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私は妹  作者: 九時良
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向上月君の、不思議な夢。 下



「一人で死ぬのは寂しいけど人間なんてそんなもんだ。寂しさは人間が背負った十字架のようなものだから、追求するのは野暮だと思っている。君は同情で気を引けるほど優しい人間ではないみたいだし、哀れみを引き合いに出すのをやめよう。僕は甘えないで、要求だけを突きつける」



何をいいたいのか、言葉がすぐに飲み込めなかった。私は反論したくて喋ろうとするのに口が重くて何も言えない。もどかしい夢だ。視界は更に狭くなって、もう、向上月君と天井しか見えない。


え? あぁ、そうか。私が床に仰向けで寝ているから、天井しか見えないのだ。教室の天井が、向上月君の肩越しに見える。


向上月君はどんな顔をしていると言えばいいんだろう。目は限りなく真剣で、寂しいのか、獲物を狙っているのか、一言ではとても言い表せない。怖い目。狂喜している、のだろうか? それとも狂気か。ただ真剣なのか。追い詰められているのか。……向上月君のことなんか私にはわからない。理解しようとも考えていなかった。


薄い唇はへの字。ニヤニヤいつも笑っているようだけど、本当は、不満を隠しているのだろう。だけど知らない、興味ない。向上月君のことなんて。私にとって他人なんてその程度。


首が締められている。わかる。細い指が私の首に食い込んでいる。殺しに来ているというよりは、やんわりと、戯れるようなものだけど。苦しい気がする。



「一緒に死のうよ。大丈夫だよ。いつかは死ぬんだ、怖くない。どうせ君だって僕と似たようなもので、未来に希望なんか持ってないんだろう? 生きてたって幸福の高が知れているんだろう? じゃあ、恋愛ごっこで死んだ方が楽しいじゃないか」



流暢な向上月君の言葉はまるで嘘を吐くようだ。


そうかもね。


そうかもねそうかもね。


向上月君が私の首を締める感覚。なんとなく体の暖かい感じ。浮遊感。こんなものが今の私に与えられて感じることのできる全て。だって夢だから。


お兄ちゃんのことも覚えているけれど、目の前で強く求められたから応じる。向上月君なんてどうでもいい。本当は何に転んだってよかったんだ。相馬君でも先生でもクラス委員でも女の子でも。だけど理性的な私が認めなかっただけ。


お兄ちゃん以外のことは、実は心底どうでもよかった。私のアイデンティティが見つからない。頑固で頭でっかちな私は、だけどお兄ちゃんのこと以外は目に入っていなかったのだ。


あぁ、なんかもう、どうでもいいかな。



「なんか気持ちいいね」



投げやりになるって、つまり、楽な方に流されること。引っ張られるがままにそっちへ行くこと。お菓子くれるから懐くこと。


向上月君に首を締められる感覚は、生温いお風呂でずっと半身浴しているようなものだった。だって夢だから。



「そう、そう。このままずっと楽になる。僕は綾瀬さんと一緒にいられる。最高じゃないか」


「そうかもね……」


「そうだよ。だから、いいよね?」



私は「うん」と言おうとした。


でも、途端に向上月君の表情が暗くなった。笑いもしない。少し恨めしいように見える。



「……なんだよ。まだ邪魔するのか」



独り言のようだった。


一体、何の話だ?






携帯が鳴った。朝なのかと思って飛び起きたら、辺りはまだ暗かった。


こんな時間に誰だ。眠気で重たい頭と瞼を上げて、携帯の画面を見る。液晶の光が目に突き刺さってくる。


お兄ちゃん。


お兄ちゃんだ。


……お兄ちゃんからのメールっ!!



「……!」



お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん! お兄ちゃんのメールだ! お兄ちゃんからの!


目は光が焼き付いて負けそうだけど、ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら内容を確認する。


眠気は吹っ飛んだ。でも、まだ寝ぼけていた。だってそうでしょ。お兄ちゃんからメールが来ても、別に、私が求めている内容をもらえるわけではないのだから。……でも、嬉しかったのだ。


内容は、一言のお礼。そして、アニメ化の話が来たこと。順調に話が進んでアニメ化が正式に決まったら結婚の日取りを決めること。そしたら、一度ゆっくりと家に帰ってくること。


だけ。簡素で素っ気ないメールだ。



『アニメ化おめでとう。自分のことみたいに嬉しいです』



私は、それだけ書いた。本当に嬉しいから。お兄ちゃんの作品が評価された。やっぱり、私のお兄ちゃんはすごい人なんだ。いい漫画を書いているんだ。公共に認められたんだ。そんな実感。


よかったね、お兄ちゃん。


アニメ化したら、きっとお父さんも認めてくれるよ。家庭を持ったら、社会的に自立したことになるね。今までやってきたこともきっと認めてもらえる。全部うまくいく。よかったね。



「……はは」



おかしい。フツフツと笑いがこみ上げてくる。おかしい。涙が出てきた。


心臓がズタズタに刻まれてしまいそうだ。寝巻きの袖で目を抑える。息が苦しい。キリキリと臓物が締め付けられているような気分だ。


何なの。何なのよ。妹の処女奪っておいて。好きだとか嘯いておきながら。自分だけ成功して、幸せになるつもり?


怒りや妬みとは違う感情。恨みかもしれない。


だけど、お兄ちゃんの現状を壊す気にはなれなかった。お兄ちゃんが大切だからとか、それだけじゃなくて。お兄ちゃんの作品が認めてもらえて嬉しいこともあるし。お兄ちゃんが好きだから。


私はどんな気持ちで義理兄の結婚に対応すればいいのだろうか。アニメ化は嬉しいのに。結婚して、違う人のものになっちゃうなんて、絶対に嫌。


お兄ちゃんは私のお兄ちゃんなのに。……ううん、お兄ちゃんだから、妹の私を、なんとしてでも視界の中から消そうとしていることはよくわかるけど。


悔しい。お兄ちゃんは私から離れていく。


別にお兄ちゃんと籍に入って云々なんて高望みはしない。ただ、お兄ちゃんが欲しい。お兄ちゃんの気持ちとか、関心とか、愛情とか、スキンシップとか、もう、なんでもいいから、お兄ちゃんが欲しい! 他の人になんか渡したくない!



ーーふと、頭の中に記憶が映像として浮かんできた。



夢の中の私は、向上月君に首を締められていた。殺されてしまいそうだった。向上月君は死にかけだし、これってもしかして、そういうことなのかもしれないとか、思った。怖い。向上月君だからあり得ないことではない。


芋づる式に夢の全体像を思い出す。やけに感覚が生々しい。向上月の手の温度が、首元にまとわりつくような。


向上月君は、私を連れて行こうとしているのか。


それとも、殺してでも手に入れたいと思ったのか。


他人の気持ちなんてわからないけれど。


……でも、ちょっとわかるような気がした。


殺してでも欲しいもの。殺すなんてこと、したくないし、そんな感性はわけわからないけど。でも、そこを乗り越えて、外道とか悪霊みたいなのになってまで、欲しいもの。そうでもしないと手に入らないもの。


でも、私は向上月君じゃなくてお兄ちゃんが好き。同情とか色々手段を使われても変わらなかった気持ち。向上月君は主人公じゃなくて、私は頑固で、ご都合主義な展開は用意してもらえなかったのだ。


もし、お兄ちゃんが、まだ私を好きだったら。そんなことを考える。メールが来てしまった今、関係は精算されようとしているに等しいけれど。

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