第十四話 彼女が×××でした
紙には、軍服を着た一組の男女がお互いに銃を掲げながら向かい合っている様子が描かれている。
彼らが着用しているのは、確かに革前の将校のものだ。もちろん、前世の俺――彰寿も身につけていた。
しかし、どうして女の子のほうまで着てるんだ? 女性がこの服に身を包むなんてありえないぞ。
とにかくきらきらした絵柄だ。少女漫画的な。台詞も書きこまれている。
彰臣、邦輔……? なんだこりゃ。彰と、邦。見覚えがありすぎる字だが。
「これって……」
「ぎゃああああああああ!」
電光石火の勢いで、芹花は引ったくってきた。そして、びりびりと音がして、俺の指に紙片だけ残った。
「あ!」
「うひゃ!」
桧山さんと芹花が同時に悲鳴をあげる。
「うええええ、お兄ちゃんのバカ~。どうしてくれんの!」
最大の力で何度も殴られる。
「お、おい、ちょ、やめろって」
「せっ……せ、芹花ちゃん、大丈夫だよ。どうせ取りこんだら直せるし」
青い顔をしながら、桧山さんがフォローに入ってくる。
「でも、でも……」
「落ちつこう? まだ締切まで時間あるから」
芹花は涙目だ。桧山さんは、幼稚園児にしてやるみたいによしよしとその頭を撫でてやった。
俺はというと、まだ事態を飲みこめていなかった。
「あの、で、それは……?」
二人の見開いた目が一斉に俺に向く。しかし、瞳の位置が安定していない。
「何でも、何でもない!」
「……ちょっと見せてよ」
「絶対、絶対やだ!」
「どうして」
芹花の顔は真っ赤で、赤鬼の仮面でもかぶったかのようだ。
「何だよ、それ漫画か?」
芹花は固まり、金魚みたいに口をパクパクとさせた。
「だから、何でもないんだってば! いいでしょ、放っておいてよ。あっち行って!」
「よくねえよ。それ、鈴森と高山田が出てるだろ。見せてみろよ」
半分確証を得られていないまま言ったところ、芹花の動揺がさらに激しくなる。
「で、出てない、出てないって。彰寿と邦勝は、出てない!」
「嘘つけ」
俺が別の紙を拾い上げると、芹花は取り返そうと必死になる。その横で、桧山さんはおろおろと俺たちを見比べる。
一枚の紙をかけた兄妹の攻防が続く。芹花も俺も指を離さない。
「やめてよ、大切なものなんだからっ! 破れたらどうしてくれんの?」
「じゃあ見せろって」
「いーやーだー!」
「じゃあ、これがどうなってもいいのか」
芹花はびくりとし、手の力を緩める。卑怯とは思いつつ、俺はその隙に奪い取った。
改めて見ると、確かに両方男にも見える。そもそも革前に女軍人って全然いないし、この軍服を着ている時点で男の可能性は高い。
他のも拾い集めて、読んでみる。芹花がもじもじとしているが気にしない。
ずいぶん簡略化されているが、銀座の町並みが描かれている。
「くそ、あいつはどこだ……」
銃を片手に単独で探し回っているのは彰寿(仮)だ。このとき、実際は隊で行動していたわけだが明らかに事実を無視している。まあ、それに関しては目をつむろう。小銃にしては若干形が怪しいのも不問にしておく。
「くっ、邦輔……」
ここでも事実を無視している。まず名前が間違っている。それから、俺は……彰寿は高山田を邦勝などと下の名前で呼んだことは生涯通して一度もない。それは高山田だって同じだ。そんなに親しいわけがない。ありえない。
切ない顔をした彰寿(仮)が回想する。え……? ええ!
「ぬわああああ! 何だよ、これ!」
おぞましいやりとりが描かれていた。
愛? 誰が? 俺が? 高山田を? 高山田が? 俺を?
「ぐはっ……」
実写の二人で想像してしまい、眩暈と吐き気を催した。砲弾をもろに受けたような衝撃だ。銀座事件の記憶すら蘇る。
それ以上は見られなかった。俺の心が拒否した。あくまでも彰寿(仮)は漫画で女々しくデフォルメされてまったく別人になっているが、それでも鈴森彰寿その人だと一度認識してしまうと、もうおしまいだった。
「もう、サイテー。だから見られたくなかったのに……」
芹花が涙を流しながら訴えてくるが、泣きたいのは俺の方だった。
「お、おい……これは何だよ?」
芹花はぼそぼそと何かを言う。聞こえない。
「は? 何?」
妹はぷるぷると震えている。そして、次に発したのは、衝撃的な台詞だった。
「だから、原稿! BLの、同人誌の、原稿! これでいい?」
「はあ?」
俺は、顎が外れそうになった。
同人誌はさすがに俺でも知っている。あれだろ、詩だの小説だの俳句だの、文人たちが個人的に出している本だろ?
「あのなあ、同人誌ってこうじゃないだろ? これは詩歌でもなければ……」
「お兄ちゃん古いよ。今の同人誌って、こういうのが主流だよ」
「嘘だろ!」
衝撃的だ。
日本というものはいったいどこで狂ったんだろう? あの麗しい文化はどこに行ったというんだ?
「え、その……BLって何?」
芹花の顔がますます赤みを増す。
「自分で調べてよ! そんなことまで私に言わせんな!」
興奮しながら、芹花は俺をどつきつづける。
「ちょ、ちょっと、なんだよ!」
「もう二度と入ってこないで! オタク!」
「芹花ちゃん、落ちついて!」
桧山さんが隙をうまく見て、芹花の肩を抱いて宥める。芹花は半泣きだ。
「桧山さん、あの、その……」
「えっとですね」
彼女の目は泳ぐ。
「要は、漫画やアニメのキャラとか……実際はどうであれ、男性同士の恋愛を想像して、それを漫画とか小説にするんです」
「はあ……」
「オタクの女の子だと、そういうのの愛好家が多くて。それで、私たちは鈴森彰寿と高山田邦勝の二人に萌えて、カプらせる……恋愛関係になったらどうかなって考えているっていうか」
どうしてそんなことをするのか意味がわからない。え、彰寿と高山田で? どうしてそんな発想になるんだ?
戸惑う俺を無視するように、桧山さんの瞳が最大級に輝く。こんなに興奮した表情、今まで一回も見たことない。革前の話をしているときの何百倍……。
「あ、でも、正確にはこれ、二人をモデルにした鈴木彰臣と高山川邦輔ってキャラなんです! 『革命の華が散るとき』って漫画はご存知ですか?」
漫画は守備範囲外だ。首で否定すると、桧山さんが生き生きと説明し始める。
どうやら一昔前に大ヒットした漫画らしい。
主人公は、軍学校に在籍する少年。ある日、謎の失踪を遂げた兄の行方を探すために訪ねてきた少女と劇的な恋に落ちる。しかし、日本は革命時代へ突入する。所在が不明だった少女の兄は、平民派の一員として登場し、民衆に蜂起を呼びかける側に回る。そんな彼は妹たちの仲を決して許さなかった。少女と引き裂かれる主人公の運命はいかに!
だ、そうだ。
「ちなみに、ちゃんと前原先生の監修が入っているので、フィクションですけれど時代考証はしっかりしてるんですよ」
どうしよう、前原の名前が出るだけでもう信用できない。
なお、主人公は俺たちの同期という設定らしく、軍学校編では俺や高山田が登場する。しかし、諸事情によって名前は改変され、あくまでも俺たちをモデルにした空想上のキャラクターとのこと。
「でも、カクハナジャンルで活動している人間は、彰寿さんや邦勝さんのことかなり意識していますし、独自に資料を集めたりしてるんです! もちろん、現実のお二人のことも好きですよ」
「……あの、彰寿と高山田は、こういう間柄では、ないですよ?」
俺は遠慮がちに、芹花の原稿とやらに視線を落としながら、真実を主張する。
「捏造なのはわかってます。カクハナの原作だって、違うし。でも……萌えて、しまうんです……!」
目を潤ませて、一生懸命主張している。その様子は可愛いのに、ときめいてはいけない言葉を思いきり放ってくれる。
「それで、そういう男同士の恋愛に心ときめかせる女の子のことを腐女子って言って」
俺、最近、頭の回転が悪くなったのかな。
そうだよな、だから今、こんな混乱してるんだよな? だってまったく意味が理解できない。
ぽかんとしつつも、俺が最初に口を開いて出た言葉は、実にマヌケだった。
「えっと、桧山さんも……ですか?」
桧山さんは真っ赤になりながら芹花に視線を送る。そして、苦笑しながら頷いた。
「なんていうか……すみません」
ガラガラと音を立てて崩れていくのは、俺の足下か恋心か。
百歩譲って、男同士の恋愛が好きなのは構わない。俺には理解できない世界だけどどうでもいい。まあ、置いておく。
とにかく、目下の問題は、その妄想のネタが、よりによって高山田と俺だということだ! 正確には、彰臣、と、邦なんたらってやつだが。一応……一応、架空のキャラらしいが。
「えっと、この二人……じゃなきゃいけないんですか」
その瞬間、桧山さんの瞳に星が宿った。
「だって、ライバルですよ? 片や華族で軍屈指の美形と名高くて何もかもに恵まれた根っからのエリート、片や貧しくても努力と才能だけで這い上がってきた苦労人。何度も衝突して罵り合っても、実は同じような精神を持っていて、お互いを意識しながら実力を伸ばしていく。超王道じゃないですか、萌えますよ!」
好きなものに夢中な女性は好きだ。一回死んでもそれは変わらなかった。
けれど、どうしてこんなことにここまで熱くなれるのか、理解が追いつかない。
「そうだよ! これで萌えないのはおかしいよ!」
芹花よ、お前もか。いつからこんな子になったんだ。兄は、悲しいぞ。
桧山さんも芹花もわかってない。俺たちは、そんな関係になるなんて可能性、一ミリもなかったんだよ。お互い心の底から嫌い合っていたんだよ。
桧山さんはふと涙目になって俯く。
「ごめんなさい。やっぱり、男同士の恋愛が好きって、おかしいですよね。ひいちゃいますよね? つい、熱入っちゃって」
ああ、やめてくれ。相手が法子じゃなくても、そういう表情には弱いんだ。
「いや、別に男同士の恋愛が好きな人がどうってわけじゃなくて、うん、それは今はどうでもよくて」
ひとまず優先して否定したいのは、俺と高山田の関係です。
それだけ言えなかったのは、桧山さんがちょっとだけほっとした表情を浮かべたからだ。
「智樹さんにいろいろ話をきいたのも、同人誌の参考にしたかったんです……。私たち、漫画描いてて」
「漫画? あ、これ、二人が描いたんですか?」
「言っとくけど、十八禁は自重してるから!」
お前はまだ中学生だろうが。当たり前だ。
「今度のイベントで売るんです」
「イベント?」
俺たちのカップリングっていうものは、革命系同人界ではそこそこ人気があるらしい。他にも同人誌作っている人がいくらかいるとか。どうしてそうなった。意味がわからない。
それで、同人誌を作っている者が参加して、販売だか配るだかする催しが定期的にあるらしい。
「はあ、そうですか」
もう、頭が思考を放棄していた。
「じゃあ、頑張ってください……本は持ってていいから。紙破ってすみませんでした」
ふらふらと自分の部屋に戻り、ベッドに飛びこむ。
もう、本当に世の中はどうなっているんだ。何故あんなものが市民権を得ているんだ?
高山田と俺がそういう関係なんて……。
想像したら拒否反応が起こって、もう一度死にそうになった。
とんでもない爆弾が投下されてから、俺の日常はますます妙なものになってしまった。
あまりの衝撃に、あのとき同性愛を問題にしなかったせいで、芹花も桧山さんも俺がBLとやら自体には理解があると思いこんでしまったようだ。
迂闊だった。大いに反省する。
今や二人は、俺から講義を受けながら、さりげなく萌えトークとやらをする。俺はひたすら心を無にしてそれを流すことしかできない。
相変わらず芹花と桧山さんは邦彰(注:高山川邦輔×鈴木彰臣のカップリング名。人名ではない)に夢中だった。そういうわけで俺の講義もまだまだ続く。
桧山さんは、邦彰萌えの漫画描きではトップクラスの人気を誇るとか。芹花がやけに尊敬しているのもそれが原因だった。
この可憐な笑顔を持ちながら、何故、捏造同性愛に夢中になるのか。理解に苦しむ。芹花はもうどうでもいい。
「芹花ちゃんの描く漫画萌えるんですよ! ピュアで」
「ちょっと、やめてくださいよ! 歩実さんの漫画のほうがずっとすごいんだから」
二人はさすがに他の人にはここまで大っぴらに萌え語りはしないらしい。俺の前でもやめてほしい。しかし、既にBL話しても大丈夫な相手と認定してしまっているようだ。どこがどうなってこうなったのか、一通り回想してみたが、遂に心当たりは発見できなかった。
遠慮がいらない相手だと思われてるのは、この場合得なのか損なのか。
腐女子とはよくわからない。どうしてそうも捏造に励むものなのか理解できない。
「歴史小説でもオリジナルキャラ出したり、架空のエピソード入れたりするでしょ。もしもあの人が××だったら~ってコンセプトのお話だってあるでしょ。それと一緒だって」
芹花の主張は、納得できるようで、まったく納得する気が起きない。
歴史小説は俺だって好きだが、こういう捏造はさすがにないんじゃないか?
気を大きくした二人は、革命ジャンルというのを教えてくれた。カクハナ(注:『革命の華が散るとき』の略称)をはじめとした、革命時代をモチーフにした作品の二次創作をそう呼ぶとか。その多くが、実在した人物の恋愛模様を妄想した末の産物だとか。
主に人気なのは、激動の時代を無事に最後まで生き抜いた軍の若手有名どころの将校同士をくっつけたもの。それからちょっと落ちて、俺や高山田などの革命前半退場組を描いたもの。
濃厚なファンがいるのは、革命当時、国家中枢にいた首脳陣のカップリングらしい。おっさんばかりじゃないか、とつっこんではいけない。おっさんじいさんだからこそ萌えるのだという。
挙がった名の中に、親戚や知り合いもいて、ただただげんなりするばかりだった。人によっては、妻子はおろかどういう愛人がいたかも知っているから余計に……。
彰寿は高山田とくっつけるのが主流で、続いて同じ聯隊の楠田大尉や政木中佐、その他同級生や従兄弟の亮様が続く。おい、いくら誤魔化したところで、亮様はさすがにまずいだろう……そこらの人間と一緒にしていいお方ではない。というか、嫌な記憶がよみがえるから本当にやめてくれ。
はあ、まったく信じられない。信じたくない。同人誌で事実に反した描写を好き勝手にやるのは、どういうことなんだろう。
あーあ、この時代はいったい何なんだろう。どうしてこうなってしまったんだろう。
熱心に彰寿について語り、俺の革前話も楽しそうに聞いてくれる桧山さんは可愛らしい人だ。彼女となら、幸せに生きられるかもしれない。
けれども、自分の過去を捏造している事実が、もう一段階先に進みたい俺の足を掴んで離さない。
俺は彰寿の記憶を持っていることを心底呪った。




