触れた
最初は、ただ変な光景だと思った。
白い死体袋が、立っていた。
誰かが立てかけたまま忘れたのだろう、そう考えた。
だが次の瞬間、それが上下に跳ねた。
ドン。
ドン。
床に響く音は重く、鈍い。
走るわけでも、倒れるわけでもない。
袋は直立したまま、同じ場所で跳び続けている。
「……何だよ、これ」
周囲は騒がしく、誰かが無線で叫んでいた。
だが、なぜか目が離れなかった。
中身は見えない。
破れてもいない。
ただの袋だ。
だから、触ってしまった。
指先が、ビニールに触れた瞬間——
世界が傾いた。
足元が抜けた感覚。
頭の奥が締めつけられ、視界がぐにゃりと歪む。
息がうまく吸えない。
「っ……」
胃がひっくり返る。
吐き気が一気に込み上げ、喉が熱くなる。
冷や汗が背中を流れ落ちた。
怖い、とは違った。
逃げたいとも思えない。
ただ、気持ちが悪い。
身体が、ここにいること自体を拒否している。
「触るな!」
誰かに腕を掴まれ、強引に引き離された。
その拍子に膝から崩れ落ちる。
床が揺れている。
いや、自分が揺れているのか。
視界の端で、死体袋はまだ跳ねていた。
さっきより、少しだけ動きが荒い。
「大丈夫か!?」
声が遠い。
耳鳴りがして、言葉がうまく頭に入らない。
吐き気が収まらない。
心臓が、やけに速く打っている。
そのとき、低い声が聞こえた。
「……だから、触るなと言った」
顔を上げると、知らない服装の男が立っていた。
落ち着き払った目で、死体袋を見ている。
「な、なんなんだよ……あれ……」
男は答えなかった。
ただ、誰かに向かって言う。
「符は効かぬ。
ここは、陰が濃すぎる」
意味は分からない。
だが、その直後、床に白い粒が撒かれた。
カラカラ、と乾いた音。
すると——
死体袋の跳ねるリズムが、少しだけ狂った。
それを見た瞬間、背筋が冷えた。
触れてはいけないものだった。
理由は分からない。
理屈もどうでもいい。
ただ一つ、はっきりしたことがある。
——あれは、生きていない。
——そして、近づいた人間を許さない。
誰かが言った。
「一般人は下がれ!」
その言葉に、心の底から同意した。
もう二度と、
あの袋には触れない。




