表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『剣聖・塚原卜伝 ――鹿島立ちの剣、戦国を渡る』  作者: 常陸之介寛浩 本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/60

第三十九話 由緒を欲しがる家

 小城下というものは、声の高さより、声の低さに本音が出る。


 大きな城下なら、人は人に紛れる。港町なら、喧騒が沈黙を隠してくれる。だが、この町は違う。道は広すぎず、人の顔は見えすぎる。だから皆、大きな声では余計なことを言わない。その代わり、ふとした低いひと言や、言葉の切れ目や、目を逸らす一瞬に、その土地の腹の内が滲む。


 小夜は、その“低い声”を拾うのが上手かった。


 この日も朝から別れ、一行はそれぞれの持ち場へ散っていた。新九郎は港寄りの荷役場と魚場の男たちの輪へ。道賢は関所と城下の境を行ったり来たりしながら、通る者の顔と荷を見ている。卜伝は、昨日見かけた印付きの小荷駄の筋を追うつもりでいたが、昼前に小夜が「先に聞いてほしい話がある」と言ってきた。


 場所は町外れに近い、小さな社の裏だった。


 大きな神社ではない。旅人がついでに手を合わせる程度の小さな社で、木の皮もはがれ、賽銭箱も色が落ちている。だが、こういう土地にはこういう場所が却って都合がいい。人目がないわけではないが、長居する者も少ない。


 小夜は先に来ていて、社の脇の石に腰を掛けていた。


 風に吹かれて髪が少し乱れている。だが表情は妙に冴えていた。何か、町の奥にあるものへ指をかけた時の顔だ。


「何があった」

 卜伝が問う。


 小夜はすぐには答えず、まず周囲へ一度だけ目を走らせた。それから、やや低い声で言った。


「この町、やっぱり“欲しがってる”わ」

「何を」

「由緒よ」

 小夜ははっきり言った。


 卜伝は、その言葉の重さをすぐには測り切れなかった。


「由緒」

「ええ。前の町で見えていたのは、由緒ある品を受け取る流れだったでしょう」

「はい」

「でもこの町では、もっと露骨に“家そのものが由緒を欲しがってる”」

「……」


 卜伝は小夜の顔を見た。


 こういう時の小夜は、話を急がない。相手がどこまで分かっていて、どこから順に言葉を置けば一番深く届くかを知っている。卜伝はそれを黙って待った。


「今朝、社の宮司筋の年寄りと話したの」

 小夜が言う。

「この町の外れに住んでる、もう半分隠居みたいな人」

「口は軽かったのか」

「軽くはない」

 小夜は首を振った。

「でも、“嘘が嫌いな顔”をしてた」

「それで?」

「近ごろ、この土地じゃ“由緒書”とか“古い系図”とか、“どこそこの伝来”みたいな話を欲しがる家が増えてるって」

「家」

「ええ」

「商人ではなく?」

「商人も噛んでる。でも欲しがってるのは、家。特に新しく力をつけた家や、もともと中くらいだったのに、この乱世で一段上へ出たい家」


 そこまで聞いて、卜伝は少しだけ分かった気がした。


 庄蔵が言っていた。

 由緒ある品が欲しいのは、骨董趣味だけではない。

 “家の顔”を作るためだと。


 小夜は、その先をさらに言葉にした。


「乱世って、力さえあればいいように見えるでしょう」

「……」

「でも、力だけで人は長く従わないの」

「そういうものか」

 卜伝が問う。


 小夜は頷く。


「力で従わせることはできる。でも、家を大きくしたいなら“顔”がいる」

「顔」

「この家は古い」

「……」

「この家には由緒がある」

「……」

「この家は、名のある流れを継いでいる」

「……」

「そういう“語れるもの”があると、人はそこに意味を見出すの。戦だけじゃない。縁組でも、主従でも、商いでも、見え方が変わる」


 卜伝は、その言葉を頭の中で何度か並べ替えた。


 剣で勝つこと。

 城を守ること。

 兵を持つこと。

 それだけでは足りない。


 それを“どういう家が持っているか”という顔まで要る。


 そういうものか、と卜伝は思った。自分は鹿島で育ち、剣の理を学び、人を見て、間を知り、強いか弱いかで相手を測ることに慣れてきた。だが世は、剣の腕だけでは回らぬ。顔も、語りも、由緒も、また力なのだ。


「宮司筋の年寄りは」

 小夜が続けた。

「露骨には言わなかった。でも、“近ごろは金よりも先に、古い名を欲しがる者がいる”って」

「金より先に」

 卜伝が繰り返す。


「ええ。金はあとからついてくる。兵もあとからついてくる。でも、“この家は元からそれなりの家だった”って顔は、金だけじゃ作りにくい」

「だから買うのか」

「そう」

 小夜は言った。

「由緒書や古箱や、古い兵法書や、そういうものを」

「……」

「本物ならなおいい。偽物でも、それらしく見せられるなら構わない」

「胸糞悪いな」

 いつの間にか来ていた新九郎が、背後から言った。


 小夜は振り向きもせずに返す。


「でしょうね」

「お前ら、難しい話してんな」

「盗みの先の話よ」

「分かってるよ」

 新九郎は社の柱へもたれた。

「で、その“由緒欲しがり”は誰だ」

「名はまだはっきりしない」

 小夜が言う。

「でも、増えてるらしい」

「一人じゃねえのか」

「ええ。一人じゃない」

「……」

「そして、それを商いにしてる者がいる」

「真壁か」

 新九郎が言う。


 小夜は少しだけ目を伏せ、それから答えた。


「真壁“だけ”じゃない。でも真壁は、その流れの要にいる」

「要」

 卜伝が低く言う。


「ええ。欲しがる家は複数ある。御用商人も複数いる。流す道もいくつかある。でも、それがちゃんと“届く形”になってるなら、どこかでまとめてる者がいるでしょう」

「真壁だな」

 新九郎が吐き捨てるように言う。


「たぶん」

 小夜は頷く。

「少なくとも、あの男は“欲しがる側の顔”をよく知ってる」

「だから、箱や書をそのままじゃなく、由緒ごと売ってる」

 卜伝が言う。


 小夜は、その言葉に少しだけ目を細めた。


「そういうこと」

「……」


 卜伝は、胸の中で静かな怒りがまた沈んでいくのを感じていた。


 鹿島の兵法書や箱が奪われた時は、まず“盗られた”と思った。

 だが今は違う。

 あれらはただ失われたのではない。

 誰かが、自分の家の顔にするために欲しがっている。


 それは、ただの盗みよりずっと悪質だった。


 力を得るために人を斬る。城を奪う。金を集める。そういう露骨な欲なら、まだ正面から見える。だが、古い名や由緒まで欲しがるとなれば、それは自分の身の丈を越えた顔を、他人の積み上げたものから買うということだ。


 卜伝には、それがひどく卑しく思えた。


「剣で立てた家なら」

 卜伝がぽつりと言った。

「剣で立てたまま背負えばいい」

「そう思うでしょう」

 小夜が言う。

「私もそう思う」

「なら」

「でも、そうは思わない人間が多いのよ」

 小夜の声は静かだった。

「剣で立てた顔を、書や箱や由緒で塗り固めたいの」

「……」

「そうすれば、自分たちの力が“最初から正しかった”みたいに見せられるから」


 新九郎が鼻を鳴らした。


「結局、見栄か」

「見栄よ」

 小夜は言った。

「でも、乱世の見栄は人を殺す」

「分かる」

 新九郎が言う。

「そういう見栄のためなら、荷も人も黙らせるだろうな」

「ええ」


 そこで道賢が、社の裏からゆっくり現れた。


 最初からそこにいたのか、途中から来たのか、よく分からない現れ方だった。いつものことだが、この坊主は時々本当に気味が悪い。


「聞いておったか」

 新九郎が言う。

「半分はな」

 道賢が平然と返す。

「便利な言葉だなおい」

「便利なものは使う」

「本当に腹立つ坊主だ」


 道賢は社の古びた柱を見上げ、それから四人のほうへ向き直った。


「名を欲しがる家、か」

「ええ」

 小夜が言う。

「増えてるそうよ」

「だろうな」

 道賢はあっさり言った。

「乱世では、昨日まで何者でもなかった者が、明日には城持ちになることもある」

「……」

「そういう時、一番足りぬのは金でも兵でもない。昔からそこにいた顔だ」

「だから買う」

 卜伝が言う。

「そうだ」

 道賢は頷く。

「そして、そういうものは金だけでは手に入らぬ。本物らしく見せ、納得させ、欲しがる者へ渡す者がいる」

「真壁」

「あるいは真壁の流れだ」

 道賢は言った。

「お前さんらが今追っておるのは、盗人の背だけではない。乱世で“名を買う”者たちの欲そのものだ」


 その言葉で、卜伝の中で何かがさらに定まった気がした。


 敵の輪郭が、前よりはっきりする。


 真壁を追う意味がまた一段重くなる。


 すると小夜が、少しだけ声を落として言った。


「それと、もう一つ」

「何だ」

 新九郎が問う。


「その年寄りが言ってたの」

 小夜は答える。

「近々、この土地のある家で、小さな祝いの席があるらしいって」

「祝い?」

 卜伝が問う。

「ええ。表向きはただの宴」

「ただの、ね」

 新九郎が鼻を鳴らす。

「でも?」

「でも、その場で“由緒ある品”が人前に出されるかもしれない」

「……」

「つまり」

 道賢が低く言った。

「買った名を、披露する場になるやもしれぬな」

「ええ」

 小夜は頷いた。


 社の周りを風が抜けた。


 古びた鈴が小さく鳴る。


 その音を聞きながら、卜伝は静かに思った。


 ここから先は、盗まれたものを追うだけではない。

 “誰がそれを自分の顔として飾ろうとしているのか”を見なければならない。

 そして、それが人前へ出るなら、その瞬間は大きな継ぎ目になる。


 小夜は、そういう継ぎ目を見つけるのが本当に上手い。剣を持たぬくせに、戦の始まる場所をよく知っている。卜伝は、そう思うと少しだけ小夜の横顔を見た。


 小夜は気づいたらしく、すぐにこちらを見返した。


「何」

「いえ」

「何か言いたい顔」

「あなたは、よく見ています」

「知ってる」

 小夜は平然と言った。

「今さら?」

「……今さらです」

「でしょうね」


 新九郎が吹き出す。


「お前ら、最近そのやり取り好きだな」

「好きでしてるわけじゃない」

 小夜が言う。

「見えてることを言ってるだけ」

「十分好きそうに見えるが」

「黙って」

「はいはい」


 道賢はそのやり取りを見ながら、少しだけ笑ったようだった。


 だが次の言葉は真面目だった。


「では、その宴までに」

「ええ」

 小夜が頷く。

「どこから品が入るのか」

「誰が見せたがっているのか」

 卜伝が続けた。

「そこを押さえる」

「そうだな」

 道賢が言う。


 海沿いの風は、町へ戻る頃には少し冷たくなっていた。


 由緒を欲しがる家。

 名を飾るための宴。

 真壁の流れは、もうただの裏取引ではない。

 人前へ出て、顔になるところまで来ている。


 卜伝は歩きながら、自分の中の怒りが少し変わってきているのを感じていた。


 熱いだけではない。

 冷たく、深く、理屈を持ち始めている。


 それは剣にとって、悪い変化ではないはずだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ