五尺六寸の大和撫子
幕末から明治くらいをイメージして書いてます。
その頃の男性の平均身長は155㎝~158㎝ほどだったっぽいです(ネットで軽く調べた程度なので間違っていたらすみません)
薬種問屋の営む貞吉には三人の子どもがいた。
しっかり者の長男・吉太郎、優しく器量よしと評判の娘・八重に口達者な末っ子次男・保吉。
最愛の妻は保吉が十歳の頃に風邪をこじらせて亡くなったが、子どもたち三人に支えられて店を盛り立ててきた。「誠実に着実にコツコツと」を己にも家族にも言い聞かせてきて数年。堅実な経営で信頼できる店だとお偉方や遠方の顧客との取引を着々と増やしてきている。
お陰で吉太郎は高名な医者先生の娘さんと婚約を結び、さて次は愛娘だと縁談を探していた。
のだが。
結果は全て破談。
一回二回はまあ、そういうこともあるだろうと思ったものの三回四回と続いてうちの子に自分の与り知らぬ素行の悪さがあるか、それとも自分自身に悪評があるのではと不安に駆られて見合い相手達に話を聞いて回った。
そして。
「大きく育てすぎた」
「ごめんねぇお父さん」
最初はちょっと相性が合わなかったとか求めていた嫁の条件とちょっと違ったとか言い訳していた見合い相手たちはしつこい貞吉の問いに総じて「自分より背の高い女子はちょっと」と本音を吐き出した。
奥向きの仕事ばかりで貞吉は気づかなかったが八重はそこらの男より背が大きかった。
貞吉が病に倒れた妻の為に滋養強壮に聞く食材をかき集めた。だが、病で弱って食欲がなかった妻が全てを食べきれるわけがなく、食材の残りを使った料理を他の家族で食べることとなる。育ち盛りの子どもたちは豊富な栄養を摂取してすくすく育った。
お陰で子どもたち全員貞吉より背が高い。八重は兄妹の中で一番小さいが、五尺六寸(約169㎝)ともなれば並みの男は怖気づくだろう。
「いや、身長を理由に姉ちゃんとの結婚を断る馬鹿が悪くない?そんな馬鹿はこっちがお断り」
「だな」
保吉の辛口に吉太郎が同調する。
保吉は母代わりに面倒を見てくれた八重を尊敬しているし、吉太郎は元より妹を溺愛している。
「というかなんで気づかなかったんかな?」
「家にいるときは座っていることが多いから」
「あー下女は襖前で正座して声を掛けるし、親父とすれ違うときは頭を下げているもんな」
そんな生活を送っていれば姉が他の女性より頭一つ分背が高くてもなかなか気づけないだろう。
やれやれと呆れる息子二人に貞吉はぐうの音も出ない。
「なんで教えてくれないの?」と聞いてもこの二人は俺たちで八重を養えばいい話だと歯牙にもかけないだろう。
「そうは言っても私だって家に残ってお兄ちゃんの結婚生活を邪魔したくないわ」
「邪魔じゃない」
「お兄ちゃんはそう言ってくれてもお嫁さんが困っちゃうわよ。最初はどうしたって奥向きの仕事は私の方が詳しいし、お店の人たちだって女主人が二人いたらきっと慣れてる私の方に聞きに来ちゃうわ。仕事は教えるつもりだけどずっと私に居座られたらお嫁さんの居心地が悪くなるもの」
嫁姑問題はいつの世も変わらぬもの。
女性の方がその手の話に詳しいのも。
きっと周りのお節介婆さんに吹き込まれたのだろうな。
吉太郎は口をへの字に曲げて黙り込む。
「お父さんも無理しなくていいのよ。いざとなったら私尼寺に行くつもりだから」
「はあ⁉」
予期せぬ娘の出家宣言に貞吉は素っ頓狂な声を上げた。
「実は庵主様にもう許可は頂いているの『いつでもいらっしゃい』って」
「お、お前いつの間に」
「お母さんのお墓掃除のついでにお寺の力仕事を手伝ってたら顔見知りになって。尼寺は女性しかいないから背が届かないところの掃除とか力仕事とか手が足りないところが多いんですって。娘が尼になったなんてお父さんには不名誉かもしれないけど。そうね、遠い親戚に縁があったとでもご近所さんには言ってくれればいいから」
「そうじゃないだろう」
貞吉は自分の不甲斐なさに泣き出し、八重を大いに慌てさせた。
吉太郎は婚約者に話をつけてくると医者の家に行こうとし、保吉は見合いを断った男どもを軒並みぶちのめしに行こうとして店の者を巻き込んで止める事態となった。
(どうしたものかしらねぇ)
八重はお得意様に商品の薬を届けに行った帰り、軽くなった風呂敷を抱えてのんびりと町を歩きながら将来を憂いていた。
溜息をつきながら頬に手を添えて悩まし気な顔をする八重に遠目から見惚れている男が声を掛けようと近づいてきた。
だが、見上げるほど八重の身長が高いと気づくとぎょっと目を丸くしてそそくさと何事もなかったようにすれ違う。
それに一々傷つく自分に落ち込む。
いつものことなのだから慣れればいいのにとすれ違った男より自分に腹が立つ。
見合いの時も仲人が同席して歓談して「いいな」と思っても「ではあとはお若い二人で」と庭へ誘導されて立ち上がった瞬間見合い相手が八重の身長に驚いて目を丸くする。庭に出るとさっきまで楽しく会話していたというのに目を逸らしたり、ひきつった愛想笑いで会話が途切れるようになる。
そうして「この話はなかったことに」となるのだ。
今まで背が高いことを恥に思ったことはなかった。丈夫に育ったお陰で病気一つせず、家族を支えてこれたという自負がある。何より背が高いことを自慢に思っていたくらいだ。
高いところのものを取ってあげた時や重いものを運んであげた時にもらう「ありがとう」が大好きだ。
足を挫いたおばあさんを背負って家まで連れて行ったこともあるし、山の中にあるお寺の長い階段を苦も無く登りきる体力もある。
なのに見合いをすると八重みたいな女はいらないといわれるのだ。
家族の優しい言葉は心から嬉しい。
でも他人からの評価はその温かい言葉を貫いて八重の胸を突き刺してくる。
尼寺の庵主に許可を得たと家族には言ったものの「あなたがこれ以上頑張れないと思ったらいらっしゃい」と逃げ道を用意してくれたにすぎない。庵主は八重の不安を軽くするために言ってくれたのだろう。
(私は優しい家族にも相談を聞いてくれる人にも恵まれているのだからもう少し頑張りたいな)
と言ってもできることは見合い当日に礼儀正しくいることと着飾ることくらいだが。
身長を低くする手段などないのだから。
「買ってもらったばっかりなのに~‼」
耳に飛び込んできた子どもの泣き声に顔を上げる。
一本の木の周りに子どもたちが集まっていてその中で小さい男の子が泣いていた。よくよく木を見ると綺麗な毬が枝に引っかかっている。
みんなで投げ合って遊んでいたら勢いよく木の上に飛んで取れなくなってしまったのだろう。
「ごめんなさい、ちょっとこれ持っててくれる?」
子どもたちの一人に荷物を預け、片腕を上げてずれる袖を持って木の下で跳ねる。
手の先に毬が触れて木から落ちたのを子どもたちの中で一番年長らしき子が受け止めた。
「取れたー!」
「お姉ちゃんすごーい」
「ありがとう!」
「いいえ。荷物持ってくれてありがとうね」
預けていた風呂敷を受け取ると泣いていた毬の持ち主と思われる男の子が「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げた。
「どういたしまして。綺麗な毬ね」
「うん、お母ちゃんがお習字頑張ったご褒美に買ってくれたの」
「そんなに大事なら持ってくんなよな」
毬を受け止めた年長の子が不貞腐れたようにそう言った。
ムッとして黙り込んでしまった男の子に八重は「大事なものだからみんなと一緒に遊びたかったのよね」と頭を撫でた。
「そうかぁ?ただ自慢したかっただけだろ」
「違うもん!だって兄ちゃんがいなくなっちゃうから………」
勢いをなくしてまたうつむく男の子に年長の子が「俺が?」と首を傾げる。
八重は年長の子を手招いて男の子の前にしゃがませ、「ちゃんと話を聞いてあげて」と言い聞かせる。
「兄ちゃんもうすぐ遠いところへ奉公しにいくんでしょ。だから、この毬で一緒に遊んだらきっと楽しいかなって。それで兄ちゃんに会えなくなっても毬を見たら兄ちゃんのこと思い出してさみしくないかもってぇ」
「思い出が欲しかったのね」
八重の言葉に男の子が小さく頷いた。
確かに年長の子はそろそろ奉公に上がっていてもおかしくない年の頃だ。
大好きなお兄ちゃんと遊べなくなると聞いて何かできることはないかと一所懸命考えた末に自分の宝物を持ってきたのだろう。
年長の子は大きくため息を吐き、「しょーがねぇなあ」と男の子の頭をぐしゃぐしゃと荒く撫でた。
「ここじゃまた木に引っかけちまうからもっと広いとこで遊ぼうぜ」
「それなら権兵衛おじいちゃん家の横んとこは?」
「あの空き地?ちょっと遠くない?」
「走ればすぐだろ。ほら、競争だ」
年長の子がそう言って走り出すと「ずるーい」「まってぇ」と子どもたちがそれに続く。毬の男の子はすっかり笑いながら走っていった。
(あの子たちにとって今日一日が楽しい日でありますように)
八重は子どもたちの背を見送り、手を合わせて静かにお祈りした。
さて、帰ろうと振り返ったところで目の前に赤い花が差し出された。
「好きです、結婚してクダサイ」
「え?」
八重が求婚者を連れて帰宅した。
にわかに騒めきだす店の中を宥めながら求婚者を奥へと案内する。
男はダグラスと名乗った。
メリケンから来た貿易商だという。付き人らしき男を連れていて「カレはワタシの国の言葉を教える代わりにこの国の言葉を教えてくれる喜三郎くんデス」と紹介する。
「あんた、うちの子らより背が高いな。どれくらいあるんだ?」
「5フィート11インチデス」
「あんだって?」
「えーと、六尺(約181㎝)あるかないかぐらいです」と喜三郎が言い換えてくれる。
「ははあ、外つ国じゃあみんなそうなのかい?」
「hmm………ワタシも高い方ですがワタシより高い人もイマス。モチロンワタシより低い人もイマス」
「あんたより高いやつがいるのか?」
「ワタシのダディ、オトッツァンです」
「ほほぉ父親譲りというわけですな」
外の国の人は正座が苦手だと聞いていたがダグラスは難なく座布団の上に座った。
職業柄、商談で慣れているのかもしれない。
八重の求婚者が来たということで仕事中だっただろうに吉太郎と保吉も部屋に入ってきた。貞吉は呆れながらも息子二人をダグラスに紹介した。
「それでうちの娘に結婚を申し込むということですが経緯をお聞きしても?うちは外つ国と取引はしていませんし、知り合う切っ掛けがあったとは思えんのですが」
「はい、今日初めてお会いシマシタ」
「そうですよねぇ」
貞吉の問いにダグラスは気持ちの良い笑顔で断言した。
八重も肯定し、貞吉が困惑を強くする。
「え~と、誰かからの紹介などは?」
「ないデス」
「ないですね」
ダグラスの即答に喜三郎が追従する。
「ワタシ、八重さんの美しさと優しさにポロッといっちまったんデス」
「コロッとだろそこは」
「なんか食べこぼしみたいな言い方だな」
保吉と吉太郎がすかさずツッコむ。
あまりにも明け透けな言い方に貞吉が息子たちを「こら、お前たち」と叱る。
どうもダグラスはまだうまくこちらの言葉を話せないようだ。
「商談の帰りにワタシが八重さんを見かけるしたのデス。八重さんは泣いた子どものため、木に引っかかったボールを取ってあげるシテマシタ」
「ボール?」
「毬のことかしら?」
喜三郎に目をやると「そうです」と頷いた。
「そう、マリーを取ってあげるだけでなく子どもを……泣く、やめる……hmm静かさせる、そう黙らせるシマシタ」
「泣き止ませる、ですよダグラス君」
喜三郎にスパンッと肩を叩かれ、「Oh………失礼シマシタ?」とダグラスはしょんぼりする。
「八重さんは子どもを泣き止ませるして頭をヨシヨシするシマシタ。そしたらもう一人の男の子意地悪を言って喧嘩になるかもデシタ」
「喧嘩にまではならなかっただろうけど」と八重が苦笑する。
「でも男の子意地悪いわれて泣きそうデシタ。八重さんが二人の仲をと、とりぃ~~Ah!とりもちを揚げるしました」
「揚げるな揚げるなおかきになる」
「おいしそうな言い方だな」
「とりもちは餅ではないんだがなぁ」
兄弟二人だけでなく父までツッコみ始めてしまった。
「取り持ってあげた、ですよ」と喜三郎が言い直し、「Yes!取り持ってあげてたのデス」と繰り返した。普段そうやって言葉を覚えているのだろう。言葉を間違えるたび、ちゃんと懐から取り出した帳面に書いているので真面目な人ではあるのだろうなと八重は微笑ましく感じた。
貞吉たちが呆れる反面、八重は大分ダグラスのことが好きになっていた。言葉に不自由して父や兄弟に指摘されても落ち込んだ様子を見せないところ。喜三郎に説明を丸投げせず自分の言葉で間違えても頑張って話しているところ。
はじめはいきなり求婚されて驚いたし、少し恐ろしさもあったが今はすっかり家族に馴染んで最初から住んでいたかのようにすら感じている。
「八重さんの優しさに惚れました。子どもたちに笑いかける顔が素敵で、子どもたちへ祈る心の美しさに私はすっかり―――のの字です!」
「恥じらってどうする」
「ほの字っていいたいんですかね?」
「あんたが床にのの字を書いてもなんもかわいくねぇわ」
八重はダグラスが頬を染めながらのの字を書く姿を思い浮かべ、かわいらしく感じてクスリと笑った。
「貞吉さんどうか八重さんに急患、じゃなくて求婚することを許すしてクダサイ!」
ダグラスを床に手をついて頭を下げると貞吉はう~んと唸り出す。
「娘を嫁に出すのは男親の宿命だが外つ国となるとそうそう会いに行けるもんではないですからなぁ」
「八重さんを結婚できるならこの国に骨を沈める覚悟です!」
「沈めるな埋めろ」
「どこに沈める気だよ、川か?」
「それはただの入水じゃあないか?………コホン。まあ、そうできるっていうなら考えんでもないが、後は八重次第ですかな」
ちらりと貞吉が八重に目線を送るとにっこり微笑み返される。どうやら八重がこの男に好印象を抱いているらしいと読み取るとひとつ頷いた。
「少し二人で歓談でもしていってください。八重、ダグラス殿を庭に案内して差し上げなさい」
「はい」
八重が立ち上がり、ダグラスが続く。
廊下へ出て上からの視線に気づき、八重がダグラスを見上げると目が合って頬を染める。
「八重さんは本当にかわいいデスネ。アナタと出会えたことがこの国に来て一番の幸運デス」
てらいがない言葉に八重の心が温かくなる。
「………私もあなたに出会えて嬉しいです」
八重の部屋に飾られた一輪挿しの赤い花が風に吹かれてゆらりと揺れた。
ダグラスは八重が自分より背が高くても求婚しました。求婚した時身長を見ていたわけじゃないので。
「とっても素敵なレディがいる!」と求婚して家まで案内してもらっている最中「目線が近くて嬉しい」と思っています。