ST-r:04「FIRE:ME(前)」改稿
朝の札幌、ステラトレイス社屋の屋上。50階を超える頂上からの景色から伺う変貌した札幌の姿は圧巻だった。街がどこまでも広がっている。圧倒的な光景。
変わらないのは手稲山、大倉山、藻岩山……山々の稜線だけ。昨日行った琴似の方はあの辺りだろうか。目を細め眺める。
鳥の声。遠く、流れていく雲。
一頻り景色を眺めた後、意を決し隣に立つ宮ノ沢に声をかけた。
「あのさ、南郷さんのことなんだけど……」
唐突な問いかけに、宮ノ沢は一瞬だけ目を丸くする。それからフェンスにもたれかかり、肩をすくめた。
「朝から呼び出されたから何かと思ったらそれか〜」
「昨日のクレイマー処理の時……南郷さん、ちょっと辛そうにしてたけど、あれって何なのかなって、ずっと気になってて。宮ノ沢さん何か言っていたよね」
はっきりと切り出すと、宮ノ沢が顔を上げた。いつもの軽薄そうな笑みは消えていて、私をまっすぐ見ている。
「いや、実はさ、イヴィクショナーには使用のリスクってのがあって、使うたびにカード適性破綻の可能性があるんだよ。」
「破綻……?」
「うん。まあ、要するにクレイマー化。しかもそのリスクってのが蓄積……ってイメージでもなく、多少はしてるだろうけどランダム。ステラトレイス的にはカード適性異常者も処分出来て一石二鳥くらいの事思ってんじゃないかな」
全く酷い話だ。使い捨てと彼が呟いた意味がわかる。
「零が泊まってる部屋、前は八軒って人の部屋でさ、すごい適性も優秀だったみたいなんだけど最後は結局破綻しちゃって」
「クレイマー化、ってこと?」
「うん。しかも、わりと派手にね。最終的には悟ちゃんたちが自分の手で処理したらしい。そりゃトラウマにもなるよ。実直な青年だったって話だから」
「……そうだったんだ」
自然と私は拳を握る。いざ聞くと胸が痛い。あの南郷が苦く黙り込む理由の一端は、おそらくそこにもあるのだろう。
「八軒はかなり適性が高かったのに破綻した、って聞いて一瞬ビビったしょ」
確かに、私は一回イヴィクショナーを使用してしまっている。急に不安になり、カードなんてどこに入っているのかもわからないが、頭に手を触れる。
「いや実はその話、俺もしたくってさ、今日呼び出されなかったら呼び出してたよ」
「その話って?」
「最初零に会ったときカード適性測定したじゃん?そのときこっそり適性破綻リスクも確認させてもらったんだけど、クレイマー処理したって割りにイヴィクショナー使用の痕跡すら無かったんだよ」
「それってどういう事?」
「まあ、つまり適性がシステムにバッチリハマり過ぎててイヴィクショナーをノーリスクで撃ち放題って事」
そういえば、最初にオフィスに向かう時に南郷が言っていた「向いてる」ってそういう事……?
「……だからもし、零さえ良かったら、クレイマー処理手伝ってくれたら、嬉しいなって思ってんだよね。皆に消えて欲しくねーし」
深刻なトーンで続ける。普段おちゃらけている分、きっとこれが彼の素で、本心なのだという事が伝わる。
「撃たせる理由を体良く後押しするわけじゃないんだけど、イヴィクショナーってある意味”救済”なんだよ、クレイマー化した人間は、もう元には戻れない。そして物理的な手段では完全に除去出来ない。放っておくとオンライン上にアップロードされて、怨霊みたいに暴れ続けるんだよ」
私にはリスクがない。一方で八軒のように真面目に撃ち続けた結果、破綻してしまった人もいる。そして南郷は、それを自分の手で……。言葉にできない複雑さが胃のあたりに重く溜まる。
私が撃つ事で、その悲しみを断ち切れるなら。そう思うけど、やっぱり。
「だから……一応改めて撃ち方だけ教えておくからさ、念のため覚えといて!」
また急に、クルッと表情を変えたいつもの宮ノ沢が、ニコニコ顔でAVRのメニューを開いた。
「危な!あー、悟ちゃんがやってるあの詠唱カットみたいな下げて構えるやつ?あれは上級者向けだから真似しちゃだめ!警告音の流れてる間はターゲットロックしてるから」
宮ノ沢からレクチャーを受けていると屋上のドアがギイと開き、誰かの足音が聞こえた。
振り向けばユノがひょいと顔を出し、軽い調子で声を掛けてくる。
「おはよー。課長から連絡あったよ。東北海道でクレイマーアラートだって。早く集合しろって」
「東北海道……」
宮ノ沢と視線を交わす。私たちに回ってくる対応依頼。何となく胸騒ぎがする。
階を下り、三課オフィスに向かうと、南郷は既に準備を整えた様子で立っていた。大谷地は平然と腕を組んでいる。
「行くぞ。東北海道からクレイマー発生の連絡が来た」
「課長、その“東北海道”って……」
訊ねた私をちらりと見て、宮ノ沢が割り込むように答える。
「昔なら“道東”だけど、今は富裕層移住やら何やらで大都市圏化してるのさ。呼び名も変わったってわけ。ま、ざっくり釧路、根室、中標津とかそっち方面」
「結構遠いじゃん!」
すると南郷がぼそりと面倒くさそうに言う。
「道内線使えばあっという間だ。大袈裟に思うほどでもない」
大谷地が補足するように続ける。
「地方支部はいくつかあるが、今回のは現場でも厄介だと判断された。……まあ、我々三課が専門ということで回された形だ」
八軒も、こうしてクレイマーの対応をしていたのだろうか。そんな思いがふと脳裏をよぎり、胸にわずかな痛みが走る。
大谷地がデスク脇のホログラムを操作すると、地図が浮かび上がった。
「いつも通り、マーケティング用に流用しているシステムだからか発生地点が曖昧だ。明確な座標が取れていない。釧路でクレイマーの異常なAVRが検知されたのは確かだが、正確にはどこで誰が暴走してるのか不明瞭だ」
宮ノ沢が口を挟む。
「本来こういう検出って、クレイマーの信号をマッピングして割り出すんだけど……そもそもステラトレイスの基幹システムはマーケティング用で最適化されてるからね。だから位置が特定できずにうやむやになるケースがあるんだよ。わりと面倒」
「じゃあ、とりあえず現地に行って調べましょう、ってことですか?」
私の言葉に大谷地は小さく頷く。
「まずは釧路で足跡を追う。南郷、先にホームに新川も連れて行っていてくれ。準備でき次第、私も向かう」
南郷は鞄を肩に引っかけてこちらを見やる。「ほら、行くぞ」と促され、私は少し緊張しながらも頷いた。
道内線の車内は思ったより快適だった。椅子が広く、静かなモーター音だけが耳に心地いい。まるで飛行機のファーストクラスを連想させるような空間だ。席に落ち着くと、宮ノ沢が新しい資料をホログラムで示してくる。
「ほら見て。東北海道って、首都圏からの移住者が多くてさ、そこそこの大都会なんだよ。まあ、移住者の要望で今や北海道全域がステラトレイスの網に組み込まれてて、エリアごとに特色があるって感じだけど。ここは港とか海外物流に強いって感じか」
「昔は駅前ゴーストタウンで超有名だったよ……2030年の頃はそんな大都市になるなんて思わなかった」
もう驚かないけど、と思ったけど流石に札幌圏外の発展の様子を聞かされると流石に遽には信じがたい。
窓の外を見やると、車窓は滑らかに景色を切り取っていく。以前ののどかな道東のイメージから想像できないほど、高層ビルがちらほら視界に入ってくるのが不思議だった。
「あと、中標津や根室あたりは高齢者が多いし、医療需要が旺盛。そういう意味では“医療に強いエリア”って印象かな。ガチガチの医療特化都市……ってほどじゃないけどね」
宮ノ沢の説明を横目に、私は聞き逃さなかった。
「東北海道……八軒のときもここだったな」
大谷地が呟くと、南郷がわずかに視線を横に逸らす。
「……ああ。あいつは真面目すぎた」
それ以上は語らず、南郷は静かに目を閉じた。車内に沈む微かな空気の重たさに、私は何も言えなくなる。
やがて目的地に近づく。車内アナウンスが釧路到着を告げた。
釧路駅前に降り立つと、想像していたよりもずっと、と言うより想像だにしていなかった都会的な光景に目を見張った。ウォーターフロントを中心に、細長い超高層ビルが林立している。海沿いにはドック型の豪華客船がいくつも停泊し、観光客らしき人々が往来していた。
というより、そもそも今歩いてきた釧路駅駅舎が当時のものとは全く違う。もはや当時の面影が無いどころの話ではない。
商業施設一体型、札幌のステラトレイスを模しているのだろうか、どちらかというとその面影のある構造。
宮ノ沢が言うには人口分散の折に、人々の希望からステラトレイス同等のシステムの導入が成されたとの事なので、似ているのも当然なのかもしれない。
「相変わらずだな」
南郷が軽く煙草を手にしながら周囲を見回す。すぐ脇を小型ドローンが通り過ぎ、ホログラム広告を投影していく。
北大通り(キタオオドオリ)を歩きながら幣舞橋の方へ向かう事になった。最初のクレイマー反応はそこからだったという情報を元に、だが、皆目検討はついていない。
「情報収集って言ったらまずは人が集まるところでしょ?」
道端の高層ビルを背景に宮ノ沢が言う。
「じゃあまずは、あれじゃん?」
幣舞橋からほど近い港沿いの商業ビル。観光向けのフードコートが広がる一角で、私たちは海鮮丼を注文した。ホログラムのタッチパネルに指を滑らせると、瞬時に膨大な魚の種類が表示されて迷ってしまうが、最終的に“本日のおすすめ”をAIに任せてみる。
「結局ご飯じゃない!」
つい注文し終えてしまったが、私は思わず言った。
「まあいいだろ、せっかく釧路に来たんだし」
と南郷。先ほどの電車の様子から一転、特に様子に変なところも無く、少しほっとした。
しかし、このマーケティング部、そろそろ薄々思い始めたが美食クラブか何かなのか?やたらと食事に情熱がある。
運ばれてきた丼は、キラキラと光る新鮮な刺身が何種も敷き詰められ、まるで宝石箱みたい。かつての釧路で食べた海鮮丼よりも遥かに品数が豊富な気がする。これも「未来の流通システムのおかげ」らしいが——あまりややこしいことは考えないで、まずは一口。
ほんのり甘みのある醤油タレが、脂の乗った刺身の旨味を引き立てる。口に入れた瞬間、とろけるイクラのプチッとした触感がたまらない。ホタテの柔らかさと、ネギトロの滑らかな舌触り。どれも文句なしに美味しい。
「へぇ、思ったより普通、というか、すごく“ちゃんと海鮮丼”してるんだね」
私が箸を進めながら呟くと、隣で食べていた宮ノ沢が笑みを浮かべた。
「釧路といえばこれでしょ。昔はもっと地味だったらしいけど、今じゃAVRメニューで即日取り寄せ可能だからね。ほら、悟ちゃん。やっぱ魚介はいい感じじゃない?」
「……まあ、悪くねぇな」
南郷は気だるそうに言いながらも、箸を動かす手はしっかりしている。肉派かと思いきや、案外こういう丼ものも嫌いじゃないらしい。
「本当に色々載ってるね。サーモン、甘エビ、ウニ……うわっ、カニまで入ってる」
ユノが口元を軽く拭いながら目を輝かせる。彼女が言うには、ここは観光客向けに“ちょっと盛りすぎ”なくらい豪華にしているらしいが、そのおかげで大当たり感がすごい。
AIが管理する物流システムと、漁港のロボット処理ライン。未来の技術が加わることで、鮮度のピークを逃さずに店舗へ供給できるそうだ。……と、頭ではわかっていても、実際に舌の上で溶けるこの美味しさには、単純に感動してしまう。
「……美味しい……。あまりに普通に美味しいから、未来にいること忘れそう」
私がそう漏らすと、宮ノ沢がニヤリと笑った。
「未来だからって味が変わるわけじゃないのさ。そこは人間の“欲望”が変わらないってことでしょ?」
そんな軽口を聞き流しながら、私はもう一切れ刺身を口に放り込む。ここ最近、クレイマーやらイヴィクショナーやらで気が張り詰めっぱなしだったけど、こういう食事の時間だけは素直に“生きている実感”を得られる気がする。
そう思うと、彼らが食事に拘る理由も何となくわかるような気がしてきた。
「で、捜査の方はどうするの?」
一頻り食事を終えると、ユノが箸を置きながら言った。
大谷地が淡々と答える。
「まずはAVR異常の出処を探れとのこと。マーケティングベースの検知だから正確な位置はわからない。現地の支部協力も得て少しずつ訊き込む」
「逆に言えば、こっちにしか解決できない可能性があるから回されてきた、と」
宮ノ沢が肩をすくめる。南郷は面倒臭そうにコーヒーをすすると、急に通信音が鳴った。
「……南郷だ……ああ、了解」
短い返事だけで通話を切る。こちらを見て簡潔に告げた。
「クレイマーアラート、局所的な発現があったらしい。タイミングいいな。アラート自体はちょうどそこ、釧路市街中心部にいる子供からの連絡だとか。怖がって泣いてるらしい」
「子供……?」と口にして、変な胸騒ぎを覚える。そんな小さい子がクレイマー関連のデータを目にしたのだろうか。
ビル街を抜け、アラートが出たという、少し下町の雰囲気が残る地域に足を踏み入れる。マーケティングでいう“古い街並み”が観光資源になっているのか、ところどころに観光客がカメラを向けていた。ただ、それでも大通りにはホログラム広告がしっかり張り巡らされていて、旧い風情とのミスマッチが奇妙な味を出している。
「……おい、こっちだ」
南郷が路地へ踏み込む。目を凝らすと、路地の奥。そこで泣きじゃくっている幼い女の子が、若い支部職員らしき人に肩を叩かれていた。
支部職員が私たちに気づくと軽く会釈し、南郷に向かって説明する。
「この子が、何か得体の知れない“苦しそうな記憶”を見たって……繰り返し怖いって言うものだから、クレイマーかもしれないと……」
「わかった。こっちはマーケティング部三課だ。引き取る」
南郷は女の子の高さまでしゃがみこみ、面倒くさそうに口を開く。
「……何を見たんだ」
女の子は頬を涙で濡らし、怖がりながらも一生懸命話す。要領は悪いけれど、“苦しんで息ができない人の映像”が唐突に頭に入ってきた、という内容らしい。
「死に際……ってこと?」
私が思わず漏らすと、女の子の肩がまた震えた。できるだけ優しく声をかけたいが、どうしたらいいのか迷う。
「そんなんじゃだめだよー南郷」
ユノがさっと一歩前に出て膝をつき、柔らかな表情で子どもをあやす。手際が良く、すぐに女の子は落ち着きを取り戻した。そんな中、宮ノ沢はホログラムを手早くチェックし、
「やっぱり位置情報はブレブレ。何か“苦しむ死の残照AVR”が周囲に漏れてるっぽいね。うーん、誰かの記憶がこぼれてるのか」
「じゃあ……どこかに、クレイマーが?」
「まだ断定はできないけど……厄介だな」
話をしていると急に声が聞こえた。
見ると、今度はまた女の子が怯えたような様子で、私たちの肩越しを指差し涙目で訴えかけている。
「……あれ……わたしがみた……怖い……」
子供をそっと抱くユノ、そして恐る恐る振り返ると。
ーーっ
思わず息を飲んだ。そこには、紛れもない。苦しみ悶え、死を連想させる表情の老人の顔。
何を訴えたいのか。呻きながら私たちの方へ手を伸ばし、そして……
消えた。
暫くし、女の子はだいぶ落ち着いたらしく、小さく頭を下げていなくなった。
支部職員がフォローするという。私たちはそこで一旦区切りを付け、公園の片隅に立ち尽くす。
「いやー、ヤバい怖かったけど、状況としては、“謎の苦痛AVR映像”が釧路で観測され始めた……と。でもマーケティングシステムじゃ正確な発生源が絞り込めない」
宮ノ沢が言葉を選んで整理する。
「現時点じゃただの不正データかもしれん」
南郷は投げやりに呟く。けれどこういう場合は、たいてい何かある——そんな共通認識が、沈黙のまま共有されている。
「……とにかく、もう少し歩いて情報を拾うしかなさそうだね。クレイマーがほんとにいるなら、どこかで痕跡が見つかるかもしれない」
ユノがそう言うと、私も腹を括る思いで頷く。
結局、その日は街中を巡り聞き込みを続けたものの、決定的な手がかりは得られなかった。子どもの言う“苦しそうな死のイメージ”以外にも似たような報告があるようだが、バラバラかつ断片的だ。日は暮れかけ、成果がないまま歩き回った疲労だけが溜まっていく。
「……一旦、これで打ち切るか。続きは明日だ」
南郷が短く宣言し、私たちは宿へ向かう。今日はもうこれ以上続けても、という疑念と、異常の報告を待って集中的に対応する方が効率的なのではという判断もあった。
ホテルにチェックインする直前、空には仄かな夜霧が立ち込めていた。釧路特有の湿り気を含んだ冷たい空気が身に沁みる。こんなに未来じみた街並みになっていても、昔ながらの湿度だけは変わらないんだな……と思うと、不思議と少しホッとした。
ロビーで部屋のカードキーを受け取りながら、私は心の中で静かに決意を固める。この先、どんな形であれ、クレイマーが見つかるかもしれない。いつか私自身に選択を問われる時がくるかもしれない。——そのときに私は、一体どうするのか。
どうするべきか、はわかる。
エレベーターの扉が閉まる。明日からの捜査がどう転ぶか。胸の奥には小さな不安が残るままだ。
窓の外、未来の釧路の夜景が静かにまたたいていた。