表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/13

Sample9 壁紙の染み

誰かが、ここで死んだ。

音もなく、誰にも見られず、ただ染みとなって残された。

畳の下まで染み込んだ孤独は、業者の手で剥がされ、白く塗り替えられる。

名も、骨も、葬られ、忘れられる。

それでも、風に揺れた隅の斑点だけが、確かに言う。

ここに、誰かが居たと。


****


 その部屋に、人が住んでいた形跡は、床の中央に残った黒ずんだ染みだけだった。


 男は死んだ。

 いつ死んだかは、誰も知らない。

 隣室の住人が「最近ドアの前を蝿が飛んでいて」と管理会社に連絡したのが、五日後だった。


 警察が来て、白い手袋でドアを開けた。

 死臭が漏れ出した。


 男は、溶けていた。

 骨のかけらと、黄黒く染み込んだ布団。

 畳は腐り、下のコンパネにまで滲みていた。




 大家は腕を組んで、それを見下ろしていた

「あーあ、また全部張り替えか、この時期は多いんだよね。しかし、臭い。もう慣れたが」


 そう言って、ため息をついたのは感情ではなく、出費に対してだった。


 業者が来た。

 清掃、防臭、脱臭、壁床張り替え、消毒、消臭、害虫駆除。

 チェックリストを黙々と消していく。


 作業員のひとりがツンとする刺激臭に小さく鼻を啜り、顔をしかめながら、鼻を手の甲で拭った。


 それだけだった。


 男の名は賃貸契約書に書かれていた。

 高橋弘。

 年金暮らし。保証人なし。

 親族不明。

 葬儀は、自治体の最低限の火葬プランに回された。


 畳が剥がされ、染みが剥がされ、その痕跡はひとつ残らず処理された。


 新しい入居希望者が現れたとき、内見のためにドアが開けられた。

 白いフローリングの部屋。

 壁紙も張り替えられていた。


「きれいですね、日当たりもいいし」

 女が言った。


 大家は頷いた。

「前の人も、前の前の人も、静かな人だったからね」


 風が吹いた。

 部屋の隅に、小さく黄ばんだ斑点が、まだ残っていた。

 誰も気づかなかった。

 それはもう、ただの染みだったからだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ