表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/40

第33話 神域

「ようこそ、お越しくださいました」

 迎えてくれた白髪の老人は、桐子たちを見て穏やかな微笑を浮かべた。

「こちらから連絡しなくては、と思っていたのですが」

「岬さん」

 小百合の声色は固い。怒りを抑えているように思えた。

「初めまして、小島です。彼女の夫です」

 靖久が自己紹介をすると、岬と呼ばれた老人は驚いた顔をした。

「先日来られた男性がご主人なのかと思っておりました。そういえば名字が違いましたな。これは失礼」

 小百合は笑いもしない。

「そしてあなたは……桐子さんですかな?」

「彼女の名前をご存じなのですか」

 小百合が不信感をあらわにして尋ねる。岬は笑みをくずさず、小さく頷いた。

「お孫さんから聞いています」

「では、やはり」

「貢は、貢は何処にいるの!」

 岬につかみ掛らんばかりの小百合の肩を押さえ、靖久が言った。

「全て話していただけますね」



 座敷に通され、座布団を勧められた。小百合を真ん中に三人並んで座った桐子たちの後ろで、ふすまが開く音がした。

 若い神職と思われる男性が、お茶を運んで来た。座卓に湯呑を並べ、盆を持って立ち上がる。何気なくその顔を見た桐子は、あやうく悲鳴を上げそうになった。

 図書館で会った男だ。間違いない。冷たい笑みが脳裏によみがえる。何故ここにいるのだ。この男が貢をさらったのか。

 けれど男の表情は柔らかで、まるで別人のようにさえ思えた。桐子を見て優しい笑みを浮かべる。

「ごゆっくり」

 声も同じなのに。この違和感はなんだろう。混乱する桐子をよそに、男は深々と頭を下げて部屋を出て行った。

「秋山さん、どうしたの」

 小百合に言われて、桐子は自分が震えていることに気付いた。

「今の人は、誰ですか」

 岬に尋ねる。答えたのは小百合だった。

「野瀬さんっていって、この神社で神主のお世話をされている方よ。洞窟を案内してくださったわ」

 気分が悪いの? と言いながら、小百合は桐子の背中に手を当てた。その胸に倒れ込みそうになりながら、桐子は言葉を吐き出した。

「図書館で会った人です。学長室横の廊下でも、カフェテリアでも。現れて……煙のように消えてしまった、あの男です」

「何ですって!」

 信じられないといった様子で、小百合が声をひそめた。桐子を抱き寄せ、背中を撫でる。

「落ち着いて」

 そう耳元で囁き、小百合は岬に向き直った。

「岬さん。彼が……野瀬さんが、貢をさらったのですか」

 小百合の言葉に、岬は頷いた。

「攫ったと言われれば、そうだと言う他はありませんが、決して暴力的にこちらに来て頂いた訳ではありません。お孫さんが、いえ、中におわすひめが、こちらに来ることを望まれたのです」

 中に居る? あの男も、そんな事を言っていた。

「最初から順を追ってお話ししましょう」

 岬は話し始めた。

「この神社は太古より、禍津日神まがつひのかみまつっております。禍津日神とは、黄泉の国から逃げ帰った伊邪那岐命いざなぎのみことみそぎを行った際に、その身のけがれから生まれたと言われる二神ふたはしらです。あらゆるわざわいの元となる厄災やくさいの神と言われています。洞窟の奥、誰も行けない場所に二つの玉が安置されており、それが御神体です。八十禍津日神やそまがつひのかみ大禍津日神おおまがつひのかみ。紅と黒の勾玉まがたまと聞いております」

 岬はそこまで話して、一旦言葉を切った。

「多く神社というものは、荒魂あらみたましずめ、まつることでその怨念を封じ込める役目を持っております。この神社もそうです。禍津日神は、正確に言えば祀られているのではなく封印されているのです。先日一緒に来られた……工藤さん、でしたかな。あの方は洞窟の事を黄泉平坂よもつひらさかのようだと言われたとか。よく見ておられる。あそこは、現世うつしよ幽世かくりよを繋ぐ場所です」

 誰も声を発しなかった。岬の言葉を一言一句聞き漏らすまいとするかのように、皆が息を呑んで彼を見詰めていた。

「大昔から、この世で生きていくことに耐えられない程の苦しみをたずさえた者が、あの洞窟をおとないます。封印された神々は、彼らを黄泉よみへと送ります。その苦しみをつために」

「では、あの団体は」

 靖久が尋ねる。

「当初の目的は、若者を救うことではありませんでした」

 そう言った後、岬は少し言いよどんだ。

「かつて、あの洞窟を訪う者は、数年に一人、いえ十数年に一人ぐらいのものでした。昨今は、インターネットの普及に因るものでしょうか、多くの人々が洞窟を訪れます。もしかしたら、時が経ち封印が弱まったことで神々の力が漏れ出し、死を望む若者を呼び寄せるのかもしれません。無事に出て来られる者はいい。けれど次第に、そのまま向こう側へと渡ってしまう者が現れるようになりました。これ以上結界がらがぬよう、我々は自殺志願者と対話し、り分ける必要があったのです。」

 岬はそう言って、自嘲じちょう気味に笑った。

「消え去ることが、その人の心からの望みであれば、我々は止めませんでした。この世に一切の未練がないのなら、それも良いのかもしれない。すべては神の判断にゆだねました」

 何かを愛おしむような眼差しに思えた。

「危ういバランスを保っていたのです。限界は近かったのかもしれません」

 岬は一旦息を吐くと、辛そうに小百合たちを見詰めた。

「ある日、結界は破られました。何故辿(たど)り着けたのかは不明です。六年前、悪戯いたずら半分に洞窟に入り込んだ子供たちがいました。その中の一人が神域に足を踏み入れてしまったのです。そこで姫神は彼に憑依ひょういした。いや、完全に中に入ってしまったのです」

 姫神がいなくなったことに気付くまで、少し時間が掛かったのだという。

「気付かなかったのです。彼の口から」

 と言って、岬はふすまの方に目をやった。

託宣たくせんがあるまでは」

 では、あの男も尸童よりましなのか。禍津日神が憑依ひょういするという。

「我々はその子供を探し、居場所を突き止めました。結果、事を急いでしまったのです」

 岬は悲し気に目を伏せた。

「そんな事をする男ではなかったのです。あのとき彼は何かにかれたように姫神を追い求めていました。もしかしたら……いえ、想像でものを言うのは止めておきましょう。とにかく彼は、取り返しのつかない事故を起こしてしまいました」

「では、あの事故は。静香たちを殺したのは……」

 靖久が呻いた。

「申し訳ない事を致しました」

 岬は二人に向かって深々と頭を下げた。

「殺めるつもりではなかったなどど、今更言ってもどうしようもありません。ただ、あなた方の娘さん御夫婦を死に追いやった人物は、もうこの世にはおりません。私の甥である彼は、罪の意識にさいなまれ、自ら洞窟へ入りました。神の裁きを受ける為です。彼が戻って来ることはありませんでした」

 それで許してくれなどとは決して申しません。岬はそう付け加えた。

「何という事を……」

 言葉を失くした小百合と靖久に向かって、岬は再び深々と頭を下げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ