第九話 彗星と地球(最終話)
すっかり暗くなった夜空の下で大の字に寝転ぶ二人は、いつの間にか思い出話に耽っていた。
地球最後の夜。寂しく響く虫の声。あまりにノスタルジックなその情景が、そうさせたのだろう。
「蒼生、気づいたらすげえでかくなってたよな。昔は、背の順で一番前だったのに」
「昔は女の子より女の子みたい、って、いじめられてたなあ」
「あいつら、蒼生が可愛すぎて関わりたかっただけだろ。何なら好きだったまであるな」
「……彗、それ、昔も同じこと言ってたよ?」
彗はがばっと顔を蒼生に向ける。
「え、マジ?」
「マジ。『蒼生のこと好きだからそうやってちょっかい出すんだろ!』って。……ちなみに、続きもあるけど、覚えてない?」
蒼生の目は悪戯に光り、口元は含み笑いを湛えていた。
「いや、……もうやめようぜ」
薄っすらと記憶の蘇ってきた彗は、照れくさそうに目を逸らしてぶっきらぼうに言った。
「『蒼生の一番は俺だから諦めろ』だったかな?」
「ああ!!! やめろって言っただろ、お前……!!!」
幼い自分の気障な言動に居た堪れなくなった彗は、じたばたと足を動かしていた。
「……でも、嬉しかった」
そんな彗を横目に、蒼生は優しく目を細める。
そのまま二人は、空が白んでくるまで、短く長い十七年間の思い出を語らい続けた。
それは幼き日々の懐古であり、止まったままの時間を繋ぎ合わせる作業でもあった。
◇
ついに日が昇ってきた。これが、最後に見る太陽になるのだろう。
夜通し語り続けた二人は、相変わらず大の字に寝転んだまま、その光をただ黙って見つめていた。
「蒼生はさ、……俺のこと嫌いにならなかったの」
不意に、彗が尋ねた。
「……クリスマスのは、さすがにすごい傷ついたけどね。でも、彗が心の底からは思ってないって、分かってたから。……それにね、」
蒼生は視線を空から彗に移して微笑んだ。
「やっぱり、彗は特別なんだよ」
その優しい笑顔に、彗の瞳にはじわじわと涙が滲み始めた。
少しだけ震える声で、また尋ねる。
「お前は、……俺をまだ、親友と思ってくれるか?」
蒼生の目は、彗を見つめたまま、僅かに揺れていた。
その視線を再び空に戻してから、小さく息を吸い、そして空に向けて吐いた。
「…………当たり前だよ。彗は、僕の親友だ」
そう答えた蒼生の目からも、一筋涙が溢れていた。
◇
太陽が完全に昇るにつれ、どんどんと暑くなってきた。
おそらく、太陽のせいだけではない。
ポローニャ彗星の火球が近づいているからなのだろう。
二人はパーカーを脱ぎ、Tシャツ一枚になっていた。
いよいよ、終焉の時だ。
この土壇場で、奇跡的に真の力が目覚めやしないかと、彗は天に向け手をかざすが、空は変わらずにそこにあるだけだった。
「やっぱ、ダメか。真の力ってのは結局、何だったんだろな」
「……今更だけどさ、”星の子”の予言って、彗星の衝突を止められるとは、一言も言ってないよね」
蒼生の言う通りだった。
「2053年10月15日、軌道を外れた彗星が衝突し、地球は滅亡する」。
「"星の子"が真の力に目覚めれば、彗星と地球は共に在り続ける」。
「"星の子"は、2035年7月7日生まれ、イニシャルはK.K、首に星型の痣を持つ、黒髪の男子である」。
予言の内容は、それ以上でも以下でもなかった。
「おい、どういうことだ!?」
彗はがばっと起き上がる。
「僕にも分かんないけどさ。『彗星と地球は共に在り続ける』ってのは、文字通り、彗星と地球が一緒にいるってことでしかないんじゃない?」
「いや、でも、……衝突したら彗星も地球も、なくなるんじゃないのか?」
「生物は、全滅だろうね。でもきっと、星が完全に消滅するわけじゃない。残った部分が、また新しく星になるのかもしれない」
蒼生に向けて身を乗り出していた彗は、その言葉を聞くや、脱力したように再びどさりと地面に横たわった。
「おいおい……そりゃ何千万年後の話だ? しかも、人類には関係ねえじゃん。俺はそんなことのために、世界中から吊るし上げられてたのかよ!?」
「僕は悪くない話だと思ってるよ。……たとえ、何億年後だとしても、ね」
蒼生は真剣な表情をしていた。
「彗星と地球は共に在り続ける」。
その予言の解釈について、本当は、蒼生の頭にはもう一つの仮説があった。
しかし、祈りにも似た果てしもないそれを、彼が口に出すことはなかった。
徐々に周囲には、強く生ぬるい風が吹き始めた。暑さも先ほどより増している。
ごうごうという地鳴りのような重低音が、空から聞こえてくる。これまで生きていて聞いたことのない、不気味な音だった。
「……いよいよ、か」
彗は横たわったまま、空を見上げた。
「彗。僕、一つだけ嘘を吐いた」
隣で同じように横たわる蒼生は、そう言うとゆっくり視線を彗に向けた。
虚を突かれた彗も口を軽く開けて、蒼生の方を見る。
「僕は、彗を――――」
蒼生の唇がゆっくりと動いた。
空から降ってくる轟音は次第に大きくなり、蒼生の声を掻き消したが、きっと彗の耳には届いていたのだろう。
大きく目を見開く彗をよそに、蒼生は満足げに天に向けて伸びをして、”やりたいことリスト”の最後の一文を、一文字ずつ消した。
「彗、新しい地球で、また会おうね」
彗が最後に聞いたのは、蒼生のその優しい声だった。
彗が最後に見たのは、晴れやかに笑う蒼生の顔と、この星のように蒼く澄んだその瞳に映る、泣きそうに笑っている自分の姿だった。
2052年10月15日 午前9時17分。
ポローニャ彗星は予言通りに地球に衝突し、地球上の人類は、完全に滅亡した。
◇
そこから何億年、いや何十億年が経過しただろうか。
核のみとなった彗星と地球は、軌道を変えて回り続け、いつしか共通の重心を軸として軌道運動をする、双子星となった。
旧地球の生命の9割は死滅したが、地中に残されたわずかな微生物は、その荒廃した星で、新たな生命の歴史を切り拓いた。
長い時間をかけて、旧地球にいう”人類”が、再び誕生し、その星で再び新しい文明を築き上げていった。
グレゴリウス暦の用いられていないその文明で、その日が何月何日に当たるのかは分からない。
天に綺麗に銀河系が見えたその日、ある夫婦の元に、黒髪の男の子が生まれた。
その赤子の首筋には、星型の痣が小さく瞬いていた。
完
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本作は本話にて完結となります。
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