向上月君の告白、第二弾。 下
「なにあいつ。きっとぼっちだから寂しくて話しかけてきたのよ」
『友情みたいなもの』は気になったけれど、デコピンが痛かったから嫌味を吐いてみた。
しかし都合の悪い関わり方を、都合の悪いタイミングでしてきたものだ。
向上月君は一体どんな反応をするのだろうか。プライドを傷つけられたとキレたりしないだろうか。
「……邪魔、だったかな」
とつりと呟かれた言葉。
「あぁ……そうだよね……しつこいよね……ごめんね……」
一つ上でフワフワと浮いているような、掴みどころのない声。
向上月の泣きそうな顔。
「そんなことは……!」
嬉しいことは、嬉しいし。迷惑でもないのだけれど。
「いいよ。知ってた。僕なんかが普通に恋愛したいとか思っちゃいけないって。ダメなんだ。友達作ったり、好きな子と仲良くなったり……いつも迷惑しかかけないんだ。僕なんか生まれてこなければよかった……」
半泣きの、薄笑い。声が震えていた。
積もり積もったものが垣間見えたような感じ。私との関係だけの話じゃなさそうだけど、生憎私は向上月君の言っている、傷ついたことの全てはわからない。
「違うよ」
「違うもんか。口先だけで否定するのはよしてくれ」
急に叩きつけるようなキツい口調になって、睨まれた。まるで別人になったみたいな……。
「……迷惑じゃない」
このまま拗れてしまうと、なんだかすごく厄介なことになりそうだった。仮にも私を好いてくれた人だから、仲悪くはなりたくない。
「嘘だ。どうせ僕のこと病原菌みたいに思っているんだろう」
「そんなことないよ! なんでそんなに酷いこと言うのっ?」
向上月君は冷たい目で怒っている。
悲しくなってきた。そんなこと思ってもいないのに!
「迷惑なんかじゃないの! でも、私はまだお兄ちゃんのことが好きなのっ! それなのにそんな気持ちで付き合ったら失礼じゃないっ!!」
言ったら、泣いてた。なんで泣いてるかよくわからないけれど、ともかく私は泣いていた。感情のキャパシティが、その瞬間だけいっぱいになってしまったからかもしれない。
向上月は少しだけ瞼を高く持ち上げて、眉を寄せた。それから少し冷静になったのか、深呼吸代わりのため息をついた。
「……そういうところが、好きなんだ」
笑わない。染み入ったような、独り言のような。
向上月君は、おもむろに両手を広げて。なぜか私を抱きしめた。
消毒液の香り。冷たい体温。
「それでもいい。付き合って」
「……わかった」
ほぼ放心しながら、反射みたいにして私は言った。ドキドキはしなかった。頭の中は靄がかっていて、現実味がないとすら思った。
そんなことも数秒の話だったか。
向上月君はスっと離れて行った。もう、いつもの向上月君だった。
「ところで一つ聞きたいんだけど」
「はい?」
思わず畏まってしまった。なんで向上月くんってこんなに切り替えが早いんだろう、特殊な訓練でもつんだのかしら。私はさっき感情をむき出しにしたことの恥ずかしさが今頃こみ上げてきたっていうのに。
「お兄ちゃんってどういうこと?」
……あ。失言した。なんたること! 先生に打ち明けてからつくづく実感したけれど、こんなの他人に話すようなことではないのだ。
「お願い! 絶対に秘密にして!」
向上月君は友達が多いから下手すれば一瞬で広まる。内緒話前提というわけではないから、どうなってしまうことか! 周囲からどんな目で見られるか、想像するだけでもゾッとしてしまう。
……あれ。でもなんか、それって変だよ。お兄ちゃんに抱いてと言って迫ったくらいなのに、私はどうして。
向上月君が不意にニヤッと笑った。どこか勝ちを確信したような、嗜虐的で、悪どい微笑だ。
それも一瞬のことだけど。
「言うわけないじゃあないか」
白くて骨っぽい大きな手が、そっと私の髪を絡めとった。
優しく笑っている。なのに、裏がある。
こわい。
「他の男と噂が立つなんて気分悪いし。お兄さんの話は今度詳しく聞かせてね」
「……」
私はあえて沈黙する。反応を見るのだ。
向上月君は、クスリとおかしそうに笑った。いたずらっこみたいな感じで。
……あれ、いつもの向上月君だ。さっきのは何?
「帰ろ」
「うん……」
やっぱり向上月君は飄々としていた。そうすることが、先ほどの言い知れないプレッシャーを取り繕うことと繋がっているのだろうか。
だから、どうということもないけれど。
私たちは駅まで並んで歩いた。向上月君の足取りは心持ち軽かった。
頭の中がモヤモヤしていた。
向上月君のこともお兄ちゃんのことも。
向上月君のことは考えてわかる問題じゃないから、モヤモヤは仕方のないことだ。いずれ解消すればいい。
それより、お兄ちゃんのこと。
私は一体どうしたかったんだろう。あんなにお兄ちゃんが好きで、お兄ちゃんに好きって言ってもらいたくて、兄妹以上になりたかったのに。
少し経って、距離を置いて。それでも私は、まだお兄ちゃんが好きだった。だから向上月君の告白に答えられなかった。
お兄ちゃんと兄妹以上の関係になることは、許されないこと。
わかっているから身を引いた。お兄ちゃんは順調に成功していっている。お父さんも、お兄ちゃんのことを認め始めている。
私がしようとしたのは、それを全部壊すこと。
理解していたつもりだ。お兄ちゃんが、それらと引き換えにしてまで、私を選ぼうと思わなかっただけで。
……でも、私も、今になってお兄ちゃんと同じだってことに気がついた。
お兄ちゃんは、私より他のものが大事だった。
私は、臆病だった。それだけ。




