第34話 再会
「姫神が消え、図らずも死者を出してしまったことで、団体は活動を停止しました」
岬はそう、説明を締めくくった。
風の音が聞こえた。壁の丸窓の障子に、木の葉の影が揺れた。
「それで貢は、あの子は無事なんでしょうね」
気を取り直した小百合が言う。岬が声を掛けると白い襖がするすると開き、先程の男の姿が現れた。突如、記憶が鮮明によみがえる。間違いない。カフェテリアに現れた男だ。
廊下に正座していた野瀬は、手を付いて深く一礼した後、横を向いて「こちらへ」と声を掛ける。微かに衣擦れの音がして、障子に人影が映った。
「貢!」
「一ノ瀬くん!」
白い着流し姿で野瀬の横に立ったのは、間違いなく貢だった。
「無事だったのか」
靖久の言葉に軽く頷き、貢は桐子たちに微笑みかけた。少し痩せただろうか、頬がこけている。けれど疲れた様子にも関わらず、その表情は不思議なくらい穏やかに見えた。
「メール、見てくれたんだ」
小さな声でそう言って、何故か男に向かって「ありがとう」と言う。
「この人に頼んで送ってもらったんだ。僕はここから動けなかったから。スマホを使ったことがないって言ってたから、上手くいくか不安だったんだけど」
「勝手なことを」
岬はそう言って、困ったような笑みを浮かべた。
「お役に立てて良かったです」
そう言って野瀬が微笑む。自分が知るこの男とはあまりに違い過ぎて、桐子は言葉を発することが出来なかった。
「ここには洞窟を中心として、幾重にも結界が張られております。随分と緩んではおりますが」
小さく溜息を吐いた後、岬は説明するように言った。
「貢くんの中には姫神がおわします。結界の外に出すことは出来ないのです」
「どういう事ですか。何を言っているのか分からない」
怒りを含んだ声で小百合が問う。頷いた岬の側に野瀬と、その横に貢が座った。桐子を見て、優し気に目を細める。
「根の国の要素を持つ神々は、我々とは相容れぬのです」
岬は言った。
「同じ空間には存在できない。接触すれば、大いなる禍を招きます。最悪の場合、双方が消滅するでしょう」
「反物質みたいですね」
何気ない桐子の言葉に、小百合は笑いを含んだ声を返す。
「テレサみたいな?」
テレサ?
「テレサって、スーパーマリオに出て来る、あのテレサですか? お化けみたいな」
「いえ、そうじゃなくて」
「?」
「?」
「?」
「……もういい。気にしないで」
気まずい沈黙があった。
「反物質ですか。言い得て妙な気がしますね」
二人の会話を引き気味に見ていた岬が、小さく笑った。
「彼らは我々人類の一つ上の次元の存在と言えます」
説明が難しいのですが。そう言って岬は話し出した。
「太古の昔、我々の祖先は神に出会いました。我々より遙かに高度な文明を持ち、圧倒的な力を持つ存在にです」
岬の話は荒唐無稽だった。
高次元のもの。神と呼ばれる、異質な存在。人類が今の文明を持つ前に、この世ではない処から訪れたもの。オリンポスや高天原という名で伝えられる異世界。
洞窟の奥にあるのは次元断層。反物質の世界に通じる抜け穴。
「信じる訳がないでしょう」
嘲るように小百合が言う。
「ふざけた御託を並べて。もういいわね。孫は連れて帰ります」
小百合の言う通りだ。信じられる訳がない。まるっきりSF小説の世界だ。「C」とかいう団体も、岬というこの老人も、おかしな妄想に取り憑かれているのに違いない。
「お祖母ちゃん……」
何故か貢が、悲しそうに祖母を見た。
「本当なんだよ」
二か月の洗脳で、貢まで信じてしまったのだろうか。こんな馬鹿げた話を。
「君も見た筈だ」
そう言われて、桐子はハッとした。そうだ。あのとき野瀬は──男は消えた。そして桐子は確かに束の間、異空間に存在したのだ。再び認識が混乱する。すべてが、あやふやに揺らぎ始める。
「岬さん」
自分の声が震えているのが分かった。このまま夢から目覚めてしまいたかったけれど、どうしても確認しておきたいことがあった。
あの日、桐子が見たものは何だったのだろう。
「私は……図書館でこの人を見ました。その他にも二回、彼は私たちの前に現れました。その時、彼は消えたんです。私たちの目の前から、煙のように消えました。あれは、どういうトリックだったのでしょうか。まさか、彼もまた高次元の存在だとでも仰るのですか?」
桐子の問いに、岬は「はて?」と首を傾げた。
「彼に貢くんを迎えに行ってもらったのは確かですが、一度きりです。メールを送ったとき山を降りたのでしょうが、それ以外に此処を出た事は無い筈です。ましてや消えるなど……」
岬は野瀬を振り返る。彼がゆるりと顔を上げたのを見て、桐子は再び悲鳴を呑み込んだ。
表情が一変していた。学長室の廊下で、カフェテリアで見た、ぞっとするような冷たい眼差し。野瀬の上半身がぼやけ、二重写しのようになった。その片方が畳に崩れ落ちても、空中には同じ顔が残っている。あのときと同じく、空間が切り取られたような違和感を覚えた。
岬が突然、その場にひれ伏した。額づき、震えながら、畳に爪を立てる。男は鋭い犬歯を剥きだして笑い、それを見下ろした。
──禰宜よ。
頭の中に声が響く。空気が凍りついた。本能が恐怖したとでも言おうか。圧倒的な力の差を感じたのだ。たぶん、その場にいた全ての人間が。
──我らは、解放を望む。
厳かな声だった。男は顔の向きを変え、貢の眼を覗き込んだ。
──そうだな。媛。
貢の眼が、愛おし気に男を見詰めるのが見えた。
疑いようがなかった。直感が、真実だと告げていた。




