お兄ちゃんの、マンション。 下
「……それで、お兄ちゃんは私に何を言いたいの?」
声が震えてしまいそうだ。俯きながら、本を抱きしめる力を強くして、私は言った。
「この本を区切りに、俺のたまちゃんへの気持ちを終わらせようと思う。たまちゃんには本当に申し訳ないことをしたし、いくら謝っても許されないと思う。殴るなりお湯ぶっかけるなりしてもらって構わない、当然の報いだ」
誠実とか童貞とか、それ以上にお兄ちゃんだからこんな風に謝っているんだ。私たちが赤の他人だったら、世間からはロリ婚と言われるかもしれないけど、間違いなく付き合っていたし、今彼女さんがいるところ私がいたはずだ。
「そうだよね。お兄ちゃん、酷い。私怒ってるよ。純粋に慕ってた時期からあんな目で私を見て。酔っ払ってうっかり処女持っていって。そのくせ、社会的なことを自覚したら邪険にして。最終的にはこんな恥ずかしい本出して悲劇のヒロイン……じゃないね、悲劇の主人公ぶって。同情買って謝れば許されるとでも思ってるの? この変態最低ロリコン野郎、死んじゃえ」
心はグツグツと煮立っていた。よくわからない感情が渦巻いていた。怒り、悲しみ、恨み、愛しさ、同情……こんな混沌とした衝動のような気持ちを、果たして人間は的確に言葉にし得るのだろうか? 一口で表現できる単語があるのなら、まどろこしい文学は必要ないかもしれない。
私はお兄ちゃんに歩み寄る。狭い部屋だから二・三歩の距離。お兄ちゃんは土下座したまま顔を上げず、後頭部を見せていた。そういえば、お父さんはてっぺんから禿げてきているなぁ……。
「お兄ちゃん、顔を上げて」
お兄ちゃんの頭に手を乗せて、軽く撫でてみた。短めの髪の毛は
硬くてチクチクした。芝生系の心地いい感触。
「……本当に、ごめん」
顔を上げたお兄ちゃんは、泣きそうな顔で呟くように言った。自責がチラホラと垣間見える。
そんなところも、好きなんだ。可愛いんだ。全然カッコ良くないけれど。
私はそっとお兄ちゃんの両頬に手を当てて、微笑む。
お兄ちゃんと目が合う。
「ヤダ、絶対に許さない」
少し身を乗り出せば届く距離なのだ。
私はお兄ちゃんにキスをした。びっくりさせてやろう。いや、既にびっくりしてるかも。音を立てて何度か吸い付いて、舌を入れる。拒絶されたって構わない。そもそも拒絶されて当然の状況だから。
逃げるお兄ちゃんの舌を追いかける。柔らかくて暖かくて、ともかくお兄ちゃんとキスしてるだけで嬉しくて気持ち良くて頭の中真っ白になりそうだった。
お兄ちゃんが小さな声を漏らしていた。即座に押し返さないってことは、びっくりしてるだけじゃなくて、気持ち良くて、私に流されちゃいそうになってたりして……なんて、女の子の夢見がちな話しかな。
ずっとお兄ちゃんとキスしていられたらいいのに。……ううん、もっと。私が欲しいのは、それだけじゃない。
だから、終わりを作らないと。
私は唇を離して、もう一度くっつけたくなる気持ちを必死で押さえ付けて抱きついた。ぎゅうっとする。お兄ちゃんの感触。室内派すぎてあんまり筋肉がついてない大きな体。
「ダメだ……お願いだから……もう終わりにしよう……」
上ずった声のお兄ちゃんは、言葉だけは辛そうに言った。だけど行動に移せない意思の弱い人。可愛い人。
「ヤダ」
お兄ちゃんのことなんて知らない。死んじゃえ。社会的に。死ななくてもいいけど、私のことを好きだと言って。終わりになんかしないで。
――自分の心がドロドロと黒く染まって行く。嫉妬でも優越でも快楽でもなくて、汚くて狡い勝ち方。ううん、勝つとか負けるじゃなくて、得るか、得られないか。
それでもいいから付き合って、と言った向上月君と、今の私。どっちがマシだろう。
でも、今、とっても幸せ。
「お兄ちゃん、大好き」
お兄ちゃんの顔は、どこか怖がるようでもあった。




