お兄ちゃんのエロ漫画。 下
「意味わかんねー……お前人に嫌われるぞ」
「いいよ、嫌われても。私の言葉を理解できる人しかいらない!」
もう嫌だ。疲れた。面倒くさい。こんな人の話なんか聞いてても仕方ない。話すことすらもったいない。私の大切なものが、どんどん踏み荒らされて行く気がする。
「ほぉん。じゃあ誰もお前の側になんか残らねーよ」
相馬君はびっくりするほど冷たい声を出した。目も冷ややかで、見放されたような気がした。……それはそれで辛い気分になった。嫌いなはずなのに、こうやって嫌われることはいい気分じゃない。
「なんでかわかるか? お前は人に打ち明け話なんかしない、隠し事ばかりだからだ。そのくせ理解して欲しがって、そんなんじゃ誰も理解できるわきゃねーよな! 第一めんどくせぇんだよ。みんながみんな理由もなく人を好きになるか? 上っ面の付き合いばかりして人を利用しやがって、そんなやつ誰が好きになるかっつーの。うじうじ悲劇のヒロインぶって楽しいか? 俺ぁ見てて腹が立つ。お前は人の気持ちなんか考えねぇんだろうな」
溜まったものを吐き出すような言い方だった。積年の、という感じ。言葉がずしんと心にのしかかってきた。
「多分、俺は珠美ちゃんより向上月のこと考えてる。一応言っとくけど、変な意味じゃねーから。わかりあえると思ったけど、間違ってた。絡んで悪かったよ」
大きなため息の後、相馬君は背中を向ける。落胆の色が伝わってくる。
「ま、待って……」
言葉で止めても止まらないだろう。だから、先読みして服を掴んだ。
「んだよ」
うざったそうに振り返る相馬君。
確かに私はたくさんの人を傷付けていることを自覚している。でもそれは、私が認識できる範囲の、本当につまらない気の使い様の話だ。
向上月君を傷付けていることは理解している。酷いことしていながら、それでも求められる優越感に浸ったり、罪悪感を覚えたりしていた。
だけど、相馬君がそんな風に考えているなんて微塵も気がつかなかった。
相馬君にとっての私はからかいの対象で、たまたま向上月君とのパイプになっただけだと思っていた。相馬君が私とわかりあおうと思っていたなんて、想像もつかなかった。
そのこと自体に傷付いた。自分で自分を傷つけるなんて馬鹿げている。私はなんて視界が狭くて、嫌なやつなんだろう。
「ごめんなさい……」
もしかすると、相馬君は私のこういうところにイライラするのかもしれない。謝ったり落ち込んだりすれば許されると思っている姿勢が。
「なんで謝んの? 俺はただ自分のエゴをぶつけただけだよ。珠美ちゃんにはそれなりの事情があんのかもしれないけど、納得できないからムカついてるだけ。でもいい、他人に話したくないことなんか世の中にゃいっぱいある。これで終わりだ。言い訳なんぞ聞きたくもない」
怖い。相馬君の声が怖い。冷たい目が怖い。寄った眉が怖い。怖いのは、いじめられたり、からかわれたりするからじゃない。
こんなやつなんかどうでもいいって、たった数分前までは思っていた。顔も見たくない、口もききたくないとすら思った。
でも、今は見捨てられることが怖い。
喧嘩したし、つまんないいじめされたし、たくさんからかわれたけど、助けてもらった。嫌いだけど、悪いやつじゃないことも知ってる。
相馬君は嫌なやつだけど人としてダメじゃない。しつこいけど、ウザいけど、情に厚い、根はいいやつ。
私はちゃんとそのことに気が付いていた。
その相馬君に、キツいことを言われて見放されてしまう。
私が間違っているから。
「……誰かに相談できるなら、したいくらい」
でも、無理なことだってある。
先生は? 女友達は? 無理だ。
どんな目でみられるか。どこから話が漏れてしまうか。教室内の立場は守れるのか。どう考えても、危険な橋である。
……それは、私が誰かと信頼関係を結べなかったからかもしれないけれど。
「向上月に相談すればいいじゃねーか。あいつなら絶対に否定しない」
「言う前に、気付いてた。でも、当事者だもの、面と向かって相談なんかできないよ……」
本当に、なんで向上月君はこんなのを好きになったんだろう。
私はぎゅっと口を噛んで一拍。相馬君を見上げて震える一呼吸。
「相馬君、私の友達になってください。……い、今更遅いかもしれないけど」
今までは嫌いだったし、今だってやっぱり嫌な思い出は駆け巡っているから、プライドがチクチクと責めてくるけど。頑張った。
だけど、相馬君は素っ気ない態度だった。……相馬君の本当の怖さを垣間見た気がする。
「そーゆーもんじゃなくね? お前本当に薄っぺらいやつだな。なんで向上月はお前なんかがいいんだかね」
「……私も、そう思う」
次、学校に来たら聞かなきゃ。
でも、学校に来るのかな。向上月君、また来れるのかな。
「うぜぇ、泣くなよ。俺が悪者みてーじゃねーか。……いや、悪者は認めるけど困るから止めろ。本当にうぜぇ」
「泣いてない。泣きそうだけど」
相馬君は肩を竦めて背を向けた。
私は鞄を引っつかんで、小走りで相馬君の隣に並んだ。
「……あ〝? 何」
「一緒に帰って」
「ヤなんだけど」
顔も見ないで冷たく言われるとかなり傷付く。
でも、今逃げ帰るわけにはいかない。
「……実はあの漫画、私の義理のお兄ちゃんが描いたの!」
そんなに聞きたいなら教えてやるよ!
「マジか」
意を決した私の発言に、相馬君は目と口をまん丸に開いた驚愕の顔を返してきた。
私は黙ってうなづいた。少し、顔が熱い。
「ええと……アレか……ホラ……珠美ちゃんが世話してる」
「うん……最近は彼女さんがやってるみたいだから、私は面倒見てないんだけど」
「そうか……ああいう漫画を描いてる人にも彼女いるよな……そうだよな……」
相馬君はやけに染み入るようは口調で呟くと、二・三度うなづいた。気持ちは少しわかるけれど、それは偏見だと思う。
「だから……そういうことで……。他の人には言わないで欲しいんだけど……」
指先をツンツンと合わせながら、私は言葉を濁した。
うるさく騒いだり笑ったりしないで欲しい。
そう思いながらチラリと顔を上げたら、相馬君は引きつったような半笑いをしていた。
「あー……うん、なんつーか……わかった」
「うん……」
「その……ごめんな? いや……うん……申し訳なかった……」
ちょっとだけ気遣う風な相馬君。果たしてこれが育ちの良さと言うものなのだろうか?
「謝るなんて失礼」
「は?」
「確かにお兄ちゃんが書いてるのはエロだから、ちょっと恥ずかしいし、人には滅多に言えないことは事実だよ。でも、私は悪いことだと思ってないし、謝られることでもないと思う」
始めて、人に言った。
……ちょっと清々しい気分。
「私はここで相馬君との関わりを切ってもよかったけれど、でも、あなたが必要だと思ったから、信頼して話した。それまでは相馬君のことを勘違いしてたし、だから、いっぱい、お互いにむしゃくしゃして、分かり合えないこともあったと思う」
「おい、めっちゃ上から目線だな」
「だって私、悪くないもん。お互い様!」
腕を胸の前で組み虚勢を張る。やっぱり、相馬君には負けたくない。
でもまぁ、感謝してあげないこともない。言いもしないけど。
「まー、なんつーか、アレだ。俺も考え方間違ってたかもな」
「そうだよ。だって友達ですらなかったじゃない。信用できなくて当然よ」
「……え、友達って思ってたの俺だけ?」
「は? あれで友達なの? 嘘でしょ?」
「え、え? マジで? ま、まぁ、珠美ちゃんが『友達になって』って言ったとき『あれっ?』って思ったけどさ! え? 本当に?」
「意味わかんない……」
私たちの温度差はロシアとアラブくらいかけ離れていた。
この話題だけで帰宅中の会話が埋まってしまったのは、一体どういうことなのか。




