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エバンズの庭で待っている

小さな報告会と会議があってまた数日後のこと。

前当主夫妻が植えたクンイソウが誇らしげに咲く、時折やわらかい風が通る庭のガゼボ。緑豊かな領地の中にある、エバンズ伯爵邸の隅。

そこに、花々と似た色のドレスをまとう娘が座っていた。僅かにも動かない顔に小ぶりで筋の通った鼻、つんとした上唇、重たそうなほどのまつげをたたえた目がおさまっている。

「本当に一点を見つめて黙っている……」

「やっぱり……微動だにしなくて怖いですよ……」

そして、それを二人の男が陰から見ていた。

「あれは……何をしてるんですかね」

片方の男、ラフな訓練着と軽い防具を身につけたジャルダンが疑問に思い、口にした。

「さぁね」

もう一人、動きやすい普段着のライナーが返答する。

視線の先にはヘレネがいる。彼女はただ飾られているように、置かれているように、あるいは何かを待っているようにそこに座っていた。控えめに広がった裾や二つに結って垂らした髪を風が揺らしていくが、彼女の四肢はぴくりともしなかった。時折する瞬きで、かろうじて生きていることがわかる。

「私が思うに、彼女はお人形としてふるまってるんじゃないかって」

「お、お人形ですか」

「みんなの話を聞いてね」

支度のとき鏡を見ない。飾りや装いを侍女に任せ、それを着せ替えと呼ぶ。天蓋付きのベッドをしまってもらえる箱と言う。食事はとらず、勧められてやっと食べるふりをする。

「つまり、気が……えー、心を病まれているってことですか」

よく踏みとどまったね、という意味を込めてライナーが肩を叩く。ジャルダンは貴族ではない。

「かなぁ、と考えてる」

「じゃああの、かなり昔に言われてたじゃじゃ馬って話は、外に出さないのを怪しまれないための嘘ってこと……」

「可能性はある」

望んだ正常なかたちでない子どもは隠される。「病弱で外に出られない」というのもよく使われるが、表に出さずに済ませられるなら内容はなんでもいいのだ。たとえば、10を過ぎてもままごとばかりしているおかしな娘だと周囲に勘付かれなければ。

「……噂だけどさ。もしかしたら、魔力量が多いアピールをしておこうって思惑もあるかもね。体が弱いって話すよりは」

「うわあ……」

ジャルダンが顔をしかめる。うちの若様、じゃない当主様はそんな家からあれを押し付けられたってわけかよ。言葉にはなっていないそれをわかっているかのようにライナーは眉を下げ、「もしかしたらだよ」と小さい声で続けた。

「だとしても彼女が悪いわけじゃないんだから」

それだけ言うとライナーは物陰を出た。



「こんにちは、ヘレネ嬢」

「まあ。ご主人様、遊びにいらしたの」

一言めで頭に小石が飛んできたような心地になって、ライナーは瞼をきゅっとおろしてほんのわずかにのけぞった。ジャルダンが片手で背中を支える。

「ご主人様って私のことかい」

「ええ、このお屋敷の」

「そう……ですね。私がこの屋敷の主人です」

ヘレネは器用に首から上だけを動かして、主人の顔を見た。

「ですから、わたくしのご主人様ですわ」

「……」

なるほど、持ち物ってこと。だったらちょっと訂正したいなあ。軽く納得しかけていたライナーが心中で手のひらを返し、黙って眉間を押さえる。

「隣に座っても?」

「はい」


「……ご主人様はやめませんか。こう……誤解があるといけないから」

「失礼いたしました。では、旦那様」

「はい」

「後ろの方は勇者ごっこですか。それならわたくし、お姫様をしましてよ。きゃー、たすけて、と」

びくりと肩を揺らしたジャルダンが思わず「えっ俺」とこぼした。草を踏む音がして、ライナーの背に動揺が伝わってくる。

「彼はうちの兵たちの隊長です。遊んでるわけではないよ、あなたは彼からすると、奥様……かな」

ヘレネは考えるようにうつむいて、落ちる髪で表情ごと視界の向こうへ行ってしまった。覗き込んでいいものかと躊躇ってやめたが、そっと肩から向きを変えたヘレネの双眸が次に映したのはライナーだった。形のいい唇がぽそ、と開く。

「旦那様は何をして遊びますか。世話をしたり、戦ったり?」

「ああいえ、今日はあなたと話したくて来たんです」

「はなす。わたくしと」

ほんのわずかに目を見開いて首を傾けた彼女は、ややあって「そのように」と頷いた。薄い雲が流れ、ふわりと日を遮っている。

「困っていることはありませんか。食事が口に合わないとか、服や宝石が足りないとか」

「いいえ、とてもよくしていただいていますわ」

同じ角度のまま首をゆるく横に振った。

「……では、何が良かったですか。好きな料理は?」

「わかりません」

「気に入ったものはどうです。例えば、この庭の花とか」

「みんな綺麗です。お外のものは生きて……生きているのが、わかります」

薄紫のクンイソウが揺れる。初めて彼女がものを視界に入れるのではなく、対象として眺めているのがわかった。

「それは、あなたの魔法で?」

「わかりません……」

ぱたんと、白い瞼を閉じる。

「──正しくは、覚えていないのです。お料理も、魔法も、わたくしも……すべて」



「じゃあ、ヘレネ嬢。私はそろそろ戻ります」

「……はい」

日が傾き、空は鮮やかにその色を刻一刻と染め変えていた。お手を、と差し出されたライナーの手を一拍置いてとり、ヘレネも立ち上がる。

「夜は冷えるから、あなたも部屋にお戻り」

「はい、旦那様……あの」

「うん?」

「楽しんでいただけましたか」

咄嗟のことに息が詰まった。自らの手に乗る白いレースの手袋の華奢な指先を一瞥して、なんとか「楽しかったよ」と返した。

「では、また、わたくしで遊びにきてくださいますか」

「……来ます。来ますよ。あなたと話しに」

おやすみなさいませ。背を向ける直前にそう言って礼をしたヘレネの腕は、最初の挨拶と寸分たがわぬ角度だった。何かが違うと、正体のはっきりしない違和感がライナーの胸中に残った。



帰りにジャルダンがはっとして「ご飯食べてくださいって言わないでよかったんですか、ノンナおばさんが気にしてたやつ」と声を上げて足を止めた。ライナーは複雑そうな顔で「出すのは出し続けて、……無理に言うより、食べたくなったらでいいのかもしれない」と返しそのまま進んでいく。

追いついたジャルダンがふしぎに思って眉頭を上げると、エバンズの当主は黒い瞳を澱ませて「無意識だろうけど、足元から吸い上げてるのが視えたんだ」とこぼした。死にはしないだろうが健康では決してない。どういう生活してればあんな生命維持が動き出すんだ、そうぼやく彼の肩に重石が乗っていた。

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