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戦国異聞伝『塚原卜伝 ――鹿島立ちの剣、戦国を渡る』  作者: 常陸之介寛浩㊗️オリコン週間ランキング9位㊗️


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第三話 勝つ剣と、生き残る剣

夜が明けても、鹿島の空気は静まりきらなかった。


 社家町の表通りはいつも通りの顔をしている。朝になれば参詣の者は来るし、神宮へ仕える者たちは決められた務めを果たす。井戸端では水を汲む音がし、台所からは味噌の匂いが流れ、森の鳥は昨日までと変わらぬ声で鳴く。


 だが、人の目だけが違った。


 何かがあった、と知っている目だ。


 それを口に出す者は多くない。けれど、昨夜の騒ぎを聞きつけた者、灯りの動きを見た者、社家の男衆が慌ただしく出入りしていたのを目にした者はいる。知らぬふりをしていても、空気は隠せない。


 卜伝は、その朝もほとんど眠れていなかった。


 布団に入っても、目を閉じるたびに夜の刃が浮かぶ。最初の一人に踏み込んだ時の手応え。二人目の刃が頬の前を走った風。足元を切りに来たあの低い一撃。蔵の奥で木が軋んだ音。そして、追えると思ったところで追いきれなかった悔しさ。


 剣を抜いたことは悔いていない。


 手が遅れたとも思わない。


 だが、守れなかった。


 敵を倒したのに、守るべきものは奪われた。その事実だけが、夜明けからずっと腹の底で燻っていた。


 朝の冷えがまだ残るうち、卜伝は一人で稽古場へ出ていた。


 誰かが来る前の庭は静かだった。踏み固められた土は昨夜の湿りを少し残し、木太刀の打ち合う音も、門弟たちの笑い声もまだない。森の梢を渡る風だけが、低く鳴っている。


 卜伝は木太刀を握り、構えた。


 誰もいない庭に向かって、一打。


 踏み込みは深い。打ち込みは速い。


 二打。


 三打。


 木太刀が空を切る音だけが乾いて響く。


 相手がいないからこそ、余計に分かることがある。昨夜の自分の動きが、ひとつひとつ頭の中に浮かぶ。一本目を崩しに行った時、もう半歩抑えていれば。二人目の位置を見る前に、蔵の裏を意識していれば。最初から相手の数が二ではないと決めていれば。


 だが、すべて後から言えることだ。


 実際の夜、実際の刃の前では、そんなふうに綺麗には並ばない。


「木太刀が可哀想だな」


 不意に背後から声がした。


 卜伝は振り返らなかった。その声はよく知っている。


「おはようございます」

「挨拶はよろしい。今のお前は、挨拶より先に腹の中を吐き出したほうがよい顔をしておる」


 師筋の老人は、ゆっくりと庭へ入ってきた。背はもう若い頃ほど真っ直ぐではないだろう。だが、立つと自然に場が締まる。木太刀すら持たぬのに、この老人の前では不用意に動けぬと思わせるものがあった。


 卜伝は木太刀を下ろし、黙って一礼した。


 老人はそれを受けるでもなく、庭の中央あたりで足を止める。


「眠れたか」

「いいえ」

「そうだろうな」

「……」

「悔しかったか」

「はい」

「どれほどだ」

「今すぐ追いたいほどに」

「追ってどうする」

「取り返します」

「誰から」

「昨夜の賊から」

「賊を斬れば、盗まれたものは勝手に戻るか」

「……」

「戻らぬだろう」


 言葉がひとつずつ、静かに落ちてくる。


 怒鳴るでもない。責め立てるでもない。だが、曖昧な答えを許さぬ声音だった。


 卜伝は唇を引き結んだ。自分でも、追ってどうするのかをまだうまく言葉にできていない。追い詰めたい。倒したい。奪われたものを取り戻したい。その全部がある。だが順が定まらぬ。悔しさが先に立っている。


 老人は卜伝の顔を見て、ふっと鼻を鳴らした。


「若い顔だ」

「昨夜もそう言われました」

「そうだろう。若い者は大抵、負けるとそういう顔になる」

「負けてはいません」

「ほう?」


 そこで初めて、老人の片眉がわずかに上がった。


 卜伝は自分でも少し意地になっていると分かりながら、言い切った。


「斬り合いで遅れは取りませんでした」

「では勝ったのか」

「……敵は退きました」

「盗まれたものは」

「奪われました」

「蔵は」

「荒らされました」

「ならば、お前は何に勝った」


 返せない。


 木太刀を握る手に、じわりと汗が滲んだ。


 老人は歩み寄りもせず、その場で続ける。


「剣で相手を打ち負かすことと、事を収めることは同じではない」

「分かっています」

「分かっておらぬ」

「……」

「分かっておる者は、自分で“負けていない”とは言わぬ。勝ったか負けたかを決めるのは、相手を打った回数ではない。何を守れたかだ」


 その言葉は、昨夜から胸に刺さっていた痛みの形を、そのまま名前にした。


 何を守れたか。


 守るべきものは奪われた。敵は逃げた。ならば、負けだ。


 卜伝はようやくその言葉を、自分の中で認めざるを得なかった。


「……はい」

 小さく答える。


 老人は頷きもしなかった。ただ少し間を置いてから、さらに言った。


「お前は勝つ剣しか知らぬ」

「勝つ剣」

「一人を倒す剣だ。目の前の敵を崩し、打ち、ねじ伏せるには足る。だが世の中は、それだけでは済まぬ」

「昨夜のように」

「そうだ。二人、三人、裏の手、囮、逃げ道、狙いの違い。人を守る時、物を守る時、時を稼ぐ時、退く時。剣は一本でも、用はいくつもある」

「……」

「お前は強い。だが強いだけでは足りぬ」

「では、何が足りぬのです」

「生き残る剣だ」


 その言葉は、勝つ剣よりもなお重く聞こえた。


 卜伝は眉を寄せる。


「生き残る……」

「相手を倒して終わりではない。自分も味方も守り、事を先へつなぐ剣だ。時には勝ちきらぬことも要る。引かせるだけで足りる時もある。斬るより先に見抜くべき時もある」

「それでは、剣ではなく……」

「剣だ」

 老人はきっぱり言った。

「むしろ、その先にようやく本当の剣がある」


 朝の風が森を鳴らした。


 卜伝は木太刀を握ったまま、何も言えずにいた。分からぬのではない。分かる。分かるからこそ苦しいのだ。


 これまで、自分は強くなることだけを考えてきた。誰より早く打ち込み、誰より深く入り、誰より先に相手の機を取る。それは間違っていなかったはずだ。実際、それで負けてこなかった。


 だが昨夜、その剣は足りなかった。


 勝つことと、生き残らせることは違う。


 倒すことと、守ることは違う。


 その違いを、卜伝は初めてはっきり突きつけられていた。


 老人はようやくゆっくりと歩み寄ると、卜伝の持つ木太刀の先を指先で軽く押した。


「木太刀を振れ」

「今ですか」

「今だ」

「何を」

「わしへ」


 卜伝は一瞬ためらったが、老人の目に冗談はなかった。息をひとつ入れ、半歩下がって構える。


 そして踏み込んだ。


 速く、鋭く。今の自分が出せる最短の打ち込み。


 だが、次の瞬間には木太刀の先が空を切っていた。


 老人は半歩も大きく動いていない。ただ体の芯をわずかに外し、卜伝の入りを流しただけだった。そのまま卜伝の手首へ、木太刀も持たぬ老人の指先がぴたりと触れる。


「……っ」

「死んだな」

「まだです」

「ほう」


 悔しさが先に立ち、卜伝はすぐ二の太刀へ移った。今度は変化をつける。正面へ入ると見せて脇へ滑り、足を止めずに横へ回る。だが老人はまた、最小の動きだけでそれを外し、今度は卜伝の喉元に手を置いた。


「二度死んだ」

「……」


 呼吸が乱れる。


 木太刀を振っているのはこちらなのに、動きを読まれている感覚が強すぎる。しかも老人は、圧倒的な速さでねじ伏せてくるのではない。ただ、こちらが「ここだ」と思ったところに、もういない。


「今のは何だと思う」

「見切り……ですか」

「半分だ。もう半分は、お前が勝ち急いだ」

「勝ち急いだつもりは」

「ある。お前は“当てたい”のだ。だから当てるための道筋ばかり太く見える。だが、生き残る剣は逆だ。外すための道筋も同じだけ見る」

「外す」

「そうだ。相手の勝ち筋を潰し、自分の負け筋を減らす。勝つ剣は前へ行く。生き残る剣は、前へも引き際へも目を向ける」

「……難しい」

「当たり前だ。だから旅に出る者がいる」


 旅。


 その言葉に、卜伝は顔を上げた。


 老人はそこでようやく木太刀から指を離し、森の方角を見る。


「鹿島にいれば、鹿島の者としか手合わせできぬ。鹿島の理の中でしか戦えぬ。だが外へ出れば、剣の違う者、卑怯な者、群れる者、逃げる者、守る者、使う者――いくらでもおる」

「外へ……」

「昨夜の連中も、鹿島の外を知っておる顔だった」

「はい」

「ならば、お前が鹿島の中だけで答えを探しても足りぬ」


 卜伝の胸の奥で、何かが少しずつ形を持ち始めていた。悔しさと、怒りと、まだ名のつかぬ火のようなものが、一つにまとまろうとしている。


 そこへ稽古場の外から、小夜の声がした。


「入ってもいい?」

「好きに入れ」

 老人が答える。


 小夜はいつものように遠慮なく庭へ入ってきたが、その表情はやはり昨日までとは違っていた。眠れていないのは彼女も同じらしい。けれど目の冴え方はいつも以上で、頭の中ではもう色々なことを繋ぎ終えている顔だった。


「朝から鍛えられてるわね」

「見世物ではない」

 卜伝が言うと、小夜は肩をすくめる。

「見世物じゃないから見に来たのよ。話があるの」


 老人は小夜の顔を一度見ただけで、すぐに察したらしかった。


「蔵の件か」

「ええ」

「なら話せ。こやつの耳にも入れてよい」


 小夜は頷き、卜伝のほうへ向き直った。


「昨夜盗まれた兵法書のこと、あなたはどこまで聞いてる?」

「古い書の一部だと」

「それだけじゃないわ。あれは、ただ古いだけの書じゃない」


 卜伝は黙って続きを待った。


 小夜は言葉を選ぶように一拍置き、それから声を抑えた。


「鹿島に伝わる兵法の覚え書きのうちでも、表立って人に見せない類のものよ。秘伝そのものとまでは言わない。でも、どの家がどう継ぎ、どこに何が残り、何が欠けているか――そういう“道筋”が分かる」

「道筋……」

「ええ。書そのものに全部が書いてあるわけじゃない。けれど、知っている者が見れば、どこに何があるか、誰が何を持つか、見当がつく」

「なら、昨夜の連中は」

「最初からそれを狙ってたのでしょうね」


 朝の光が、少し強くなっていた。木々の間から差すそれが庭の土を照らしているのに、小夜の話は逆に場を冷やした。


 ただの盗人ではない。


 しかも、偶然蔵へ入ったのでもない。


 最初から狙いを定め、必要なものだけを取った。


「そんなものを、なぜ狙う」

 卜伝が問う。


 小夜は卜伝を見たまま、静かに答えた。


「複数の家が目をつける類のものだからよ」

「複数の家?」

「武家。あるいは武に連なる家。兵法を欲しがる家。由緒を欲しがる家。鹿島の名そのものを欲しがる家」


 卜伝は目を細めた。


「兵法書ひとつで、そこまで」

「ひとつではないの。兵法書は、ただの紙切れじゃない。どの家が、どの土地が、どの伝えを継いでいるか。その証にもなる。乱世で何かを名乗る時、そういうものは思った以上に重いのよ」

「なら箱も」

「ええ。中身まではわたしも詳しく知らない。でも、由緒のある品だということは間違いない。持つこと自体に意味があるものなのでしょう」


 卜伝は昨夜、賊が抱えていた包みの形を思い出した。大事に抱えるように持っていた。壊せぬもの、傷つけたくないものだったのだろう。


 老人がそこで低く言った。


「つまり、これは鹿島の外とつながる話だ」

「はい」

 小夜は即答した。

「中で片づく話ではなくなったと思う」


 卜伝はその言葉を聞きながら、自分の中でほとんど答えが決まりつつあるのを感じていた。


 鹿島の外。


 昨夜の賊。


 盗まれた兵法書と箱。


 複数の家が目をつけるもの。


 そして、鹿島の剣を外へ出すなというあの言葉。


 もし相手が外から来たのなら、追う先も外だ。


 鹿島の中で手をこまねいていても、消えたものは戻らない。待っていれば話が閉じる類ではない。むしろ待つほど、相手は遠くへ行く。


「追うしかない」

 卜伝は言った。


 小夜はその言葉を待っていたように、わずかに顎を引いた。


「そう思う」

「誰が」

「あなたが、よ」


 卜伝は当然だという顔をしたつもりだった。だが、小夜はそこで少しだけ皮肉っぽく笑う。


「でしょうね。そういう顔をしてる」

「他に誰が行く」

「行ける人がいない、とは言わない。でも、昨夜の連中と刃を交えたのはあなた。言葉を聞いたのもあなた。何より――」

「何より?」

「あなた、自分で行かないと気が済まないでしょう」


 返答に困る言い方ばかりする女だ、と卜伝は心の中で思った。だが、その通りでもある。


 自分の手の届くところで奪われた。


 自分の前で逃げられた。


 それを誰かに任せて座って待てるほど、器用に出来てはいない。


 老人は腕を組み、卜伝を見た。


「行けば、鹿島の外を知ることになる」

「はい」

「お前の剣がどれほど通じ、どれほど通じぬかも知る」

「はい」

「それでも行くか」

「行きます」


 答えはもう早かった。


 自分でも驚くほど迷いがない。いや、迷いはある。鹿島を出ることの重さも分かる。だが、それ以上に、出ねばならぬ理由が目の前にある。


 老人はようやく、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「なら、ようやく話になる」

「許していただけるのですか」

「許すも許さぬもない。若い者が、未熟のまま中だけで澄ましているほうが見苦しい」

「……」

「ただし、覚えておけ。旅は稽古場ではない。向こうはお前の一本を受けて褒めてはくれぬ。勝てぬ時もある。相手が一人とは限らぬ。飯も、寝床も、道も、人も、何もかもがお前の思い通りにはならぬ」

「承知しています」

「しておらぬ顔だ」

「……これからします」


 老人は鼻で笑った。


「正直なのはよい。だが正直なだけで死ぬな」

「はい」


 小夜がそのやり取りを見ながら、ふっと息をつく。


「話が早いのは助かるわ」

「助かる?」

 卜伝が問う。

「ええ。あなたが行くなら、話が先へ進むもの」

「……」

「どうしたの、変な顔して」

「まだ、あなたに頼んでいません」

「頼まれなくても言うわよ」


 小夜はまっすぐ卜伝を見た。


 その目に、昨夜の不安とも、今朝の張りつめた知性とも違う、別の強さが宿っていた。


「なら、わたしも行く」


 一瞬、森の音が遠のいた気がした。


 卜伝は思わず聞き返す。


「何を」

「だから、あなたが鹿島の外へ行くなら、わたしも行くって言ってるの」

「何を言っているのです」

「聞こえたでしょう」

「聞こえたからこそ言っています」

「失礼ね」


 小夜は眉を上げた。


「あなた一人で外へ出て、兵法書のことも、社家筋のことも、相手が何を狙っているかも、全部分かると思ってるの?」

「それは……」

「分かるわけないでしょう」

「だが」

「だが、何」

「危ない」

「昨夜、社の裏まで来ておいて今さら言うこと?」


 それを言われると弱い。


 卜伝は口を閉じた。小夜はそこで畳みかけるように続ける。


「わたしは書のことを知っている。社家筋の人のつながりも、多少は知ってる。鹿島の外にだって、話を聞ける相手がいないわけじゃない。何より、相手が何を欲しがるかを考える頭は、あなた一人より役に立つ」

「剣は振れません」

「振れないわね」

「なら」

「誰が振れないと役に立たないって決めたの?」


 ぴしゃりと言い切られ、今度は卜伝が黙る番だった。


 確かに、昨夜も彼女はただ助けを呼びに走っただけではない。気配を読んだのは彼女が先だったし、今こうして話を広げているのも彼女だ。剣が振れぬことと、役に立たぬことは違う。


 だが、分かるのと認めるのは別である。


「危険だ」

「危険なのは分かってる」

「なら」

「だから行くのよ。鹿島の中だけで済まない話だって、今あなたも思ったでしょう?」


 その言葉は、卜伝の胸の中で固まりつつある決意を、逆から支えるようだった。


 老人は二人のやり取りを面白がるでも止めるでもなく、ただ見ていたが、やがてぽつりと言う。


「一人で行けば見えぬものも、二人なら見えることがある」

「師まで」

 卜伝が顔を向ける。


 老人は肩をすくめた。


「何だ。お前は剣だけで世を越えるつもりか」

「……」

「それこそ若い」


 小夜がわずかに勝ち誇った顔をしたのが、少し腹立たしい。


 だがその腹立たしさの奥で、卜伝は別のことも感じていた。


 昨夜、目の前の刃に気を取られ、その裏の手を見落とした。


 今朝、老人に言われた。お前は勝つ剣しか知らぬと。


 ならば、自分に足りぬところを埋めるものが要るのかもしれない。剣ではなく、目。耳。人のつながり。話を拾う力。気配の違和を言葉にする力。


 そう思った時、旅というものの形が、ほんの少しだけ現実味を帯びた。


 一人で走るのではない。


 外へ出て、知らぬものを知る。


 そのための旅だ。


 小夜は卜伝がすぐには言い返さないのを見ると、静かに言った。


「決まりね」

「まだ決まっていません」

「決まるわよ」

「なぜそう言い切れるのです」

「あなたが、一番それを分かってる顔をしてるから」


 卜伝は、そこでとうとう言葉を失った。


 朝の鹿島はもうすっかり明るい。森の緑も、社の屋根も、空も、何もかも昨日までと同じように見える。だがその同じ景色の中で、自分の立つ場所だけが少し変わった気がした。


 鹿島の中に留まるだけでは足りぬ。


 勝つ剣だけでは足りぬ。


 奪われたものを追い、相手の狙いを知り、自分の剣の足りなさを埋めるには、外へ出るしかない。


 その道の最初に、小夜が立っている。


 あまりに当然の顔で。


 まるで最初から、そうなると知っていたかのように。


 卜伝は木太刀を握り直した。先ほどまでの迷いとは違う熱が、胸の内で静かに燃え始めていた。


 悔しさは消えていない。


 むしろ、形を得て強くなっている。


 だが今はその悔しさが、ただの苛立ちではなく、前へ踏み出す火になりつつあった。


 鹿島の朝風が、三人のあいだを抜ける。


 老人はそれを受けながら、低く笑った。


「さて。ようやく若鷹が巣の縁に立ったか」


 卜伝はその言葉に答えなかった。


 まだ飛んではいない。


 だが、飛ばねばならぬ空があることだけは、はっきり見えていた。

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