Sample8 部屋
照明は白すぎて、心まで透ける。
男たちは金を握りしめ、女たちは名前を偽る。
愛でも性でもない、ただの「やりとり」。
互いの孤独に触れぬよう、沈黙が壁になる。
選ぶ者、選ばれる者、そのどちらにも「人」はいない。
香水と煙草、缶コーヒーとLINEスタンプ。
笑い声が一番、腐っていた。
それでも明日も、この部屋は開く。
それしか、ないから。
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待合室
照明は白すぎた。
明るくしなければならない理由が、どこかにあったのかもしれない。
壁には誰も見ないAVポスター。
空調の音が不自然に響いている。
カウンターの奥で、若いボーイがスマホをいじっている。
男が二人、離れたソファに座っていた。
片方は、スーツの男。
小綺麗だが、目が濁っている。
腕時計を何度も確認しては、足を組み直す。
スマホは見ない。
何も検索することがないからだ。
もう一人は、作業服の男。
手の油が爪に染みついていた。
膝に握った封筒が、少しふくらんでいる。
中身は、今日の給料袋だ。
二人は互いを見ない。
互いに干渉しない。
それが、この場所のルールだった。
カウンターから、ボーイの声がする。
「○○さん、準備できました」
スーツの男が立ち上がる。
小さく頷いて、何も言わずに奥へ消える。
数分後、別の声。
「△△さん、どうぞ」
作業服の男が立つ。
封筒を握ったまま、ゆっくりと後を追う。
彼らは、金で愛を買い、金で身体を買う。
だが、そのどちらにも、相手はいない。
帰り際、どちらかが偶然にも、同じタバコを吸っていたことに気づくかもしれない。
だが、目は合わない。
互いの孤独に触れないように、
互いの絶望に沈まないように、
彼らは今日も買いに来た。
誰もそれを愛とも性とも言わない。
ただ、利用とだけ呼ぶ。
待機室は静かだった。
香水と柔軟剤の匂い。
空調の音。
ソファの沈み。
壁の時計の針が、秒を刻んでいる。
女が二人、距離を空けて座っていた。
一人は、ルナ。
24歳。
ラメの強いマニキュア。
スマホを握りしめ、LINEを見ては閉じ、また開く。
相手の名前は涼。
歌舞伎町のホスト。
この3ヶ月で、貢いだ額は80万を超えている。
今日も、働けば「ありがとう」スタンプが返ってくる。
それでいいと思っていた。
いや、それしか残っていないのだった。
もう一人は、ミナ。
28歳。
口紅は薄い。
スマホは開かない。
カバンに文庫本を入れていたが、開かない。
読む気はない。
ただ、読もうとしてるフリが、自分を保つ。
この店に入って5年。
もともと夜が長かった。
今は、朝まで眠れないだけ。
ボーイの声がした。
「ルナちゃん、指名入りました」
ルナが立ち上がる。
スマホを懐にしまいながら、小さく髪を整える。
涼がこのメイクを見たら、なんて言うかな――
それだけが、彼女の“表情の理由”だった。
また数分後。
「ミナちゃん、リピートです」
ミナが立ち上がる。
無表情。
立ち方すら機械的だった。
もう、相手の顔を覚えようともしない。
二人は、すれ違いざまに目を合わさない。
互いの理由に触れたら、壊れてしまうから。
だが、同じドアの向こうへと、 同じ靴音を響かせて歩いていく。
この部屋には、愛も、絶望も、喜びも、何もない。
あるのは、“選ばれる”という事実と、 選ばせるという生存戦略だけ。
ルナは終わった後、涼に画像を送った。
ミナは終わった後、自販機の前で缶コーヒーを飲んだ。
砂糖が多すぎて、吐き気がした。
でも、
明日もまた、
彼女たちはこのソファに座っている。
それしか、ない。
ボーイの詰め所
詰め所のソファには、ファブリーズの匂いが染みついていた。
壁のホワイトボードには出勤予定と指名率の表。
冷蔵庫の中には、栄養ドリンクと使いかけの割り箸。
黒服が二人、椅子にもたれていた。
片方はまだ若く、金髪。
もう片方は、少し年上で、目が死んでいる。
「昨日さ、〇〇の店行ったんだけどさ」
「お、どこ?」
「××のとこ。新人入ったって言うからさ。いやー、締まりがすげぇの」
「まじかよ。あそこの店、顔はイマイチだけど鳴き声えろいんだよな」
「わかる。うるせぇくらい鳴く女、結構好き」
笑い声。
缶コーヒーを開ける音。
モニターには、今の客入りと待機嬢の名が表示されている。
その画面の中に、ルナもミナもいる。
さっき自分たちが「上がりです」と告げた女たち。
だが、そこに「人」はいない。
全ては枠と稼働率と使い勝手でできている。
若い方が言う。
「ルナちゃん、今日もホスト通いだろ?」
「マジで馬鹿だよな。身体売って、LINEでありがとうだぜ?」
「ミナの方がマシだわ。何にも考えてねぇ顔しててさ。あれは続く訳だ」
笑いが重なる。
その下で、3つの部屋が沈黙していた。
客の部屋は、金の匂い。
嬢の部屋は、柔軟剤と孤独の匂い。
詰め所は、笑いの匂いが最も臭かった。