5⇒6(β)
忘れていた。
スーツ姿の男。あいつを尾行するために何買うか悩んでいただけだったのに。
慌てて来た道を引き返す。
辺りは暗くなり始めている。もう帰ってしまったのだろうか。
と、諦めかけたとき、髭のおっさんがスーツ姿の男と洋菓子店の近くにあるカフェの席で話し込んでいるのを見かけた。とりあえず両者の声が聞こえて死角になりそうな場所に座りコーヒーでも注文した。
「全く仕事なんて面倒だ」本当に気だるそうスーツ姿の男は言う。やる気が無さ過ぎる。
「そういうな。この特徴の男を見つけてくるだけ。幾分かマシだ」
汚れ仕事というのは恐らく、非合法なものだろう。誰を探している?
「早く戻って色々したいんだが」
「趣味もほどほどにな。あれはまだ価値があるからお前には引き渡さん。俺も色々やってきたからそこまで強く言えないがさすがに良心ぐらいは持ち合わせているつもりだ」
「価値がなくなればやっていいんだろ」
「……そうだな」
何やら物騒な話をしているが俺には関係のない話だ。
「というか、この男が住んでた場所にうちの関係者いたんだろ?携帯で位置情報特定もしないしちょっと
不備が多くないか?」
「話を聞く分だとただの学生にしか見えないような男だったそうだ。経歴も不審な点が一切見つからなかった。携帯電話は壊れたものが室内から見つかったそうだ」
何?どこかで聞いたことがあるような話だ。探してるのは、まさか。
「なるほど。おまけにここにある中継地点も割れちゃってると。すごいね、彼。まるでスパイ映画の主人公みたいだ」
「そんな人間と知り合いになったあのお嬢ちゃんは不運としか言いようがないがな」
「あの子、前から狙ってたんだよね。今日辺りアタックしようと思ってたんだけどまさか、仕事で捕まえることになるとは思わなかったよ」
その言葉を聞いた瞬間、スーツ姿の男に向かい、右ストレートで景気よく顔をふっとばしてやった。
全力で人を殴ると痛いな。右手をぶんぶんと振る。
悲鳴があちらこちらで聞こえる。髭のおっさんは俺をみて警戒態勢となる。
「はじめまして。うちの後輩がお世話になったようで」
「激情家だな。こちら側の仕事には向いていない」
「あの洋菓子店が秘密基地だったのか。気付かなかったよ」
洋菓子店の名は「Klein bottle」スペル違いではあるが「クライン」の名を持つ場所。
ああ、ここだったのか。順調すぎて怖いな。
ループするたびに新事実が明らかになっていく。
次のループを体験すれば終わらせられるかもしれない。
「嘘をつくな」そんな感傷から男の言葉で戻ってくる。知らなかったのは本当なので「本当だよ」と返すが来たのは拳だった。
慌てて、下がる。戦闘についてはど素人も俺はいいところだ。さっきは不意打ちだったから決まったラッキーパンチ。倒れた男が覚醒して二人がかりで襲ってくるのがいつになるか分からない以上、やるのは消去法で一つ。
逃げるしかない。目指すは「Klein bottle」
待ってろ、後輩。
「普通、こういう展開だったら先輩が私を助けてくれるもんじゃないんですか」
「俺は非力なんだよ」本当に、非力だ。情けない。
「クズ」
「うるせえ」
結果から言えば、俺は捕まった。おっさんの身体能力を舐めていた。そのまま後輩を捕まえていた場所に連れて行かれたので結果オーライといえば結果オーライ。
場所は「Klein bottle」の地下倉庫にある隠し部屋。そこに繋がる別口の入り口が複数あるようで、俺はその中の一つからここへ連れ込まれた。その辺は後輩の話とかけあわした推測だ。
髭のおっさんは「後処理と上にかけあうからそこにいろ」と動けないようになっている俺と後輩の様子を確認するとどこかへいった。
そうして、俺は今、後輩に詰られている最中だ。
「あーもう最悪ですよ。先輩何したんですか、一体」
「世界を救おうとした」
「全く面白くないんですけど」
俺の発言はつまらないジョークとして一蹴された。
「真面目に言ったからな。お前もあそこで油売ってるから捕まるんだよ」
「……スーツのお兄さんにここで働いてみる気はないか?って言われたんですよ」
時給は良さそうだ。なんといってもバックが怪しい組織だからな。
「それでノコノコついていったら捕まった、と」
「いきなり、一緒にいた男について話せって言われたんですよ」
「俺が帰ったときはまだ指示が来てなくて俺が帰った後に監視カメラかなんかで俺と一緒にいるところに映ったお前から情報を聞き出そうとしたんだろうな。まあ、そこはラッキーだった」
本当に。それだけは良かった。このループ世界はもう助からないが彼女は今よりひどい目にあうことはない。
「どこがですか」
「お前、スーツの男に前から目つけられてたんだよ」
「それが?」分からないって顔をしている。まあ、分かったら怖い。推理力がありすぎる。探偵をやったほうがいいだろう。もちろん、フィクションのような探偵を。
「あのお兄さん、拷問趣味らしくてな。よく、殺してるみたいなんだ」
「……冗談ですよね?」顔が分かりやすく青ざめている。なんだか普通のリアクションをされてこちらの調子が狂う。だからなのか、恥ずかしい台詞も自然に漏れ出す。
「冗談だったら俺は殴りかかって捕まるなんて馬鹿なことしなかったよ」
「そう……ですか」
「ああ」
お互い、言葉がそれ以上続かない。
何かを彼女が言おうとした瞬間、誰かが部屋にやってきた。いいタイミングだ。
「さて、あんたらの処遇が決まった」
後輩の顔に緊張がはしる。俺は死んだ魚のような目線でおっさんをみた。
「そっちのお嬢ちゃんは他言無用なら明日にも開放するそうだ。どうだ、できるか?」
ここであったことを黙っていられないなら。質問はしているがこれはただの強制だ。
「分かりました。……先輩はどうなるんでしょうか」
「そっちの坊主は余計なことを知りすぎた。感謝しときな。そっちの坊主が余計なことを自棄になって喋ってれば、ここまで温い処置にはならなかった。ああ、警察やマスコミにいったら坊主と同じ目にあうことになるぞ」
盗聴器、か。わざと会話できる状態にして背後関係でも探ろうとしたのだろう。結果は外れ。だが、アキレス腱は見つかった。なら、俺は今から碌な目に遭わない。
「まあ、彼女は本当に関係ないんで」
「だろうな。俺としてはお前みたいなのがウチの機密をどうやって知ったのかが気になるがな。内部に共犯がいるのか?候補はいるが」
ループと第六勘だ。あとは勝手に喋ってくれた内容で推測しただけ。言ったらきっと信じてもらえないだろう。
「大家さんは首謀者さんの電話番号は知らないでしょう」分からない出来事を確信したようにいう癖がついてしまった。これじゃあ詐欺師だ。
「ああ、ここら一帯で知っているのは俺だけだ。困ったもんだったよ、スパイ容疑をかけられたときは。疑いはすぐに晴れたからいいものの」
「人望ですか」これも推測。でも間違ってはいない。
「その通りだ。ま、状況証拠もあったしな」
「そうですか。聞きたいことがあるんで彼女か俺を別室にしてくれませんか?」
あちらも俺には聞きたいことがある。だから、こういえば絶対に了承する。絶対。
「いいぞ」
「あ、あのスーツの人には近づけさせないでくださいね」
そうでなければ俺の拳が無意味になる。捕まってでも払った代償であるのに。
「ああ、お嬢ちゃんには近づけさせんよ」
「安心しました」
「あっさり人のいう事信じるんだな」
「あなたの人望を信じます」このおっさんが約束を違えるはずがない。
「こちら側の人間に向いてないよ、坊主」
「ただの学生ですから」
「面白い冗談だ」おっさんは首謀者と同じようなことを言う。
おっさんに立たせてもらい、ゆっくりと別口へ向かう。部屋を去る直前に「じゃあな、後輩」と告げる。彼女が何を言ったのかはよく聞こえなかった。
さあ、あとはスイッチについて聞くだけだ。人工地震のデモンストレーションという名目で偽造された装置についておっさんに聞けばこのループは終わる。
そう理解している。確信している。
この絶対的妄信を少しもおかしいとは思わない。
自らの思考と行動がいかにご都合主義で満ちているかに何も不審に感じない。
だが、余計なことを考えてはいけない。そうしたら上手くいかないから。
けれど思考停止すれば終わらない。
なぜなら世界はループしているから。