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私は妹  作者: 九時良
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向上月君の、不思議な夢。 上

『お兄ちゃんへ。


今日、クラスの男子がお兄ちゃんの漫画のファンだってわかりました。


ちょっと自慢したくなりました。


お兄ちゃんの漫画がもっと色んな人に読んでもらえますように。


読んだらきっとわかるから。』



……メールなんて書いてどうするんだ。どうせお兄ちゃんは返事をしてくれないけど。


送信。



ないものねだり。だだをこねる子供のように。もしかすると、お兄ちゃんはまた私の方に戻ってきてくれるかもしれないから。


そんなの無理だ。


このメールだって、お兄ちゃんの漫画のことしか書いてない。他の人が見たら、妹が兄を応援しているだけのメール。


だから、大丈夫。


お兄ちゃん、普通の返信くらい、していいんだよ。そうしてくれないと、私、どうしていいかわからないから。


お兄ちゃんにメールを出してからの夜は長かった。


宿題して。勉強して。本読んで。そういえば向上月君はどの本が面白いって言ってたか思い出せなくて気持ち悪くて。電話しようにもお互い連絡先なんか教えあっていなくて。お兄ちゃんよりも全然交流が浅いことに気がついた。私にとってはそれでも気にならないくらいの存在だったということ。


そこまで考えて十二時を過ぎていることに気がついた。お兄ちゃんからのメールは来ない。


私はもう、お兄ちゃんにとっては妹ですらないのだろうか。兄妹以上の関係を望んでしまったから。それとも、妹以上だからこそメールが返せないのだろうか。


核心に触れる相談ができない。誰にも話せない。


先生にも、相馬君にも、お兄ちゃんとの関係なんて口が裂けても言えないし。


向上月君は付き合っているのに、まるで追い討ちをかけるようにそんなこと言えない。言わなくても、気がついているかもしれないけれど……言えたとしても、今はいない。


ひとりぼっちで抱え込むしかない。嫌ならお兄ちゃんなんか嫌いになっちゃえばいい。


お兄ちゃんは酷い人だ。お兄ちゃんは気持ち悪い。


でも、嫌いになろうとすると、忘れようとすると、優しく頭を撫でてくれたこととか、描いてくれた絵とか、キスとか、全部全部頭を過ぎって、悲しくなる。生々しい胸の痛みが記憶を引き留める。いつまで経っても、薄らぐことがない。



……もう寝よう。寝て、逃げて、明日になったら、一日歳を取るから。


楽しいことなんかなくて、他に好きな人なんて出来なくても、時間は過ぎる。目を瞑れば滞りなく流れて行く。






「それでいいの?」



向上月君は少し眉を寄せていた。


教室。私は窓際の席で、向上月君は壁に寄りかかっていた。……二回くらい前の席の風景。教室には誰もいないことが奇妙だけど、夢の中の世界は狭いから不思議ではなく、違和感もない。



「そうすることが正しくて、私が間違っているから。仕方ないんだよ」



話の経緯はわからないけれど、お兄ちゃんのことを話しているのだ。


私は苦しくて泣きそうになっていた。ぎゅうぎゅうと胸が締め付けられる。


向上月君も悲しそうな顔をしていた。形だけ付き合っていても、結局、私の気持ちは向上月君に向いていないから。それでもいいと言ったけれど、本当にそう思っていることはあるまい。


私たちはどんなに頑張っても好きな人と結ばれないのだ。この空間にあるのは、切なさと、物悲しさと、シンパシーだった。私と向上月君はよく似ていた。



「何が正しくて何が間違っているのか? もちろんわかるよ。綾瀬さんは周りを見て、お兄さんを見て、自分のことを決めている。その上での、善悪だ」



静かだけど熱の籠った口調。向上月君もこんな喋り方をするんだ。ーー夢の中、だからかな。



「でも、世界は広い。綾瀬さんの周りは狭い。基準を身の丈で図らないで広げたらどうなる? つまり、綾瀬さんは綾瀬さん、周囲は周囲ってこと。君は君自身以外の何者でもなくて、周囲はただの他人だ」


「それは視野を広げているんじゃなくて、狭めていると思う。だって、それって、自己中心的になればいいっていう教唆でしょう?」


「言い方を変えよう。自分に素直になればいいって話だよ。どうせ人間なんか死ねば終わる。それなのに、なんで諦めなくちゃいけないんだ」



他の誰でもなくて、向上月君が言うから説得力があった。


言葉自体は間違っていないけれど、正しいことかはわからない。ーー口に出すのは憚られた。だって向上月君だし。


夢の中だけど、私はそれなりに気を使っていた。これが私の向上月君に対する感情の全てのように思えた。


向上月君は冷たく、だけど子供っぽい「えへへ」という笑みを浮かべる。バランスの崩れた微笑みは別の思惑を持っている。



「綾瀬さんの思ってることは全部聞こえているよ」


「聞かないでよ」


「聞こえるもん。仕方ないじゃん!」



気まぐれな子供みたいにムーッとする向上月君。時折こんな風に戯れを見せたりするから、思わず笑いたくなってしまう。そんな場面ではないはずだけれど。



「……綾瀬さんに、僕から一つ提案」



会話が途切れたのをいいことに、新しい話題が投入された。向上月君はいきなり表情を静かにさせる。直前までは全て嘘。



「何?」


「一緒に死のうよ」



告白の時と同じ。冗談みたいにサラリと吐かれた言葉。この唐突さと躊躇いのなさが彼らしさなのだろう。



「綾瀬さん、一緒に死のう。君みたいな性格は生きていてもどうせ辛いだけだよ。それなら、若くて可愛い今のうちに死んだ方が美談だろう?」


「無茶苦茶言わないで」



自覚はしているけれど失礼なことを言われて少し腹が立った。


しかし、二の句を継ぐ前に向上月君が強い口調でたたみかけてきた。



「なんで一緒に死ななくちゃいけないの、なんて言わせないよ。だって君は僕の彼女だ。独占して振り回して泣かせたいくらい好きなんだよ!」



そんなこと思ってたんだ……。いや、これは私の夢だから、本当に向上月君が思っていることかはわからないけれど。私の願望? それじゃあ、お兄ちゃんとの現状に満足していることになりそうだ。だから、違うな。



「え」



向上月君がぶつけるようにキスしてした。現実ならきっとぶつかって痛いだけで終わってしまいそうだけど、夢だから物理とか経験値とかそんなの関係なくスッと唇が重なった。


柔らかい唇が溶けそうなくらい心地いい。夢だから。別にキスなんて特別気持ちいいわけではない。キスがうまい人とキスしたことがあるわけでもないし。本当に好きな人とできたら、幸せだけど。


私に喋らせたくなかっただけ、なのか。それともムードを無理矢理にでも作りたかったのか。向上月君はすぐに唇を離した。

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