授業のあと、たまたま俺が持ってる資料が見たいと言うので家に寄ってもらった。
我が家は、俺の風貌とはかなりかけ離れた外観だから、ちょっと躊躇したが。中高時代も三崎や赤城くらいしか招かなかった。あいつらの爆笑に比べたら、菊川は控えめな反応だった。
部屋に入るとすぐ、菊川は本棚を見て感心した。
「へえ、すごいな。ちょっとした図書館並みの品揃えじゃん」
「そうか? まあ、中学のときから、小遣いとお年玉とバイトでコツコツ集めてこんな感じ」
「いやいや、立派立派」
母さんが持ってきた、複雑な名前のアイスティーを飲みながら、彼は並べられた本の背を一通り眺める。
「でも、本当に革命時代ど真ん中の本少ないんだな。革前ばっかり」
悪いことでもないのに、ギクリとするのは何故だろう。
「ああ、高校くらいまでは陽慶から正寧初期だけが好きだったから」
ていうか、実際生きていたんだけど。
受験勉強期間だと、さすがに目を通すのは参考書のほうが多くなってしまった。そのせいで、前原の本を読んだ以降に買った資料本は少ない。
マニア向けの革前本の揃いっぷりと比べると、銀座事件以降のは、教科書のような王道のものばかりだ。
「そこからズレて革命に手を出した理由が、向き合って勉強しなきゃいけない気になったから、だっけ?」
なんて答えたらいいのやら。俺は頭を掻いた。
「ずっと革前が好きで……で、そこからどういう道筋を辿って、現在に至るのか考えると、やっぱり革命は避けて通れないだろう? だから、革命をちゃんと知れば何か見えてきそうな気がしてさ」
俺……彰寿があそこで死ななかったら、未来は変わっただろうか。それはわからない。
でも、革命がやっぱりこの国のターニングポイントだったのは実感する。
パラパラとページをめくる音が響く。
「そうだね」
菊川は指先で何かの写真を撫でていた。
「俺も、まったく同じだよ」
顔を上げた菊川は柔和な笑顔で、革命話を始めた。ちょっと寄ってもらうつもりがかなりの長居になったが、時間の流れなんてまったく感じなかった。
その日、菊川には何冊か本を貸した。
返すのはいつでもいいとだけ言っておいた。図書館は期限があるから、こういうとき個人所有は便利だ。
貸す相手の身元もはっきりしてるし、どうせ毎日のように会うから返してもらいたいときは気軽に言えるし。
見送って家に入ろうとすると、ちょうど芹花が帰ってくるのが確認できた。西に向かって自転車を漕ぐ菊川とすれ違う。
手をパタパタさせながら、芹花は全速力で俺に寄ってきた。おい、せめてもう少しおしとやかに走れないのか。自慢の可愛い制服が泣くぞ。
「ただいま! 今の人、誰?」
「おかえり。あれは大学の友達」
芹花は俺の服を引っ張る。やめろ、伸びるだろうが。
「ね、ね、あの人かっこよくない?」
「そっか?」
そう言いつつも、確かに菊川はモテそうだとは思う。親切だし、雑誌に載ってそうな服装だし、あのさらっとした雰囲気が女子に好まれそうだ。三崎とも気が合うかもしれない。
「かっこいいよ~。お兄ちゃん、紹介してしてっ」
「やだよ。友達と妹なんてくっつけたくないよ」
「ケチケチケチ! そんなこと言うと、あの人とお兄ちゃんでカプるよ!」
こいつは、俺が何を嫌がるのかよくわかっている。まるで亮様みたいに。
無神経なやつだ、とげんなりした顔を見せると、ぽかぽか俺を叩いていた芹花は笑った。
「冗談だって。三次元で、しかもお兄ちゃんじゃ妄想しないから。安心して」
どうしてこいつは現実の人物をわざわざ三次元なんて妙な表現使うかね。
「おい、それ言ったら彰寿も高山田も三次元じゃないか?」
「えっと、それは別物! 歴史上の……じゃない、私が好きなのはカクハナの邦輔と彰臣なだけだから」
こいつとの兄妹歴は現在約十七年だが、いまだに理解できない。姉妹ってこんなもんなのかな。彰寿の経験が参考にならない事柄のひとつだ。
「歴史上って、まだ百年も経ってないじゃん。普通に革前の人たち生きてるし」
「だから、それはそれ、これはこれ。いいでしょ」
「よくないわ!」
「うるっさいな、これだからガチの革オタは」
革オタじゃない! そう言おうとして、大学のことを思い出した。今はまだそうじゃなくても、専攻していればオタクと言える、かもしれない。
芹花も革オタでいいんだろうか? 歴史上の人物を元にしたキャラクターに萌えて、あげくのはてに同人誌まで書いてるわけだけど。
「お前って革腐女子って呼ばれたりするの?」
即座にぶん殴られた。何がいけない。
お兄様を敬う気持ちはゼロのようだ。ちくしょう、お前の創作活動とやらにどれだけ知識と資料提供してるのかわかってんのか。
「あ、そうだ。お前また無断で持ち出したままだったろ。一冊、菊川に貸したから」
「えぇっ!」
腹の底から絞り出すような声に、思わず後ずさる。
芹花の肩がふるふると震え、真っ赤な顔で俺を睨む。
まずい、般若の表情をしている。
「おいおい、勝手に部屋に入るのはお互い様だろ? 別にお前の絵とか本とか見てもどうとも思わ……」
「どうして貸したの!」
胸ぐらをつかんでくる。身長差が逆だったら、このまま持ち上げられそうだ。
「貸したいからだよ。別に俺の本なんだからいいじゃん!」
「ちょ、やだ、やめてよぅ」
何だ? もしかして締め切りが近かったとか? そんなの知らないんだからしょうがないだろうに。
「もう、お兄ちゃんのバカバカバカバカ!」
鞄を振り回しながら、先に家の中に入ってしまう。
わけわからんやつだな。
芹花の憤慨の理由は、翌々日、菊川に会ったときにわかった。
「あの、これ……」
「うえっ!」
こっそり差し出してきた、一枚の紙。そこに描かれたのは軍服を着用した一組の男女……と見せかけた、男性二人。
ああ、これは確実にあれだ。律儀に彰とか邦とか字が入っている。間違いなく、あいつの落書きだ。
「ごめん、挟まってた」
気まずそうに菊川が目をそらす。
芹花が怒ったわけがよく理解できた。
ああ、穴が入ったら入りたい。今すぐ入りたい。そのまま埋まりたい。彰寿の骨に意識が戻るだけでもいい。恋愛関係のような構図じゃないことが、せめてもの救いだろうか。
妹のだと言うと、明らかに苦笑いを浮かべ、なるほどねと意味深に呟いてくる。
帰ってから紙を芹花に渡すと、もう一度殴られた。痛い。
ていうか、なんで俺こんなに虐げられているのだろう。彰寿だった頃は、俺だって特に長兄を尊敬していたというのに。
こいつがただの革オタであったらどれほどよかったことか。
クッションでポカポカぶたれながら、俺は妹の存在する今生を軽く嘆いた。
もう七月も間近という時期に、俺と菊川との間で、革命名所ツアーをする話が持ち上がった。
今取ってる授業は一般教養ばかりだが、いくつか一年生必修の専門授業がある。そのひとつで俺たちはペアで発表することになった。
菊川となら、内容についての心配は何もなかった。むしろ予定よりも早くまとまってしまった。本番は前期最後の授業だから、二週間以上時間が余っている。
「絵的に寂しいから、ついでに現地の写真増やす?」
何気なく出た話だが、俺も菊川も、自分で撮った写真はそんなになかった。
革命ゆかりの場所はいくつか訪れても、今まで写真に収めようという発想がなかった。今後も使うかもしれないということで、せっかくだからと都内の革命ゆかりの地をめぐることになったのだ。
メディアセンターで、地図を出力する。
菊川が主要スポットに丸をつけようとしたが、線が細すぎて、埋もれて見える。彼は顎をペン先で叩きながら、唸った。
「俺、全部細いのでペン統一しちゃってるんだよね。太いのある? もう一枚、別の印刷してこようかな」
言われて、俺はペンケースをひっくり返す。すると、菊川はそのうちの一本を指す。
「その万年筆、ずいぶん古そうだね」
「ああ、父親にもらったんだ。曾祖父さんの持ち物なんだ。俺が、革前好きだから」
もらった当初はちょっと書きにくかったけれど、ペン先を直してくれるサービスを利用してからは、使いやすくなった。
「大事にしてるんだな」
菊川は目を細めた。
結局、本買うのを優先し続けて、これ以外は安いのを二本ばかり買ったきりだ。これを一番使っているのは事実だった。
「まあね」
「本当に松井って革前オタなんだな」
うるさい、銀座の店に連行して一日潰させるぞ。
俺はキャップを外し、涼しげな青のインクで、発表で扱う場所を順番に丸で囲んだ。
菊川と相談し、携帯で時刻表を調べつつ、ルートを決める。
家に帰って、地図を見ながら発表内容の見直しをしていると、芹花が予告もなしに入ってきた。
「お兄ちゃーん、古典教えてぇ」
「日本人ならそれくらい読めるだろ。それからノックしろ」
俺が着替えてたらどうするんだ。美青年美少年の裸しか興味ないっていうけどさ。
「私、現代人だからさー、無理無理……あれ、なんで地図?」
「ああ、菊川と革命名所巡りするから」
「ずっるーい!」
いきなり芹花は耳元で怒鳴る。やめろ、鼓膜がどうにかなる。
「連れてけ連れてけ連れてけ連れてけ!」
「いやだ」
自分の友達と学校関係で出かけるっていうのに、どうして妹を同行させなければならない。
というか、こいつが関わると面倒なことになりそうだ。
「なんで? 二人きりがいいの? お兄ちゃんたち付き合ってるの?」
「気持ち悪いこと言うなよ! んなわけないだろ」
お前の思考は二次元で留めておけ。三次元に浸食するな。ついでにいいかげん邦彰っていう気持ち悪いものにも飽きろ。
「私も行きたーい! ね、お願い! 邪魔しないからさ、私も一緒にお勉強するっ」
「参考書でも読んでろ。お前英語やばいじゃん」
せっかく俺が面倒を見て、毎日遅くまで勉強して入った学校なのに。
「お兄ちゃんの高校じゃないんだからさ、二年生ならまだ余裕で点取れるって。内部進学多いと、そんなに競争競争してないんだよ」
「いやいやいや、大人しく勉強しておけ。な? テストは大事だぞ」
「じゃあ、歩実さんも一緒にだったらどう?」
そう言われて一瞬詰まった俺を、芹花は見逃さなかった。小賢しいやつめ。
「歩実さん、きっと喜ぶだろうなあ」
「桧山さんもいろいろ回ってそうだけどな。それに、あの人は今、課題で忙しいんじゃないか?」
去年まではしょっちゅう我が家にも遊びにきて原稿に勤しんでいたが、ここ最近は芹花すら会う頻度が減っていた。入学した学校の課題が多いらしい。
「誰かと一緒に行くのは違うんだって。それに、歩実さんたまには息抜きしたいって言ってたよ」
「イベントがあるんじゃないの?」
「みんな夏コミ原稿に追われるから、この時期はあんまりないんだよ。それに、私の都合がね。……ていうか、なんでそんなに歩実さんのこと避けるの? 好きじゃないの?」
桧山さんに関しては複雑な心境だ。一緒にいるとすごく楽しいし、知識量こそ菊川には及ばないものの、革前時代を語り合える女性は貴重だ。
腐女子っていう存在には、芹花のせいでだいぶ慣れた。いまだにようわからん嗜好とはいえ。
だがしかし、前世の俺を捏造するのだけは抵抗がある!
本当に、それさえなければ実際行動に移したと思う。ああ、なんでよりによって邦彰に萌えるんだ。せめて戦国武将くらいなら軽く流せるのに。
「とにかく、久しぶりに会ってみなよ。歩実さんだっていつまでもフリーじゃないんだよ? あんなに可愛いのに」
そんなのわかってる。
「黙ってろよ。だいたい、脈あるかどうかもわからんだろ」
「いけると思うんだけどなあ。私もまた菊川さんに会いたいし。ね、お願い。ダブルデートしようよ」
何がダブルデートだ。
「だからさ、お前とあいつがくっつくのやだよ」
「やきもち? どっちに?」
「そういう話じゃなくて」
菊川って彼女いるかなー。いるんだったらそれ理由に断るんだけど。
「とにかく、私と歩実さんとお兄ちゃんと菊川さんの四人。決まり! 歩実さんにはメールしておくから、そっちも菊川さんに伝えといて」
こういうときの芹花の行動は早い。俺が抗議の声をあげている間にさっさと桧山さんにメールを打って送信してしまった。
そして、彼女もたまたま時間があったのか、すぐに返事をよこしてきた。
「ぜひぜひ♪ だって。もうこれで半分決まってるから。はい、さっさとメール!」
芹花が俺の携帯を奪う勢いだったので、しょうがなく俺も菊川を誘う羽目になった。先に桧山さんに声をかけたとなると、俺の口からは断りにくい。
菊川が嫌がれば、芹花も諦めるだろう。期待をこめて送信した。
しかし、さすがに離れた場所の空気は読めないのか、菊川も了解とか言ってきた。誘っておいてなんだけど、頼むよ、断ってくれよ。
そういうわけで、ツアーは四人で催行されることとなった。




