第八話 宿場町の裏と表
宿場町というものは、遠目にはどこも似た顔をしている。
街道の両脇に家が並び、馬の嘶きと人足の怒鳴り声が混じり、埃が舞い、荷が動き、銭が落ちる。表から見れば、それだけだ。人と物が行き来する場所。休み、食い、売り買いし、また去っていくための場所。
だが、いざ足を踏み入れてみると、そこには鹿島とも、あの小村とも違う密度の空気があった。
人が多い。
ただ多いだけではない。向いている先が皆ばらばらだ。急ぎの荷を押す者、値切る商人、日銭を求めて立つ人足、宿の前で客を呼ぶ女、何をしているとも知れぬ浪人、荷札を見て算段する問屋の手代、ついでの顔で立ち寄ったふうを装う武家の使い。誰もが表ではそれぞれの役をしている。だがその裏で、別の用を抱えている者もまた多い。
宿場へ入った瞬間、卜伝はそれを肌で感じた。
鹿島の中では、人は土地に守られている。村では、人は怯えに縛られていた。だが宿場では、人は流れに紛れている。善人も悪人も、急ぎの者も待つ者も、同じような顔で歩いている。その中から敵の気配を見分けるのは、鹿島の社裏で闇を見張るのとはまるで違う難しさがあった。
「嫌な顔してるわね」
小夜が横から言った。
卜伝は前を見たまま答える。
「人が多すぎます」
「そういう時は“多い”じゃなくて、“どの多さか”を見るのよ」
「どの多さ?」
「急いでる多さなのか、金の匂いの多さなのか、探ってる多さなのか」
「全部に見えます」
「最初はそうでしょうね」
「何だその言い方」
新九郎が口を挟む。
「お嬢さん、自分だけ慣れてる顔しやがって」
「あなたよりは、こういう場所の見方を知ってるつもり」
「俺は俺で知ってる」
「賭場と酒場のほうを?」
「大体合ってる」
その言い方に、小夜が少しだけ呆れたように息をつく。
道賢はというと、三人の少し前を歩きながら、まるで毎月ここへ来ているような顔をしていた。僧形は宿場でも珍しくない。むしろ、こういう場では誰の目にも止まりにくいのだろう。本人もそれをよく分かっているらしく、杖をついた足取りはのんびりしているのに、目だけがよく動いている。
「まず宿だ」
道賢が振り向きもせずに言った。
「寝床を押さえぬまま探り始めると、帰る巣を失う」
「巣って言うなよ」
新九郎が笑う。
「言い方はともかく、正しいわね」
小夜が言った。
一行が入った宿は、宿場の表通りから半歩だけ奥に入った場所にあった。大きすぎず、小さすぎず、旅人も荷持ちも混じって泊まりそうな、いかにも“よくある宿”だ。つまり、目立たない。
宿を決めると、小夜は真っ先に女中の動きへ目を向け、新九郎はすでに通りの奥のざわついた一角を見ている。卜伝だけが、部屋へ荷を置いたあとも、しばらく土間の空気を読んでいた。
それぞれが、自分の得意な場所へ目を向けているのだと、その時ようやく分かった。
「役割を分けるわよ」
小夜が言う。
「私は宿の中で話を拾う。道賢殿は?」
「表を歩いて、顔を利かせる」
道賢が平然と答える。
「誰に」
卜伝が聞く。
「人足にも、手代にも、口の軽い浪人にも、飯屋の親父にもだ」
「ずいぶん広いですね」
「宿場というのは、広く浅く繋がる場所だからな」
「俺は?」
新九郎が言う。
「賭場だろ?」
道賢が即答した。
「やっぱりそう見えるか」
「見えるというより、もうその顔をしておる」
「褒めてんな」
「知らぬ」
新九郎は笑い、腰を鳴らした。
「じゃあ、そっちで臭いのするところを探る」
「私は」
卜伝が言うと、小夜が少し考える顔をした。
「人の流れを見て。荷と人足と、浪人の目。たぶん、あなたが一番“敵意”には先に気づける」
「敵意」
「ええ。こっちは噂やつながりを見る。あなたは、刃に近いものを見て」
「分かりました」
こうして言葉にすると、妙にしっくり来た。剣を抜くだけが役目ではない。だが、自分が見るべきものはたしかにある。
道賢はそのやりとりを聞きながら、面白がるでもなく言った。
「ようやく旅の形らしくなってきたな」
「最初からそう言え」
新九郎が返す。
「最初から分かる者はおらぬ」
「坊主だけが分かってる顔してるのが腹立つんだよ」
「それもまた道だ」
結局、何を言っても胡散臭い。
だが、この男が顔を利かせると言ったのは本当だった。
昼過ぎ、卜伝が表通りを歩きながら荷の流れを見ていると、道賢はすでに何人もの人間と何気ない顔で話をしていた。人足頭のような男、酒を運ぶ手代、飯屋の親父、路傍で碁を打つ老人――相手はばらばらなのに、誰もが少しだけこの僧に口を開いてしまうらしい。問いただすのではない。話のついでに、相手の口から必要なことだけを引き出していく。
小夜もまた、宿に入ってくる女たちや女中から、見事なほど自然に噂を拾っていた。水場で桶を持つ手を貸し、台所で味噌の話をし、宿場の混み具合を尋ねるついでに、「最近は変わった客も多いでしょう」と話を向ける。その流れがあまりにも滑らかで、卜伝は横で見ていて感心を通り越して少し驚いた。
新九郎は予想通り、宿場の外れに近い賭場まがいの場所へ入り込んだらしい。ああいうところには、人足崩れ、浪人、荷駄に紛れた荒事慣れの者が集まりやすい。軽口と威勢で懐へ入れる新九郎には、向いている場所なのだろう。
卜伝は通りを行き交う荷へ目を向けた。
米俵、塩俵、反物、桶、木箱、酒樽。宿場では、誰もが荷を運んでいるように見える。だが、よく見ると“急ぎの荷”と“隠したい荷”は歩かせ方が違う。
急ぎの荷は前を急ぐ。
隠したい荷は、目立たぬように急ぐ。
午後の日差しが少し傾いた頃、卜伝は通りの向こうから来る一団に目を止めた。
荷駄に見える。だが何かが引っかかった。
荷を担ぐ人足風の男が三人、前後に浪人風の男が二人。商人の連れとしては護りが固い。しかも荷のうちひとつだけ、人足が妙に丁寧に扱っている。重いというより、ぶつけたくない荷の扱い方だ。
卜伝はさりげなく道の脇へ寄り、その一団を目だけで追った。
すれ違う瞬間、背筋がぞわりとした。
ひとりの浪人が、こちらを見たのだ。
ただ見るだけではない。通りすがりの視線ではなく、刃の柄に触れるかどうかを測るような目だ。敵意とまでは言えない。だが警戒が深い。自分たちが見られていることに慣れた者の目。
卜伝はその男の視線を追わず、荷へ目を滑らせた。
木箱。
布で半分覆われている。だが角の意匠が一瞬だけ見えた。
鹿島で奪われた箱と、同じ文様。
卜伝の呼吸がわずかに止まる。
見間違いではない。あの夜、蔵から持ち出された箱を完全に見たわけではない。だが角金具の刻みと、木地に入る線の流れは記憶に残っている。鹿島の社に連なる品らしい、ただの商い荷にはまず使わぬ意匠だった。
「……いた」
小さく漏らした声は、自分にしか聞こえないほどだった。
追うか。
今すぐか。
だが一団の周りには人が多い。下手に動けば通りが乱れ、向こうに察される。しかも、あれが本当に鹿島の品か確かめぬまま斬りかかるわけにはいかない。
卜伝は一歩だけ後ろへ引いた。
視線は切らない。
一団は通りをそのまま抜けると、宿場の裏手へ回る細道へ入っていった。問屋場の裏か、蔵屋敷のあたりへ向かうのだろう。
そこへ、新九郎がどこからともなく現れた。
「おい、どうした」
声を潜めているが、顔は面白そうだった。
「何かいた顔だな」
「荷だ」
卜伝も声を低くする。
「見たことのある意匠があった」
「鹿島のか」
「たぶん」
「たぶん?」
「近い。だが、ここで断じるには早い」
新九郎は一団の去った方角を見ると、口の端を上げた。
「よし、面白くなってきた」
「そういう言い方をやめてください」
「こういう時は面白がったほうが怖気に飲まれねえんだよ」
それもまた、この男なりの理屈なのだろう。
「小夜殿と道賢殿を」
卜伝が言いかけた時、小夜のほうから先にやって来た。
「言わなくても分かるわ。あなた、今“見つけた”顔してる」
「顔に出ていますか」
「出てる」
「出てるな」
新九郎までうなずく。
「二人で揃って言わないでください」
道賢も少し遅れて戻ってきた。その顔を見ると、小夜はすぐに話を切り出す。
「卜伝が怪しい荷を見た」
「ほう」
「意匠が鹿島の箱に近いそうです」
卜伝が言うと、道賢は杖を軽く鳴らした。
「なら、ただの当たりではないな」
「何か知っているのですか」
「この宿場の裏手には、表に出せぬ荷が一度落ちる場所がいくつかある」
「問屋?」
「問屋ばかりではない。名のある家の物置、浪人の寝ぐら、仮の蔵、いろいろだ」
「どこへ入ったかは見た」
卜伝が細道の先を示す。
道賢はその方角を見て、鼻で笑った。
「やはりそこか」
「知っているのか」
「知っておるさ。あそこは、真っ当な荷も、真っ当でない荷も、一度は落ちる」
小夜が目を細める。
「今すぐ動く?」
「いや」
道賢が首を振る。
「昼のうちは人の目が多すぎる。裏を覗くなら夜だ」
「また夜ですか」
卜伝が言う。
「夜は相手も動く」
「だからこそだ。昼は紛れられるが、夜は本性が出る」
その言葉には理があった。
昼の宿場は、人も荷も多すぎる。だが夜になれば、動く必要のある者だけが動く。裏の荷を運ぶ者、連絡を取る者、見張る者。そういう動きが表へ浮くはずだ。
一行はいったん宿へ戻り、夜を待つことにした。
そのあいだ、小夜は女中から「最近、表では商い荷に見えるのに妙に人の出入りが多い蔵がある」と噂を拾い、新九郎は賭場で「赤布を腕に巻いた男が二日前に宿場へ入った」と聞き出してきた。道賢もまた、人足頭から「表の荷に混ぜて、由来のある品が時折流れる」と教えられたらしい。
それぞれの得意分野が、少しずつ線を繋げていく。
夜が来た時には、宿場の賑わいも昼とは違う顔になっていた。酒の匂いが濃くなり、灯りが長く揺れ、通りを歩く者の声は低くなる。人はまだ多い。だが表の顔の陰で、別の流れが動き始める。
卜伝は宿を出て、裏手の細道へ向かった。
小夜は「ひとりで行かないで」と言ったが、全員で動けば逆に目立つ。今回はまず様子を見るだけだと押し切った。道賢も「短く済ませるなら一人のほうがよい」と後押しした。
裏手の空気は、表通りとは別の町のようだった。
蔵の影、捨てられた桶、土壁に沿う細道、灯りの届かぬ角。通りから半歩外れるだけで、宿場の賑わいが急に遠くなる。だが完全な静けさではない。どこかで木戸が鳴り、荷を引く音がし、話し声が低く交わされる。
卜伝は気配を殺して進んだ。
昼に見た一団が入ったあたりへ近づく。すると、蔵の陰に荷車がひとつあり、その脇に二人の男が立っているのが見えた。会話までは聞こえぬ。だが、見張りの立ち方だ。
その時、不意に背中へ冷たいものが走った。
視線。
敵意とまでは言わぬ。だが、こちらを量る目。
卜伝が振り向くと、細道の暗がりから、一人の若侍が姿を現した。
朝の木立で見た若侍とは別かもしれない。だが似た匂いがある。旅人とも、普通の浪人とも違う。身なりは整いすぎず、崩れすぎてもいない。腰の差し方が静かで、立っているだけで人を試している気配があった。
若侍は闇から半歩だけ灯りの縁へ出ると、卜伝の顔を見た。
そして、ごく自然な声で言った。
「鹿島の者だな」
そのひと言で、夜気が一段、張り詰めた。




