ST-r:06「FIRE:ME(後)」
根室を後にして道内線の車窓から見上げる空は、いつの間にか夜の闇へと溶け込んでいた。駅を出るときにはまだ夕暮れの面影があったのに、移動のあいだにすっかり暗くなってしまったようだ。車内の照明が静かなモーター音とともに揺れながら、窓の向こうに走り去る景色をぼんやりと浮かび上がらせている。
東北海道の光景は、釧路、根室も既に十分過ぎるほどに“都市”だったが、今回向かう中標津は更にスケールが違うらしい。
外を眺めていると、低く広がる平野が次第に姿を変えて、どこまでも伸びるビル群へと繋がっていく様子が見えてきた。遠方には高層の建物が林立し、空輸ドローンがせわしなく行き来している。近くには大きなサテライトアンテナのような施設もあり、どうやら都市全域に張り巡らされたAVRインフラがここで管理されているようだ。
情報によれば、ここは釧路を“横浜”とするなら“東京”に相当するほど大きく発展した都市、らしい。かつては酪農地帯が広がっていただけなんて信じがたい話だ。
私の時代でも人口が増加している町とは聞いていたが、ここまでは当時の誰も想像していなかっただろう。当然。
「もはや都市の発展……とかいうレベルじゃないよね、新しく出来てるじゃん」
「結構スゴいよ、まあ札幌ほどじゃないけど。と言いたいところだけど……張るくらい。平野を全部使って再開発したらしいからね。道東の重心をここへ移す計画もあったとかで、医療以外にも政府機関とか色々集まってるらしいよ」
眼を閉じたまま首をもたれて答える宮ノ沢。
先ほどの捜査の疲れもあるのか、少しおとなしい。
クレイマーの正体を突き止め居処に向かう最中というのに。緊張もあるが紛らわせるため、というわけでもない会話。
「もうすぐ着くね」
と、ユノ。
道内線のアナウンスが到着を告げる。
ホームへ降りると、すぐに南郷と課長が待っていた。ふたりとも、いつになく無言のまま。課長は腕を組み、南郷はポケットに手を突っ込んでいる。その背後には新しく整備されたターミナルビルが見え、ガラス張りのエントランスには「STELLAR TRACE 中標津」の文字が浮かんでいた。
時間を一目確認すると、課長は急かすように告げた。
「話は移動しながらだ。行くぞ」
分乗し、目的地を告げると自動で走り出すタクシー。フロントガラスを流れる無数の信号は、血流のように都市をめぐる。
これから訪れる場所——中標津市立ホスピス病院についての資料をホログラムで確認する。どうやらAIを用いた終末医療の先進施設だが、一方で人力の外科手術を行う珍しい症例も抱えるとの噂がある。そこに“神の手”と称される伝説的な医師が勤務しているらしい。そしてその医師が、今まさに私たちが追っているクレイマーだというのだ。
ところで、先ほどは捜査状況の共有をするとの事で課長は宮ノ沢とユノを伴って別の車両に乗り込んでいった。
つまり、というわけで今は南郷と二人。
最初にこの時代に来た夜を思い出す。
捜査状況の共有なんて下手そうだ、現にさっきから黙っているし。
……
「あのさ……」
沈黙を破ってみる。
「なんだ」
「八軒さんのこと、聞いてもいい?」
私は、隣に座る南郷の横顔をそっと窺った。車窓に映る彼の表情は複雑で、深い沈黙が一瞬流れる。
「誰に……ああ、どうせ宮ノ沢だろ」
わざわざ言う事でもねぇよ。と付け足したかと思うと、少し押し黙り、やがて懇々と話し始めた。
「……あいつが破綻したのも、ここでの任務中だったんだよ。まあ、真面目すぎてな。撃つたびに魂削ってたのに、適性が高いってだけで俺達も信じ切っていたんだ。そんなそぶりなんてあいつは全く見せなかった」
感傷に浸るでもない、かえって淡々としたトーン。
「真面目で、馬鹿で、気のいい奴だったよ。クレイマーを処理し続けて、何かが変わると信じていた。何も変わらねぇのに」
「そして……最後は、知っての通りだ」
ほんの一瞬、窓の外に視線を投げた後。
「……止めてやれなかった、じゃなくて。気付きもしなかったんだよ。たぶん」
南郷は言葉を濁した。
「そっか……」
私は小さく返事をする。南郷の瞳は遠くを見つめるようにしていたが、何かを耐え抜くかのように、拳を握りしめているのがわかった。
それからはまた二人して黙って、ただ過ぎ去る街の景色を眺めた。
やがて数分。
「着いたぞ。……行くか」
タクシーが滑るように停車した先――中標津市立ホスピス病院は、闇を裂く白光を背にそびえていた。漆黒の外壁を縁取るライトアップが尖塔の陰影を強調し、医療施設というより近未来の要塞に近い。思わず息をのむ。吹き抜けロビーの天井は数層のガラスドームで構成され、ホログラム広告と案内サインが層状に浮遊している。遺族向けAVRカウンター、終末医療相談ブース――“死”をビジネスとしても最適化する都市の最前線が、ここに集約されているのだと実感した。
正面ゲートを抜けると、受付台の代わりにドローンが降下してくる。センサーがSQAカード情報を読み取り、硬質な合成音がホールに響いた。
「特別許可を確認。コンサルテーションルーム3。――『即時通行を認める』」
脇にいた看護師が怪訝な表情で端末を覗き込むが、電子署名の権限レベルを目にして肩をすくめる。案内ホログラムが足元に矢印を描き、私たちはそのまま奥へと誘導された。
静かな廊下を進みながら宮ノ沢がホログラムを操作する。
「この医師は――SIRUS法の第一人者。症例数も成功率もダントツ、だけど“過剰介入”で内部監査に引っ掛かった履歴あり。弟子は山ほどいるけど、最後まで付き従ったのは一人だけらしい」
ホログラムに映る経歴の末尾で、赤い感嘆符が脈打っていた。
自動ドアが開く。消毒液の匂い。
告げられた先、院内奥の手術準備エリアに辿り着くと、そこには手術着を纏ったベテラン風の男性と、すぐ隣には若い男。助手だろうか。
私たちが近づくと向こうもこちらに気付き、険しい目つきで睨んでくる。
「こんな時に誰だよ……アンタら、何者?」
明らかに警戒を込めた声音。南郷が冷たく名乗るやいなや、助手がさらに一歩踏み出す。
「ステラトレイスマーケティング部?は?それってどういう……これから手術に入る準備中なんだよ……帰れよ」
一方で、落ち着いた様子でじっとこちらの様子を伺う医師。
「その先生に聞きたい事があってさ、ちょっと、昔の手術の事について」
宮ノ沢が事情を告げる。
「昔の手術……?お前らには関係無いだろ、何だよマーケティングって、知るかよ!こいつは俺の……」
次の瞬間、宮ノ沢がじろりと助手を見据え、短く吐き捨てるように言う。
「……邪魔」
いつにない声色だ、と思った矢先、表情が戻る。
「わりい。でもさ、こっちはこっちで用事あんだよね、喧嘩腰はやめてよね」
そう言いながら肩を押し除ける。助手は怯まず掴み返そうとするが、横合いから医師本人が手で制止した。
「……下がってろ。お前は残れ」
医師はマスクを外しつつ、毅然とした様子で呟く。助手は憤懣やるかたない様子で食い下がる。
「どこ行く気だよ、あんた。手術はどうすんだ。逃げるつもりじゃないよな?おい、俺はまだお前に……!」
廊下の照明が、医師の横顔を夜の静寂の中でくっきり照らす。彼は短く息を吐き、助手を見つめてかすかに言葉を落とした。
「……お前がやれ……任せた」
助手は目を大きく見開く。今の短いやり取りから少しだけ伺えた二人の関係性。きっと助手は助手で、この医師に抱える想いや相反する葛藤があったのだろう。
悔しさのような、闘志のような、どちらともつかない表情。
「やれるに、決まってるだろ」
そう呟く助手の瞳には、既に成功の色が宿っていた。
「オペレーションへ通達、本日のオペは副執刀が担当。予定通り、SIRUS法で実施する」
医師は、AVR通信で連絡を終えると、静かに足を踏み出した。
私たちは彼の後を追い、院内の奥まった扉から外へ出る。気温は夜気を帯び、ひんやりと肌に刺さる。
病院裏手の立体駐車デッキは、夜霧をまとった巨大な箱のように沈黙していた。
課長が張った隔離フィールドの光膜が、外灯を歪ませて青白く揺れている。その中心で、医師は背筋を伸ばしたまま、わずかに肩で息をついていた。
南郷と宮ノ沢が静かに医師を囲むように立ち、私はユノとともに少し後ろで状況を見守る。
宮ノ沢が一歩前へ。手首のホログラムを指で弾き、虚空に心臓の三次元モデルを呼び出す。再建部には不自然な黒いラインが走っている。
「――これ、見覚えあるよね?あんたが“手で”入れたSIRUS導管。カーボン・ハイブリッド素材」
医師の瞳がわずかに揺れた。
宮ノ沢は構わず、模型の断面を拡大する。黒いラインが脈打つように赤へ変わり、アラートが点滅した。
「強度は優秀。でも〈HLA‑M7〉系の免疫多型に当たると拒絶反応が跳ね上がる。今回死んだ患者、まさにその型だった。カルテの警告タグ――あんた、切って捨てたでしょ?」
「誤差だ」
医師の声は低く、乾いていた。
「術後プロトコルで抑えられる範囲だったはずだ」
南郷がポケットから手を抜き、タブレットを掲げる。そこには敗血症の数値グラフが赤く踊っている。
「抑えきれずに感染性心内膜炎。敗血症で死亡だ。
で、お前は“静かな心停止”のAVRを上書きした。違うか?」
医師は口を開きかけ――閉じた。
胸ポケットのIDカードが小刻みに震えている。
畳み掛けるように宮ノ沢。
「その上書き、昇進審査の前日だったよ。死亡率ゼロの実績が、どうしても欲しかったのかな……過誤を認めて再手術をすれば助かったかもしれないのに」
「黙れ!」
医師が叫ぶ。手術着の裾が風もないのに揺らいだ。
「AIには救えない症例だった!私の手でしか――」
「だったら正面から失敗を報告して、素材を替えればよかった」
宮ノ沢は声を落とし、しかし刃のように鋭い言葉を続ける。
「カーボンが駄目ならバイオセラミック。時間をかければ選択肢はいくらでもあった。“見落とし”じゃない。あんたは見て見ぬふりをしたんだよ」
課長が静かに続ける。
「そして、きっとずっと、何処かでは、わかっていた。結果、カード適性は崩れ、AVR残照が街にあふれた。“苦しむ死”と“穏やかな死”――真実と虚偽、二枚のレコードがそこら中であなたの良心の吐露のように現れた」
その瞬間、医師の呼吸が乱れ、額に赤黒いノイズが走った。
「私は……医療を守りたかっただけだ……!」
瞬間、手術着が裂けるようにデジタルの血飛沫を散らし、彼の背に巨大なリブスプレッダー型の影がせり上がる。
クレイマー化――。
「来るぞ!」南郷が叫び、課長が拘束AVRを展開する。
だが医師は電撃的なノイズで拘束を切り裂き、手術鋏を模した光刃を振りかざした。
「出たよ」
宮ノ沢は口の端を上げ、掌をかざす。音波弾が弾け、影を削り取る。
「こっちは“死因改竄”の後始末係なんでね。派手に暴れてくれりゃ、証拠も揃う」
医師の咆哮が闇を裂き、隔離フィールドの膜が波打つ。
宮ノ沢の後ろ姿が、微かに笑っている。
「――さあ、お医者さん。自分で見捨てた心臓の後始末といこうか」
鋭い金属音――いや、金属を模したデジタルの悲鳴――が駐車デッキに跳ね返った。
医師の背から生えたリブスプレッダー型の刃が、照明のLEDを削り取る。散った火花は即座にノイズへ崩れ、床に落ちる前に霧散した。
「動き、読みづらっ」
宮ノ沢が舌打ちしながら横へ跳ぶ。
クレイマー化した医師は、切開→縫合→再切開の手術モーションをそのまま戦闘アルゴリズムに落とし込んでいるらしく、刃の軌跡が一拍ごとに角度を変える。心拍を刻むみたいに、狂ったリズムで。
課長の拘束ワイヤが二本、医師の脇へ撃ち込まれた。
瞬間、外科鉗子を思わせる副腕がバチンとワイヤを挟み、捻じ切る。火花が閃光写真のように空間を焼いた。
「効いてないね!」
ユノが短く発し、私と背中合わせになる。そのまま何発かAVRの攻撃を放つも、無効。
医師の残照が発するデジタル霧は、血の匂いも薬剤の匂いも混ざらない無臭――なのに、肺の奥がざらつくように痛い。
「先生、そこまでして――まだ昇進にしがみつくの?」
宮ノ沢が挑発気味に声を放つ。
医師は答えない。ただ刃の一つを私たちへ向け、パルスのような赤黒い電荷を走らせた。電磁ノイズがフィールドの内壁を歪ませる。耳鳴りが脳を刺した。
「南郷さん!」
私が叫ぶより早く、南郷は構えていた拳銃を腰だめで撃つ。弾丸が一直線に医師へ――だが刃が“縫合”の動きで軌跡を捻じ曲げ、弾丸は背後の支柱へ逸れた。
「こいつ、裁縫上手かよ」
宮ノ沢が嘯くと、手首のホログラムを叩き、周囲の残照粒子を一斉に共振させた。
高周波が重ね掛けられ、医師の動きが一瞬鈍る。南郷がもう一発撃つ。しかし今度は医師自身の胸――ちょうどあの遺体の老人と同じ、心臓の辺りが開いたかと思うとそこから出た触手めいた導管が弾丸を飲み込んだ。
「自己吸収型防御かよ……」
宮ノ沢の額に汗が滲む。
医師の瞳が、手術灯のような冷たい白に変わった。
「私の術式は……完璧だ……!」
「私のォォォォxxxxxxxxxxxxxxxアァッ」
刃が放射状に広がり、今度は全方位へ飛ぶ。
私は咄嗟にユノを庇い、背後の車両の影へ滑り込む。金色の斬光が髪を撫で、床のコンクリートを熱で融かした。
「――ッ!」
肺が軋む。怖い。
思わず指先でホログラムのメニューを探る。冷たく空間に浮かぶAVRイヴィクショナー。
南郷は斬撃の隙間を縫い、医師の背後へ回る。
「見えねぇ所ほど手術痕は雑になるんだろ?」
嘲るように呟き、低い姿勢から足払い。
医師の身体がバランスを崩し――そこへ課長の拘束ワイヤが再展開。今回は刃ではなく、導管ホログラムの付け根を狙った。
医師がもがく。導管の根元が裂け、赤黒いノイズが噴き出した。
同時に――心電図のフラットラインを模したアラームがフィールドに反響する。医師のデータ構造が崩壊を始めた合図。
「ここから戻すプロトコルは無いよ」
宮ノ沢が、どこか哀れむような目で告げる。
「だから言ったろ、先生。カーボンがダメならやり直せばよかった。けど――もう遅いんだ」
言うや否や、異形のAVR兵器の衝撃を与えると医師は拘束に膝をついた。リブスプレッダーの影が崩れ、代わりに無数の糸状ノイズが空へ散る。
「私は……守りたかった……患者も、技術も……」
かすれた声。そこに狂気は無く、ただ疲れ切った執念の残骸だけがあった。
両脇に位置取っていた南郷と課長が素早くイヴィクショナーを構える。
――その背中を、私は見ていた。
ふと、八軒の事が脳裏をかすめる。終わりを告げる銃口。繰り返す痛み。
「課長、今どっちがヤバいんだっけ?」
南郷が乾いた声で笑う。
「さあな」
「じゃ、同時に撃ってやった方がやった方って事で――」
私は走り出していた。
南郷の手首に触れ、銃口を下へ押さえる。
彼の目が一瞬だけ驚き――すぐ理解の色に変わった。課長も視線を逸らし、ゆっくりトリガーから指を外す。
隔離フィールドの内側で、ただ風の音がした。
警告音が私の鼓膜を震わせる。ターゲットロック。
『わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。』
私はイヴィクショナーを真っ直ぐ構えた。
「先生――あなたの技術は、あの助手が継ぎます」
医師の瞳がわずかに揺れ、遠い手術灯を映した。
「だから……あなたは、ここで終わって」
『きまりをよくまもり、住みよいまちにしましょう。』
閃光。
世界が無音になり、色が一瞬だけ反転する。
赤黒い残照が霧散し、白い粒子となって夜気に溶けた。
私は呼吸を吐き、重力を思い出すように膝を折った。
遠くでフィールドが解除され、夜霧が流れ込む。
南郷が煙草に火を点け、課長は何も言わず空を見上げる。宮ノ沢はホログラムを閉じ、軽く肩をすくめただけだった。
翌朝――道内線ホーム。
「――SIRUS法、助手が初執刀で成功だってさ。やるじゃん」
宮ノ沢がニュースフィードを掲げ、口笛を吹く。
南郷は煙草を揉み消し、ただ表情の無い顔で俯く。課長は相変わらず無言だが、その横顔はわずかに柔らかい。
「スゴい突っかかりだったけど、ちゃんとキメれるなら納得!」
ユノはシンプルに感銘を受けている様子だ。
もちろん、昨日の医師の記録も名も、世間からは消えている。
けれど、彼が切り拓いた術式と、託した未来は残った。
夜明けの光がビル群を金色に染める。
最初の夜は、否応無く、そして今回は、間違い無く、自分の意思で撃ったイヴィクショナー。
私の、役割というほど大袈裟なものでは無いかもしれないが、この未来で存在する理由、居場所を見つけたような、そんな気がした旅だった。出張だけど。
車両が滑り込み、ドアが開く。
私は南郷たちの背中を追い、まばゆい朝のホームへ踏み出した。