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第九話 乙女の喜びは摩訶不思議



 六月末。期末テストの三日目、俺は今年も同じクラスになった三崎たちと、早速放課後答え合わせしていた。

 進路もちゃんと決めていないのに、テストは必ずやってくる。今回ばかりは、席に座って問題解いてるだけなのに、すっかりくたくたになってしまった。

「松井がこんなに間違ってるの、珍しいよな」

 三崎は目を丸くして俺の問題用紙を見てきた。

 永喜時代の普通の高校と正寧の軍学校とでは、当然ながらカリキュラムが異なる。特に、現代社会など銀座事件以降の物事に関しては、彰寿としてのアドバンテージはほぼない。革命に関する部分も、最低限の勉強だけになるほど身が入らなかった。

 情けないし、前世が関わってくるから理由は話せない。俺は曖昧に笑っておいた。

 たいてい学年一位を掻っ攫う赤城が心配そうな顔をする。

「具合悪かったの?」

「……苦手なんだ」

 とりあえず、かろうじて奨学金に支障のない点数は取れていてほっとした。

「今回は三崎にも負けたな」

「俺、こういう系は結構得意なんだよね」

 満面の笑みを浮かべる三崎。

 俺だって、前世の記憶がなければもっと勉強したさ。そう対抗するのはさすがに格好悪すぎるのでやめておく。

 しかし、顔に出てしまっていたらしい。俺を見た三崎は笑顔でバシバシと叩いてくる。

「いやあ、他のは松井先生のおかげだから! 次も頼みますよ!」

 こういう性格だから、気楽に付き合える。有難い存在だ。

 三崎たちはちょっと遊んで帰ろうと誘ってきたものの、次の日もテストはまだ残っているから断った。

 カラオケはどうも苦手だ。バッティングセンターなら行ったかもしれないが。

 赤城なんか、かなり遊んでいるのに俺よりも優秀だ。どんなに難解なものでも、短時間ですぐに理解し、応用もできる。教わった以外のやり方を自分で見つけ、実に見事な正解を出す。

 突拍子のない意見を出すこともあるが、何故そんなことを思ったのか、彼は理路整然と説明できる人間だ。非常にわかりやすく、気づけば納得させられている。

 浮世離れしたところはあるが、一緒に勉強していると刺激になる。その頭の回転のよさに、こういう参謀がいたらいいな、と思うときがある。また、そんな彼と比較すると、自分は単なるガリ勉だと実感してしまう。

 ガリ勉はガリ勉らしく単語帳を片手に、午後の日差しの中、家までの道のりを歩く。

 今日は気温が上がり、歩いているだけで汗をかく。半端な長さの髪が蒸れる。こういうとき、もっと思い切って頭を刈りたくなるが、母さんと芹花に却下された。

 母さんは単に趣味じゃないらしいが、芹花なんて「お兄ちゃんがスキンヘッドにしたら、その筋の人に見える」とまで言った。別にそこまでするとは一言も発していないのに。

 そういえば、鈴森の母も、俺が頭を刈ったときは予想以上にショックを受けていたな。

「ただいま」

「おかえりなさ~い」

 何歳になっても少女趣味な松井家の母は、いつもどおり息子を嬉しそうに出迎えた。

 靴を脱ごうとして、俺は見覚えのないローファーがあることに気づいた。芹花のものではない。

「あ、芹ちゃんのお友達が来てるんだよ。静かにしてあげてね」

「へえ」

「浅黄女子の子なんだけど、すごく礼儀正しいの」

「浅黄? どこそこ」

 初めて聞く名前だった。有名かもしれなくても、女子校なんて全然詳しくない。

「横浜の学校だよ。制服がすっごく可愛くて有名なの。もうちょっとうちに近かったら、芹ちゃんもあそこ通ってほしいんだけどね」

 そんな理由で学校を決めさせるのは、教育的によろしくないのでは。

 そういえば、芹花だって今年は受験なのに、母娘二人で見ていたのは制服カタログだった。家庭教師役としては、お嬢様学校の制服にきゃあきゃあ言ってる暇があるなら、勉強してほしかった。

 横浜なら、うちからは結構離れている。近所の子だとしたら通うのも大変だろうな。

 二階に上がり、自分の部屋に向かおうとすると、芹花の部屋のドアが開いた。

 思わず立ち止まると、そこから出てきたのは見知らぬ少女だった。この辺では珍しい、涼しげなセーラー服を着ていて、白い肌によく似合っていた。

 目が合ってしまったので、会釈だけする。妹の友人っていうのも接するのに困る存在だ。

「お邪魔してます」

「あ、どうも……」

 とことこと洗面所の方まで歩いていったので、そのまま俺は自分の部屋に入った。

 気を使ってあまり物音も立てず、ベッドで読書していると、ノックの音がした。

「お兄ちゃん、ちょっといい?」

 母さんかと思ったら芹花だ。

「ん? 何?」

 お前、友達はどうした。

 しばらく待っても入ってこないので、仕方なくドアを開ける。

「ねえねえ、ちょっとこっちの部屋来て。本持って」

「はあ?」

「いいから、早く」

 芹花はずかずか俺の部屋に入り、本を何冊か取り出す。そして、俺の手を引っぱって自分の部屋へと押しこんだ。

 母さんの趣味のせいで、本人のキャラとはだいぶかけ離れたファンシーな室内だ。いつもは散らかっているけど、今日は大ざっぱながらも片づけられている。

 その中央に、さっきの女の子がちょこんと座っていた。ここでももう一度、お互い頭を下げ合う。

「すみません、えっと、初めまして。桧山歩実です」

「あ、松井智樹です。初めまして。妹が世話になってます」

 桧山さんは、芹花の友達とは思えないほど大人びていた。とても中学生には見えない。

 二人の間に沈黙が流れた。芹花が入ってこない。気まずいので話題を振った。

「えっと、学校は横浜の方って聞いたけど、ここからだと通学大変でしょ?」

「いえ、家も横浜なので」

「あ、そうなんだ。引っ越したわけではなく?」

「はい、生まれてからずっと横浜市民やってます」

 ということは、少なくとも芹花の学校の同級生ではないらしい。うちはずっと都内だし、あいつも小中と公立だし。

「ごめんなさい、お待たせしましたあ」

 ようやく芹花が帰ってきた。手に持ったトレーには、お茶菓子と空のコップがひとつ。コップはテーブルには既にふたつあるので、これは俺の分のようだ。

 芹花が三人分のコップにペットボトルの緑茶を注ぐ。

「失礼なことしなかった?」

「いきなり二人きりにしたお前の方がよっぽど失礼だよ」

 芹花はむくれるが、それを見た桧山さんはクスクス笑う。

「歩実さんは高校三年生だよ。それわかってね」

「高三?」

 俺よりも一個上、芹花となんて三学年も違う。中学生に見えないのは当然だ。

 こいつの友達ってたいてい同い年の子だから、すっかり先入観を持ってしまっていた。慌てて頭を下げる。

「すみません、タメ口交じりにしちゃって」

「とんでもない。別にいいですよー」

 桧山さんはにこやかに首を振る。

「三年ってことは、受験生ですか?」

「あ、専門に行くの決まっているんです。だから、大学受験組よりはお気楽な立場ですね」

 聞けば、グラフィックデザインを専攻するらしい。やりたいことがあっていいな、と羨ましくなる。

 しかし、この人は芹花とどこで知り合ったんだ?

 年齢も住んでる場所も離れているし、接点が不明だ。それに、明らかにこいつの中学の友達とはいろいろ傾向が違いすぎる。

「失礼ですが、二人は何つながりで?」

 桧山さんは涼しげに笑う。

「革命つながりです」

「へ?」

「私も芹花ちゃんも革命前後が好きなんですよ。それで、ネットで話すようになって、すっかりお友達になって」

 彼女が説明している間、芹花はわかった風にうんうん頷いていた。ていうかお前、いつの間にネット仲間まで探すほどになったんだ。

「芹花、お前そんなに好きだったのか?」

「……女の子で語れる人がほしかったの」

 気まずそうに目が泳いでいる。この兄ではいけないというのだけは察した。

 それを遮るように、桧山さんが口を開く。

「お兄さん、革命時代に詳しいんですよね?」

「えっと、正確には革前限定なんですけど」

「それでいいんです、ぜひいろいろ教えてください!」

 桧山さんは大きなノートを取り出した。目が本気だった。

 彼女が聞きたかったのは、まさに彰寿が生きていた時代の話で、俺もついつい話に興が乗ってしまった。あっちが聞き上手だというのもあるかもしれない。

 女の子にあまり軍の話をするのは、と思ったものの、桧山さんはむしろ興味津々だった。わくわくした顔でメモを取り続ける。彼女のそういう姿を見てるとまた嬉しくなって、あれもこれもと語りたくなる。

 夕方になるまで、俺は資料本を交えつつ、聞かれていないことまで喋ってしまった。芹花と桧山さんは授業を受けるようにそれらをノートにメモした。

「助かりました、ありがとうございます!」

 帰る頃になって、桧山さんはほくほくの様子で何度も礼を言ってきた。最初のときとは打って変わって、無邪気な表情だった。

「歩実さん、ついでにこれ持って行ってください」

 芹花は持ち主に断りなく、何冊かの本を差し出す。

「え、いいんですか?」

 不安そうにこちらを見る視線に、つい頷いてしまった。

「すみません、ありがとうございます」

「別にいいですよ。返すときは芹花に渡してください」

 この人なら、借りた本を適当に扱うことはないだろう。今日話した限りではそんな気がする。

「今日は喋りすぎてすみません」

「とんでもない、貴重なお話ありがとうございます。本当にお詳しいんですね」

「革命前だけで、銀座事件あたりからはそんなに詳しくないんですよ。そっちも何かお話できることがあればよかったんですけど」

 言いながら、俺の心はちょっと燻る。しかし、それを払拭するように、桧山さんはとびきりの笑顔をくれた。

「革命前だけで十分です! 本当に参考になりました!」

 楽しそうに聞いてくれてたけど、軍の話とかそういうのはやりすぎだったかな。

 せっかくだったら、もっと当時の習慣とか流行りを話したほうが親切だったかもしれない。

「では、ここで失礼します」

 夕日の差しこむ道を歩いて、桧山さんは帰って行った。途中一度だけ振り返って、ぺこりと俺たちに向かって頭を下げた。

「お兄ちゃん、本当ありがとうね。こういうとき身内に革オタがいると助かるわ」

 芹花はけらけらと笑う。

 途中の会話から察するに、桧山さんのことをかなり尊敬しているらしい。

「だから革オタなんじゃないって。でも、まあ、いい人だったな」

 芹花は唇の片端を上げる。

「もしかして好きになった?」

「いや、別に今日初めて会ったし」

「一目惚れとかあるよね」

「そうじゃないって」

 いきなり何を言ってるんだこいつは。

「ねえねえ、晩ご飯、お蕎麦でいい?」

 玄関のドアを開け、母さんが顔だけ出して呼びかけた。ちょうどいいタイミングで来てくれた。

「いいよー。あ、天ぷら蕎麦がいい」

「えー、もう暑いよ。じゃあ、芹ちゃん揚げてー」

「それならお兄ちゃんにやってもらう」

「そうね、智くんよろしく!」

 他人の本を断りなく貸すとか言ったあげくに、夕飯でもこき使うのか。本当に妹というのはわけがわからない生き物だ。




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