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Sample5 団吉の片想い

 団吉は、汚かった。

 鼻水を袖で拭き、ズボンは尿臭が染みつき、バラック長屋の残飯に手を突っ込んだ指で、パンの耳を拾った。


 時々、空き瓶を割って他の浮浪児と喧嘩した。

 勝ったことはないが、負けるたびに「まだ死ねねえ」と呟いた。

 ガキには珍しく、声が低くなり始めて。

 それが、やけに耳に残った。


 春子を最初に見たとき、 団吉は股間を掻きながら、咄嗟に陰に隠れた。


 白かった。肌もワンピースも、何もかも。

 そして、歯がまぶしくて気持ち悪かった。


 次に会ったとき、団吉は「尾行」を覚えた。

 距離をとり、音を立てず、ただ後ろから見て歩いた。


 欲しかったのは、 「同じ空気を吸っている」という感覚だった。


 春子は気づいていた。

 汚いガキが、またいる。

 そして、それを「かわいそう」とも「気持ち悪い」とも思わなかった。

 ただ、邪魔だった。


 ある日、春子は団吉に言った。

「ねえ、あなた、犬の臭いがするわね」


 団吉は、笑った。

 初めて言葉をかけられたからだ。

 春子はその笑いに不快な顔をし、そっぽを向いて歩き出した。


 それから、団吉は自分の体を擦り始めた。

 泥と痰と埃をこそぎ落とすように。

 だけど、臭いは取れなかった。


 浮浪児狩りの日、団吉は追いかけられながらも、 一瞬、春子の家の前まで走っていた。

 最後に、もう一度だけ、声が聞きたかった。

 しかし門は閉まっていた。


 収容所では、暴力と飢えと皮膚病とで誰もが臭った。


 虐待の中、団吉は唇を噛みちぎって死んだ。

 春子の名は呼ばなかった。

 呼べるものか、と、思ったからだ。


 ****


 春子は知らない。

 あのガキが死んだなんてことも、あのガキが自分に恋をしたと思い込んでいたことも。


 春子は大学で知り合った詩人と抱き合い、「この場所、昔きたことがある気がする」と言った。

「でも、なんか臭かった気もするの。前は」


 男は笑い、キスをした。


 石段の脇に生えた草むらに、焼けた木片がひとつ転がっていた。


 それは、団吉が最後に拾った「贈り物」だった。白く塗ったつもりの板切れ。

 それには震える字で、「はるこへ」とだけ書かれていた。


 団吉はただ春子の側に在りたかったのだ。

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