私はそんなお兄ちゃんを。
兄妹になった頃から、お兄ちゃんは『一部の人に』『それなりに』人気のあった作家さんだったらしい。
商業誌の連載が始まったのは私が中学三年生になった時。
商業誌で書き始める前は、やっぱり漫画を描いていたんだけど、ノートみたいに薄い『同人誌』という個人発行の本で発表していたようだ。
私はわけも分からず部分部分の手伝いをした。黒いところーーベタ塗りしたり、スクリーントーンを貼ったり……もちろん性描写のないシーンだけ。
「たまちゃんは筋がいいなぁ。うまいうまい」
お兄ちゃんは私の頭を撫でて、手放しで褒めてくれた。
私は嬉しかった。お母さんにもこんな風に褒めてもらったことはなかった。それに、お母さん以上に私のことを可愛がってくれている気がした。
それに、お兄ちゃんはいつも優しい顔をしていた。優しく笑いかけてくれた。
私は人と打ち解けるのが苦手だけれど、お兄ちゃんは本当に優しくて、私のそんなところも認めて許してくれている。
そんな風に思っていた。
全部の感情をひっくるめて、心も身体も未発達な私の『好き』だということを、私は薄々気が付いていたのかもしれない。
しかし、まだ明確な言葉を持ち合わせてはいなかった。
幼いから。
身長も小さくて。
体重も軽くて。
胸もぺったんこで。
いかにも内気な厚い眼鏡と長い三つ編み。
友達は一人二人しかいなくて、男の子となんか話せない。
頼まれ事は断われなくて、でも親には心配かけたくないから相談できなくて、いつもお兄ちゃんに泣きついて。
あの頃の私は風が吹いたら倒れる様な女の子だったと思う。
今みたいになったのは、中二の冬の夜に暴漢を倒したことがきっかけだ。通報されなかったし、まだ仕返しもされていない。
まあ、それはいいだろう。
「なんでお兄ちゃんは一人暮らしなの?」
「うーん……親父に追い出されたっていうか……。見ててわかったと思うけど、あんま親子仲よくないからさ。まぁ、子供がいい歳なのにフリーターで漫画家目指してて、その上描いてるのがアレゲで……ってなったら、気持ちわからないでもないけど」
お兄ちゃんは自分で自分を嗤った。
「私はお兄ちゃんの漫画、すごいと思う。エッチでびっくりしたけど」
「嬉しいけど18歳未満は読んじゃダメだろ!」
「でも、もう読んじゃったから今更遅いよ」
なんとも言えない難しい表情でお兄ちゃんは黙ってしまう。
「お兄ちゃんは優しいんだよ。色んなことも考えてるんだよ。小さい女の子をめちゃくちゃにしたいだけじゃないって、私は思ったけど」
「ありがとう……」
そう言ったきり、お兄ちゃんはうんともすんとも答えなくなってしまった。私が何を言っても。突っついても。揺らしても。
挙句。
「画材買いにハンズ行くから家帰れ。駅まで送るから」
と、追い返されてしまった。
男の人って難しい。
でも、確かに私はそう思った。
犯罪みたいな話は、徹底して犯罪的で、不幸だ。
でも、お兄ちゃんの中の正義やモラルや優しさがあるからこそ、それとは全く正反対の話を、読んでいるだけで不快になるくらい書き込める。
この不快感は、生理的なものではなくて、倫理的で、理屈があるものだ。
幸せな話も、ただ幸せなだけじゃなくて、人間関係があって、悩みがあって、欲望もあるんだけど、どこか悲しい、だけど前向きな話。
基本が優しいから、いいことと悪いことがわかるから、両極端な話が書けるんだと思う。
そして、自己嫌悪に陥ってしまうのだろう。
私はそんなお兄ちゃんを応援したかった。




