向上月君と、相馬君と、私。
それから数日して、向上月君が亡くなったことを先生が知らせた。私たちがお葬式に出ることもできなかったのは『本人』の意向らしい。
いるときは意識されていて、いないときはいないなりに扱われていたけれど、こうなってしまうと、ぽっかり欠けたような心持ちである。
向上月君の机には菊の花が飾られている。みんなが小まめに水を取り替えている。
でも。何事もなく日々は過ぎていた。情の面で支障は出ているかもしれないけど。向上月君がいてもいなくてもテストはあるし、受験もあるし。
「冷たくなんて思わないけれど、そんなものなんですね」
先生に思ったことを言う。大人の意見が欲しかったから。
「……感情は薄らぐものだからね。綾瀬さんは自分のことを大切にしながら、向上月のことも忘れないでやってくれ」
目の前の大人は真面目な顔で言った。この人はそうやって色々なことを片付けてきたのだろう。
体が丈夫なら生きることは笑ってしまうくらいに容易いものなのだと実感する。なにも難しく考えることなんかないのだ。
いらないものは、切り捨てて。
欲しいものには執着して。
あとは適当にこなす。
はい生きた。
向上月君だってそうだった。生きているときは。私と向上月君はよく似ていた。だから向上月君は私に惹かれたのかもしれないし、私は向上月君が嫌じゃなかったんだと思う。未だに向上月君が私に惚れた本当のところはわからないし理解できないけど、そんなものはどうだっていいのだ。必要ないから。せいぜい気にかかるくらいのもの。
向上月君がいなくなって、学年が変わったら、気にかけているような人はほとんどいなくて、向上月君の席も消えていた。頭の中は受験一色になっているようだ。次に思い出すのは卒業アルバムを作るときかもしれない。
「よぅ、珠美ちゃん」
「……痛いんですけど!」
相馬君は私の髪をピンピンと軽く引っ張った。軽くても痛いものは痛い。友達になってからも何かしら嫌がらせは受けていた。
「今日の放課後空いてるか?」
「図書委員の仕事するから空いてません」
図書委員でもないけれど、図書委員の仕事は続けていた。誰もやってくれないから。最近は一年生が真面目に来てくれるから楽になったけど。
「あーそう。ちょっと向上月系の用事があんだけど、いつならあいてる?」
む。そういう内容か。
「わかった。今日いいわ」
「なんだよ。なんで一回目を断わった」
「相馬君だからくだらない用事かと思って」
「このやろー……ざっけんな貧乳」
頬を引っ張られた。これだからこいつは!
相馬君といる時は、なんとなーく、会話が途切れてしまうことがある。お互い話す必要もないわけで、どっちもそれは了承済みだ。空気なんか気にする必要もない。
だけど、お墓に向かうということを考えたら、会話の間がやりきれないような気持ちになってきた。
お花は買った。お線香も買った。もちろん一円単位でのワリカンだ。奢るとか奢られるとかありえない。
向上月君のお墓はそこそこ綺麗で、定期的に掃除されていることがわかった。ご両親はどんな思いでここの掃除をするのか……。
一通りのお墓参り作業。辺りは夕暮れから夜になりかけているけれど、相馬君と二人だと幽霊的なものを信じるなんて馬鹿馬鹿しく思えた。
「お前、幽霊って信じるか?」
相馬君はお墓に合わせた手を下ろし、静かな声で言った。馬鹿みたいな質問だからどんな顔をしているのかと思いきや、真剣な表情だった。
「……見えないからわからない。けど、どうしてそんなことを聞くの?」
「なんつーか……こういうのって意味あるのかな、って思ってさ」
何やら鞄を開けてゴソゴソする相馬君。取り出したのは大判漫画くらいの本。
「まさかあんた……それ……」
「察しがいいな。さすがエロ漫画家の妹さんだぜ」
「なんでそんなものを!」
「読ませたいと思いながら、結局渡せなかったからな……地獄にはエロ漫画なんてぜってーねーから、これで向上月の童貞心を慰めて……」
私は無言で相馬君を張り飛ばした。真面目な顔しながらどいつもこいつもなんでこんな調子なんだよ。お墓なのに!
「いってーなーなんだよ! チビの癖にやたらといいパンチしやがって」
「うるさい。私はちょっとしんみりして難しいこととか考えようとしてたところなの! デリカシーなさすぎ!」
「珠美ちゃんの都合なんか知るかよ。つーか……」
そこで言葉を切り、相馬君は紙袋を取り出した。文房具屋さんでノートを買った時に入れてもらうような茶色の袋。
「これ、元は土橋のだけど、強引にパクってきた。持ってたら土橋に返してやってくれ」
ふざけた顔はしていない。まるで伺うような、鋭い目。何かを勘ぐっているような……。
「何……? ノート……?」
「開けてみろや」
察しがつかない。相馬君の表情も、謎。きっとこれを渡すために、私はこんなところへ連れ出されたのだろうけど……。
パリパリと音を立てて袋を開ける。薄暗闇がぼんやりと照らす表紙。
お兄ちゃんの絵。
けっこう厚い同人誌。
アダルトオンリー。
「これっ……!」
表紙の女の子は、見たことがあった。ううん、彼女とはそんな生半可な関係ではない。
昔、描いてもらった色紙と全く同じキャラクターデザイン。絵柄はうまくなったりちょっと変わったりしているけれど。
私。
タイトルは、『私は妹』。
「な、なっ……私、こんなの知らない……いつ出てたの!?」
「こないだの小さいイベントで少数販売してたって、土橋は言っていた」
土橋君……お兄ちゃんの漫画のせいで、そっちの世界の住民になりかけているの……?
い、いや……それも大切だけど、今は違うことの方が優先事項。
「あの……この本……」
「貸すから読め」
遮るような相馬君の強い口調。私の言葉は、今は必要とされていないのか、拒否されているのか。それとも、違う何か、か。
相馬君にじっと見下ろされる。見つめられる。何かを悟っているのか、同情するような、目。
「あー……その、……なんだ……」
何かを言おうとして、口を閉ざす。どうしようかと悩んでいる様子の相馬君。
本の内容、想像が付いてしまった。
相馬君の気持ちとか、考えていることも、手に取るように理解できた。
「……帰るか」
そして全てを放棄された。
ホッとした。前後を考えると許容と取れる。もしくはスルーかな。
相馬君の距離感って、いい感じかも。
「飯食ってくか」
「……ジャンクフードが食べたい。ハンバーガーとか」
「おー。そういやマックの新作気になるな。名前何だっけ」
さっきより会話が弾んだ。無理して弾ませていたのかもしれない。遠ざけるために。
きっと私の表情は、動揺ではなく、落ち込んでいた、だろうから。




