向上月君の不思議で意味不明な告白。
そして、数ヶ月が経った。
私はクラス委員に馴れた。
学校での状態はさほど変わらない。
相変わらず相馬君たちはからかいにくる。よくもまぁ飽きずにちょっかいをかけてくるものだ。
当初はいじめられるんじゃないかとヒヤヒヤしていたけれど、大丈夫だった。私は態度をあまり変えていない。みんなーーの一部がいい子だっただけだ。
一応、友達みたいな子もいるし。何かにつけて先生や向上月君が庇ってくれる。面倒見のいい人ばかりだ。
「あ、向上月君。おはよう」
おはよう、と言いながら、今は二時間目明けの休み時間である。
近づくと、薬臭い。無臭にも思えるけれど、消毒液のような……例えば青みがかったコピー用紙を白と言い切れるかわからなくなるような、そこはかとない不健康な臭いだ。
ああ、そう。病院の臭い。
「おはよー。重役出勤しちゃった」
そうやって戯けて笑う向上月君の顔色は、白を通り越して青い。顔色が優れないというレベルではなかった。
向上月君は、頻繁にこういうことがある。欠席、早退、遅刻……本人はけろっとした笑顔で冗談を飛ばしながら登校するけど。
不意に、向上月君がニコリと笑った。上品なのに元気な微笑みだ。
「この間オススメした本、読んでみた?」
「あ、うん。なんとなく面白かったけど、わけわかんなかった」
「あはは! だよねー。ぶっちゃけ勧めるか迷ったんだけど、読んでる本かなり被ってたから」
読書友達、というか、なんとも。
追い返されて以来、お兄ちゃんは「親の使いの時以外は来んな」と私を追い返すようになった。
中学生からの日課だった放課後の予定がなくなった。
たまに友達と遊ぶようになった。もちろん少人数、私をいれて二三人くらいの時にしか遊ばないし、行く場所も限りているけれど。
それ以外は、勉強か読書をしている。もとより読書は好きで、小学生の内からこまっしゃくれた本を読んでいたクチだ。
そして、図書室の利用頻度が増えたら、図書委員の向上月君と話があってしまった。
……ということだ。
学校の図書室は大して大きくなくて、教室二つ分がせいぜいなところだろう。
本を読む生徒よりお喋りしたい生徒がけっこういるし、勉強する人たちは自習室を利用するからあまり来ない。そして、司書の先生はやる気がないから決められた時間にいないことが多い。
私たちもお喋りをする時間が増えたと思う。
「今日のバンダナ、なんかいいね。新しいの?」
「そうそう! この間買ったばっかり。さすが綾瀬さん、よく見てる」
「どうも」
私の切れやすい会話を、向上月君はうまく拾って続けてくれる。
実に明るくていい子だ。学園生活を送る上で滞りがなくなった気すらする。
……その分、お兄ちゃんに会えないことが不安だけれど。
お兄ちゃん、ちゃんとご飯食べているかな。片付けているかな。締め切り間に合っているかな。同人誌の方は落としてないかな……。
メールをしても、返事はあまりない。
「あー。綾瀬さん、また違うこと考えてる。酷いなぁ」
子供みたいに拗ねた顔をする向上月君。唇を3の字に尖らせて不満を訴えるのは、見ていてうっかり笑いそうになる。
「あ! 今笑った? ちょっと笑ったよね?」
「うん、ちょっと笑った」
「やった。三芳さんと勝負してたんだ。どっちが先に綾瀬さんを笑わすことができるかって」
三芳さんは私の友達。「ちりとり」の子だ。
「人でカケしないでよ。一体何をカケたの?」
「それは内緒」
「なにそれ」
人をカケのダシにしておきながら。
「そんな顔しないでよー。せっかく笑ったと思ったのになぁ」
「そんなもの気分よ。あと、これ普通の顔だから」
「知ってる。でも、笑ってよー」
「嫌よ、そんな訳もなく笑うのは」
「ぶーぶー」
ブーイング飛ばされてしまった。アメコミか。
「なによ。あんた私のこと好きなの?」
もちろん冗談だ。否定されること前提である。冗談で肯定されたら、冗談で返すけど。
「うん、好きだよ。恋愛として」
笑っているのに真面目な顔ができるというのは、なかなか芸達者だ。涼しげな微笑み。
「……冗談だよね? 真面目な顔して嘘つくなんて質悪いよ」
「え、酷い。本気なんだけど」
私は思わず絶句してしまった。
教室のざわめきが一層大きく聞こえて、頭がクラクラとしてきそうだ。
なんてムードのない告白……。
こんなに人がいるのに、誰も私たちの会話なんか聞いていない。そもそもあまり大きな声で喋らないから誰かの耳に届かないだけかもしれない。
「僕と付き合わない?」
向上月君の告白は軽いのに、引いたところがない。軽いからこそ強気な物言いなのかもしれない。
「え……えっと、なんで私なの?」
「そりゃ綾瀬さんが好きだから。あー、そうだね、声が好き。最初は声に惚れたんだけど、今は全体的に好き」
「声?」
「そ。声って聞こえてくるものでしょ?」
……なんだかよくわからないこと言っている。
言葉は理解できるのに、込められた意味がちっとも伝わらない。
しばらく話してきたけれど、独特の世界感を持っていたり、特別変わった視点を持っていたりするわけではない。ただ少しシニカルで、ややクールでちょっと汚い大人みたいなところがあるだけで。
なんで向上月君がこんなことを言うのかまったくわからない。
「……んふふー。そういうところ」
黙って目を白黒させている私に、向上月君は含みのある笑みを向けた。少し色っぽくも見えた。
「ごめん……意味わかんない」
「それは残念。とりあえず言いたいことは、綾瀬さんが好きだから恋人になりたいです、ってこと」
やっぱり軽い。日常会話でこんなこと言われても困ってしまう。むしろ呆れる。
「ええと……ごめんなさい」
断ることにした。
ムードとか好きとか嫌いとか以前の問題が、ある。
「え? マジ?」
これまた軽かった。
「ごめん……好きな人がいるの」
「あぁ……そっか。そっか……。残念だ」
声は少し沈んでいる。渋い顔はどこかふざけていた。
……もしかして、わざと戯けている? 向上月君ならありそうだ。
でも、だからといって、うまいフォローが見つからなかった。
いいタイミングでチャイムが鳴ったからよかったけれど。




