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私は妹  作者: 九時良
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お兄ちゃんの、本。

家に帰って、少し休んで落ち着いてから本を手にとった。


じっくり、落ち着いて観察してみる。本はかなり厚めだ。"再録"という言葉が見つからないので、完全新作なのだろう。連載の原稿、夏冬とそれ以外のイベントのための同人誌の原稿、それらはクオリティも原稿も落とさずに仕上げていた。漫画は追って読んでいたし、他の情報はHPで確認していたからわかる。


こんな本、こんな微妙な時期に出して、一体いつ描いたというのだろう。お兄ちゃんはとても速筆だということは知っているけれど。


正直、読むのが怖い。お兄ちゃんはどんなことを描いているのだろうか。何を思って描いたのだろうか。全然わからない。


私は深呼吸を一回。


……さあ、読むぞ。



のっけからエッチなシーンだった。


お兄ちゃんの顔は描かれていない。見せないアングルもふんだんに使われている。これは、この手の作品のひとつの技法なのだとお兄ちゃんに教わったことがある。


どうやら、妹の視点で物語は描かれているようだ。お兄ちゃんの作品は女の子の心情をとても綺麗に描くから好きだ。たとえ本当の女の子がこんなに綺麗な心の動きをしていないとしても、お兄ちゃんの"好み"や"希望"から、人柄が滲み出ているから。


事後、お兄ちゃんにぎゅっとされた妹は、うとうとしながら回想をする。回想と現実が交錯しながら話が進むのだろうか。


どうやら、基本は短編になっていて、その話を"付け足して"つなげているらしい。ささやかな違いだけれども、絵柄やタッチ、線の雰囲気から、かなりの時間をかけて描かれたものだということが受け取れた。


話は妹が中学の頃に遡る。


二人は両親の再婚によって巡り合った義理の兄妹。お兄ちゃんはエッチな漫画を描いていて、お父さんからは絶縁に近い扱いを受けているけれど、妹のお母さんと妹はお兄ちゃんのことを心配してしょっちゅう面倒を見ていた。


妹はお兄ちゃんに懐いている。学校が終わるなり仕事場へ向かい、夢を応援するために身の回りのことや漫画の手伝いをしていた。漫画としての構成を考えたせいかやや端折られているが、気持ちも状況もよく伝わってきた。……私だから、なのかもしれないけれど。


お兄ちゃん大好き。ーー何回も繰り返されるフレーズ。


ある日、酔った勢いで二人は一線を越えてしまう。妹は痛がりながらも結ばれた幸福感に微笑む。


その日から、二人は特別な関係になっていった。妹の甘え方や、言動には覚えがある。私は何気なくやっていたことだけど。その一つ一つにお兄ちゃんが答える形で、最終的にはそういうことをしていた。


徹頭徹尾いちゃいちゃしている。私には、まるでパラレルワールドのように思えた。


お兄ちゃん、本当はこんな風にしたかったの? もしそうなら、私もだよ。なんでこういう風になれなかったの?


虚しさとか、悲しさとか、苦しさとか、ほんの少しの嬉しさとかで、泣きそうになりながら読み進める。


ーーそして、違和感が訪れた。話が矛盾しているのだ。繋がっている話なのに。古い絵柄の中に、付け足された部分も見えるのに。


例えば、妹がお兄ちゃんの家に行って「抱いて」と迫るシーン。ここまで何回も交わって起きながら「こうするのは二回目」と記されている。


他にも、妹が他の顔の見えない男の子と付き合い出してエッチして、それに焼き餅したお兄ちゃんに襲われて、最終的には「お兄ちゃんが一番好き」って言う話がある。しかし、他のシーンでは「お兄ちゃん以外の男の人は知らない」とある。


どういうことだ? 描いた時期がバラバラだから設定を忘れたのだろうか。それとも、私に対する気持ちは、フッとわいては消えてしまう、その場限りのものということだろうか……。


しかし、私の不安は杞憂に終わった。これでよかったのか悪かったのかわからないけれど。


物語の終盤、妹はお兄ちゃんの子供を孕む。お兄ちゃんは妊娠を告げる妹を抱きしめて、泣くほど優しいセリフを言った。「愛してる。全部捨てて、二人で生きよう」。私は読みながら泣いていた。


そして、次のページを捲る。あと少しだけページが残っていた。


マンションの窓から見える空が白けたようだ。そのまま、見て描いた感じ。


「なんてな。最近の美少女文庫みたいな話だなぁ」


お兄ちゃんのモノローグ。漫画内では妹の私物が置いてあった部屋は、がらんどうに描かれていた。


回想のようなグレーのコマ。先ほどより少し大人びた表情で描かれる私。


「怖かった」「全てが怖かった」「世間体も」「親も」「どんどん綺麗になっていく妹も」「怖かった」。


フラッシュバック。継ぎ接ぎされたコマを背景に、ト書き。


「だいたい幸せになれるわけがない」「幸せにする自信もない」


お兄ちゃんは静かに涙を流して、頭を抱えた。


「俺は駄目なお兄ちゃんだ」「尊敬されるような人間じゃない」「生まれて初めて自分が汚れていると思った」


机の上にバラバラと置かれた原稿。ペン。お兄ちゃんらしくない片付き方をした机の上だと思った。

「それでも」


ここでモノローグは終わる。


お兄ちゃんの言葉として。物語のまとめとして。独り言として。そのセリフは、あった。


「触れることはできないけれど、愛してる」


ーー暗転。奥付以外は何もない本。


読み終わった。読後の感想は、疲れた。


私はしゃくりあげて、泣きながら本を抱きしめた。胸が苦しかった。死んでしまいそうだった。どれだけ泣いても感情が枯れることなんてなさそうだ。苦しさに悶えて喘いで、それでも終わらない地獄のような涙の嵐。死んじゃう、と思った。死にたい、と思った。


人を好きになるのはこんなに苦しいことなんだね。本当の意味がわかった気がする。


ーーねぇ、向上月君はどれだけ苦しかった? 私くらい、苦しかった?


頭の中で問いかける。この質問に答えてくれるのは、他の誰でもなく、向上月君しかいないから。もう、いないけど。


「殺したいほど苦しかったよ」


そんな声が聞こえた気がした。間違いなく、私の耳には聞こえていないけど。頭の中に記憶している向上月君が答えるのだ。ちょっと意地悪な笑みで。


私はそんなことしないけど。でも、気持ちがよくわかった。

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